第15話 メンヘラ

 この世界に転生してから2週間ほどが経過した。


 ヤリチンというイメージ脱却を目指すところから始めた高校生活。


 すでに色々なことがあったが、今のところは順調に2度目の人生を歩めていると思う。


 生まれ変わった月城拓真として、ふつうの男子高校生らしい生活をしてきたつもりだ。

 妹である紬祈が外聞を気にせず懐いてくれるおかげもあり、学生たちから向けられる視線の色は変わり始めているように感じる。


(まぁ、紬祈とのことで無駄な恨みも買っているような気もするが……)


 彼女が学校1の美少女である以上、多少の妬みは避けられない。


 今日もまた、紬祈と兄妹そろって登校した。


「じゃ、また放課後な」


 2年は2階、3年は3階の教室だ。

 2階まで階段を登ったところで別れようと背を向ける。


「あっ……待ってください、兄さん」

「うわっ?」


 背後からふわりとのしかかる体重。紬祈の両手がお腹のあたりに回されて、背中には柔らかな感触がした。


「つ、紬祈? なにしてるんだ……?」

「兄さんパワーを補充しています」

「に、兄さんパワー……!?」

「こうしていると、兄さんの温かさが私に流れ込んでくるんです……♪」


 ギュッと、抱くチカラが強まる。


「見られてるぞ……?」


 ここにいるのは当然、俺たちだけじゃない。登校する生徒たちが横をすり抜けていく。

 その誰もが反応はさまざまながらも視線を寄せているのがわかった。


「兄妹の健全なじゃれあいですよ。何の問題もありません」

「そ、そうかぁ……?」


 風紀を取り締まる委員長様からしたら兄妹とか関係なく問答無用でアウトだろう。見つかったら一巻の終わりだ。


「……っ」


 ごくりと息を飲んでヒヤヒヤした面持ちでいると、ちょうど折悪くとある人物が通りかかる。


 それは南瀬ではないが、ある意味最悪のエンカウント。


 視線が交差する。


「ちっ」


 紬祈の元彼氏・海道玲央はこちらに気づいた瞬間、表情を険しく歪めて舌打ちした。


 俺は視線を外すことさえできず固まり、激しい心臓の鼓動と共に冷や汗を流す。


「お、おい、紬祈……」


 離れるようにと促す。


 しかし紬祈は甘えるように首を横に振ってそのままの状態を貫いた。

 玲央の存在に気づいているのか、いないのか。顔を押し付けているようだから見えていないのかもしれない……。


 それによって余計に空気が悪くなった気がする。


「「「…………………………」」」


 三者三様の沈黙。

 

 玲央は何も言わないまま俺たちの横をすり抜けて2年の教室へ入っていった。


 しばらくして紬祈はようやく手を離す。


 俺はすかさず振り向いた。言葉にならないが、何かを言おうとしたのだ。


「紬祈……っ」


 すると紬祈はそっと俺の手のひらを包み込むように握って微笑む。


「今日も一日、兄さんのおかげで頑張れそうです」


「…………そ、そっか……それは、よかった」


「はい♪ ありがとうございます、兄さん」


 否が応でも、俺は悟ってしまう。


 もはや彼女の瞳に、元恋人の姿は映っていなかった。

  

 


 ☆




「————月城拓真!!」


 紬祈と玲央の件で複雑な気持ちを抱えたまま教室へ入ると、途端に南瀬が席を立って詰め寄ってきた。


 一瞬だけクラスメイトの注目が集まるが、「またか……」という感じですぐに視線を外していく。

 1週間半ほど期間は空いたものの、このクラスにとっては日常の光景なのだろう。

  

「み、南瀬……!? 何のようだ……!?」


 何かしたっけ?

 思い当たることはないが……それならどうして、目の前の風紀委員長はこんなにも顔を真っ赤にして、鼻息荒くしているのか。


「ちょっとこっちへ来なさい!」

「お、おい……!?」


 強引に手を引かれて、空き教室へと移動させられる。


 ————ドンッ。


 そして、流れるように壁ドン。


 拓真の背が高いせいで、女子にしては背が高い方の南瀬でさえだいぶ見上げる形だ。


 冷静に見るとちょっと格好つかないのだが、俺はふつうに慌てていた。


(やっぱめちゃくちゃ怒ってるよな!?)


 わざわざ人目のないところまで連れ込まれたことからもそれは明らかだ。

 これからどんな教育的指導、もといお仕置きが待っているのか、俺には想像もつかない。


「え、えっと、いかがなさいましたか……?」

「こ・れ・よ・!」

「へ?」


 スマホの画面を突きつけられる。


 南瀬と誰かの——いや、拓真とのメッセージのやりとりのようだ。


 その一部が目に入る。



『ねぇどうして? どうして返事くれないの? どうして? ねぇどうしてなの? こんなにメッセージ送ってるのに。ねぇ、どうして。どうして。どうして。どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてドうシてどウしてどうシてどうしてどうしテどうしてどウしてドうシてドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテ……』



 え、なにこれ……こっわ……。



「……メンヘラ?」

「はぁ……っ!?!?!?」


 カッと南瀬の顔に火がつく。


「な、何勝手に読んでるのよバカぁ!!」

「そっちが見せてきたんだろ!?」

「知らないわよバカ! エッチ! へんたい!」


 南瀬は慌ててスマホをしまい込んで、数歩後退した。俯くと、そのままゴニョゴニョと小さな独り言を始める。


「な、なによ。なんなのよなんなのよ……! これでも心配したんだから。もしかして何か大変なことになってたらどうしようって。気が気じゃなくて……夜も眠れなくて……それなのに全然ふつうに登校してくるし〜……うぅ〜〜〜〜っ………………安心した。したけどぉ……ムカつく、ムカつくぅぅぅぅ……!!!!」


