第16話 ビッチとエロゲ

「せ〜んぱい♡」


 放課後。

 紬祈と合流するために下駄箱へ向かっていると、背後から肩を叩かれた。


 あまりにも媚びた猫撫で声に、若干眉をひそめたくなりながらも振り向く。


「…………えっと」


 小柄な少女だ。

 特徴的なのは雪のように白い肌にショートの銀髪。絹のように柔らかそうな銀色は、他の生徒とは一線を画す上品な美しさを湛える。

 容姿だけを見ればまず、「深窓の令嬢」という言葉がベタだが浮かんだ。彼女はまるで精巧に作られた人形のように麗しい。


「ふふっ♡」


 しかし、表情はあまりにもアンバランスに映る。

 どんな男をも虜にしてしまうような蠱惑的で、可愛らしさを詰め込んだような微笑み。それはきっと、魔性と呼ぶに相応しい。


「あれ〜? もしかして先輩、私のこと忘れちゃった? ひっど〜い♡」


 彼女が俺を知るように、やはり俺も彼女を知っている。


「い、いや、忘れてないぞ? あ、甘露、だよな」

「え〜なにそれ他人行儀〜。先輩は私の大事な初めてを奪った人なんだよ? いつもみたいに名前で呼んで? 心から愛を込めてね♡」

「……っ」


 ‘初めてを奪った’という単語に思わず反応してしまう。


 そう、月城拓真と彼女——


「こ、心愛ここあ


 甘露心愛あまつゆここあはそういう関係だった。


「んふふ〜、そうだよ。先輩の心愛だよ♡」


 数年前に出会った2人は、出会ったその日にお互いの合意の上で行為に至った。

 それから音沙汰はなく一晩限りの関係だったが、高校にて再会。

 1年生ながらすでに紬祈に迫る人気を誇る彼女は、その自由で小悪魔的なようすから陰でビッチとウワサされている。

 

(こいつにだけは会いたくなかったんだけどな……)


 ビッチのくせに、どうしてか拓真には粘着していた。

 極上の容姿を持った彼女との肉体関係はついこの前まで続いていたはず。いわゆるセフレだ。


 出会ってしまったが運の尽き、彼女は南瀬以上の強敵なのかもしれない。


 心愛は嬉しそうに笑みを深めて、くりくりの大きな瞳で見つめてくる。

 無条件に鼓動が早まって、俺は唾を飲んだ。


「んふ〜」


 胸のあたりに心愛の白くて細い指が触れる。ソフトタッチで優しく、くすぐるように撫でる。


「うひぃ……!?」

「なーんか今日のせんぱい、きょどってて可愛いかも♡」

「……っ」

「まるで童貞みたいだね♡」


 心は童貞だよ悪いか!? 

 だからそれ以上近づかないでくださいお願いします!!


 清楚な妹とのスキンシップだってめちゃくちゃ緊張するが、それとはまたわけが違う。

 甘露心愛は、男の本能を根っこからこれでもかと言うほど刺激してくる。理性が吹っ飛びそうになる。そんな誘惑的なエロさ。


 俺はここぞとばかりに拓真の身体能力を活かして高速バックステップを繰り出し距離を取る。


「と、ところでなんだが、最近どうしてたんだ? あまり学校で見かけなかったが……」


 話を逸らすついでに気になっていたことを聞いてみる。


 俺は最初から彼女のことを警戒していた。

 しかしずっと姿を見なかったのだ。1年の教室も軽く確認したが、登校すらしていなようだった。


「あ〜それはね〜、ちょっと引きこもってたの」

「は? 引きこもってた?」

「うん、ゲームしてて」


 一瞬、ビッチにも不登校になるような暗い理由が存在したのかと懸念したが……ゲーム? なにそれめっちゃ羨ましい。


「先輩ってゲームする人だっけ?」

「ま、まぁ、多少は」


「さすが先輩。じゃあじゃあ、美少女ゲーム——エロゲってわかる?」

「エロゲだと!?!?!?」


 心愛からあまりに似合わない単語が飛び出して、俺は目を剥く。


「わっ、なになに、先輩エロゲ好きだったの?」

「大好きだ!!!!」


 俺が前世でどれだけの時間をエロゲに、ヒロインたちに費やしてきたと思っている。

 仕事が終わると夜な夜な暗い部屋でマウスをひたすらクリックしてニチャニチャしていたのだ。


 俺はまさしく、エロゲ特化型オタクである。


「そっか〜、よかった。先輩とはやっぱり趣味が合うね」

「へ?」


 ビッチと俺の趣味が合う?


「私も、大好きだよ♡ エロゲ♡」


 ぺろっと舌を出す心愛。エロ可愛い。


「え、おまえってエロゲやるの? マジで?」

「うん。私って意外とインドアなんだよね〜」

「そうだったのか……」


 まぁビッチお得意のエッチなことだって基本的には屋内ですることだしな。性癖拗らせてなければ。

 つまり、ゲームとエッチの親和性は非常に高いと言える。


「ち、ちなみにどんなのやるんだ?」

「えー色々やるよー。抜きゲー、キャラゲー、シナリオゲー、泣きゲーも、どれも好き」

「お、おお……!」


 ちゃんとエロゲーマーであることがわかる言葉選びに感動してしまう。


「今回やってたのは純愛系かなぁ」

「タ、タイトルは……!?」

「銀色スパンキング」

「神ゲーじゃねぇか!!」


 銀色スパンキング——それはヒロイン全員銀髪でお尻がデカいというニッチすぎる属性からはとても想像てきない終盤の劇的な泣き展開によって全エロゲーマーが涙したという伝説のエロゲだ。


「ねー、面白すぎて学校サボりまくっちゃった」


 それは仕方がない。俺も銀スパをやった当時社会人でなく学生だったらサボりまくってた自信がある。というか泣きすぎて翌日は目が腫れあがり、外に出れないこと必至。女子である心愛なら尚更だろう。


「ああいうの読むと、私もあんな恋愛してみたいな〜って思うよね〜? ねーせんぱーい♡」

「お、おう……そうだな……?」

「んふ〜」


 甘えるように擦り寄ってくる心愛。

 ビッチにはとんと縁のないセリフに思えて、しっくり来なかった。


「ねぇねぇ先輩、今日ウチ来る?」

「え?」

「私1人暮らしだし、歓迎するよ。一緒にエロゲしよ?」

「おお……」


 その提案は一見、とても魅力的に思えた。なんと言っても俺は転生して以来、エロゲができていない。月城家にいる以上その機会も巡ってはこないだろう。


(しかし、女子と一緒にエロゲってどうなんだ……? それはもはや一種の変態プレイでは?)

 

 いや、エロいシーンばかりがエロゲじゃない。

 場面を選べば、アニメや映画を一緒に見るようなノリで出来るかもしれない。


「こ、心愛がいいならぜひとも……」


 結局、エロゲの誘惑に負けてしまった。


「んふ〜、もちろんいいよ♡」


 心愛は快く受け入れてくれて、それから小声でささやく。


「今日は一緒にエロゲして、エッチな気分になったらぁ……夜はしっぽり……ね♡」


「——ぶふっ!?」


 エロゲに気を取られすぎて忘れていた。彼女はビッチだ。ビッチの家に上がりこむなんて、どうぞ食べてくださいと言っているようなものじゃないか……!?


「くっ、す、すまん……やっぱり今の話はなかったことに……」

「え〜、男に2言はないよね?」

「……!?」


 その言葉、女側が使うの狡くないか?

 それ言われたらもう男はどうしようもないではないか。

 俺はつい今朝、南瀬にもキメ顔でそう言ったばかり……ここで一度言ったことを取り消すのは心理的にも非常に格好がつかない。


「はい決まり。じゃ、行こっか〜」


 心愛に手を引かれる。



「——兄さん? 何をしているのですか?」



 歩き出した先には、笑顔の紬祈が立っていた。


「つ、紬祈!? どうしてここに!?」

「兄さんがなかなか来なかったので」


 そうだった。

 放課後は下駄箱で待ち合わせしているのに、もうかなり時間が経ってしまっている。


「何をしているんですか? 兄さん」


 笑顔を崩さないまま繰り返す紬祈。


「兄さんには、私という妹がいますよね?」

「あ、ああ……」

「兄さんは妹を1番大事にしますよね?」

「も、もちろん」

「兄さんには、私以外の女の子なんていりませんね?」

「…………お、おう……」


 有無を言わさぬ迫力が襲い来る。


 しかし、紬祈の言っていることはもっともだ。

 俺はヤリチン払拭のために動いている身。ビッチである心愛と行動を共にするのはまた余計な詮索を生む。それは明白だ。


 紬祈はそんな俺の評判も暗じて、心を鬼にしてくれているに違いない。


「ふーん。なるほどね〜、そういうことか〜」


 一連の流れを見ていた心愛はふむふむと唸った。


「私がいない間に、なんだか面白いことになってるんだね、先輩♡」

「……なんというか、すまん。やっぱり今日は……」

「いいよ。わかった」


 心愛はニッコリと笑って頷く。


「いいのか?」

「うん。ねぇ先輩」

「ん?」

「エロゲみたいな純愛っていいよね。でも、現実はそう上手くいかないね。お別れもあって、浮気もあって、身体だけの関係だってたくさんあるね。仕方ないね」


 心愛はまるで見せつけるように余裕たっぷりなようすで紬祈へ視線を送る。


「だからね、私は先輩を束縛なんてしないよ?」 


 そして俺の手を優しく握った。


「先輩は、最後の最後に私のところへ戻ってきてくれればいいんだからね♡」


 その微笑みは年下の小悪魔的少女のものにも関わらず、包容力のようなものを纏っていた。

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