 最終的に、癇癪を起こしたように地団駄を踏んでいた。


 思わず口に出てしまった一言で余計に怒りを買ったようだ。


 俺は一歩前に出る。


「えっと、すまん。メッセージの返事がなかったことを怒ってるん……だよな?」

「ち、違うわよ。べつに私は、なにも怒ってないし……!」

「そっか。でもごめん。すまなかった」

 

 俺は頭を下げる。


「一応理由があるんだが、聞いてくれるか?」

「……なによ」

「そのメッセージには返信できないんだ。というか、俺は見ることさえできない」

「え? どういうこと?」

「スマホぶっ壊してさ、新しくしたんだ」


 新しいスマホを出して見せる。


 その連絡先にはまだ、家族のものしか登録されていない。


「そ、そうなんだ……じゃあ、無視……したわけじゃないのね?」

「当たり前だ。南瀬からメッセージなら即返すよ」


 はやくしないとそれこそ怒られそうだし。


「そ、そう……。ふ、ふん。それなら、べつにいいのよ。ふへ」

 

 南瀬はなんだか怒っているのか笑っているのかよく分からないような百面相を見せながら、ツンとそっぽを向く。


「許してくれるのか?」

「まぁ…………許す」

「よかった。ありがとう」


 なんとか怒りを収めてくれた南瀬のようすを確認して、俺は心から安堵する。


 正直、拓真に転生してから1番大変なのがこの南瀬の相手だ。

 完全に嫌われているし、話す時はほとんど必ず怒っているし、声が大きくて、でも顔はめちゃくちゃ良い——という陰キャがコミュニケーションを取りにくい要素の詰め合わせである。


 しかし、風紀委員長である彼女に認められることはヤリチン拓真にとっては大きな一歩となるに違いない。彼女との交流を避けるわけにはいかなかった。


「それで、メッセージの内容はなんだったんだ?」

「それは……」

「あ、そうだもう一度見せてもらえるか? それなら理解しやすい」


 口頭だとまた機嫌を損ねるかもしれないし、読む方が速い。

 あと、あのメッセージはやっぱり気になる。


「ダ、ダダダメに決まっているでしょう!? バカなの!?」

「えぇ……そ、そこをなんとか」

「ダメ。もう消す。消すから」

「あぁ……」


 南瀬は言葉の通り、拓真の元連絡先ごと削除した。それで安心したのか一息ついて、改めて話を始めた。


「今週末、私も参加するボランティア活動があるの」

「ボランティア?」

「あなたが言ったんでしょう?」


 そう言えば、初めて会ったときにそんな話をしていた。頼んだはいいものの、拓真の言うことなど聞いてくれるわけがないと思っていたのだが……。どうやら律儀に覚えていてくれたらしい。


「参加するの? しないの? まぁあなたのことだから、どうせ口先だけでボランティアのやる気なんて————」

「参加するよ。させてくれ」

「……え? ほんとに? 参加、するの……?」

「もちろんだ」

「そう……なの……。へぇ、参加、するんだ……えへへ」


 今度こそ、南瀬は唇の端をわずかな上げて笑ったように見えた。

 彼女からすれば拓真が更生へ向かうのは嬉しいことなのだろう。


「じゃ、じゃあ、詳細はまた後で連絡するわ」

「おう。ありがとな」

「ふ、ふん。べつに?」


 やはりぷりぷりしたようすで視線を合わせてくれない南瀬。


「それじゃ、教室戻るか」

「は、はぁ!? ちょ、ちょっと待ちなさいよ!?」

「ん? まだ何かあるのか……?」

「あ、あるわよ! あるでしょう……!?」


 突然、不安そうに眉を顰めて詰め寄ってきた。


「わ、私、連絡するって言ってるのよ……?」

「ああ、だから今度また話してくれれば……」

「ち、ちがうのっ、そうじゃなくて……! だからぁ……〜〜〜〜〜〜っ」

 

 また真っ赤になって視線をぐるぐると彷徨わせる。


「お、教えなさいよ! その、新しいあなたの連絡先! じゃないとメッセージできないでしょう!?」


「お、おう……え、いや、欲しいのか? 俺の連絡先なんて……」


 てっきり以前は拓真にむりやり登録させられたのだと思っていた。だから新しくなった今、べつに親しくもない間柄で連絡先を交換する必要はない。


「ほ、欲しくないわよ!」

「だよな」

「でも仕方なく、あくまで仕方なくなの。あった方が何かと便利だから。そ、そう、あなたのボランティアは今回だけじゃないでしょう? そのときまた連絡するし。た、たまに、ほんとーにたまになら、あなたの世間話に付き合ってあげてもいいし…………」


「べつに俺から連絡しないけど……」


 どこからどう見てもめちゃくちゃ嫌がってる相手にそんなことはしない。


「なんでよ! しなさいよ!」

「えぇ…………」


 本ッ当にわからない、この風紀委員長……。


「でも、ま、まぁわかった。交換しよう。またボランティアの情報とか貰えるのはありがたいからな」

「え、ほんと? ほんとにいいの? 男に2言はないわよ?」

「ああ、ないよ」

「やたっ。やったわ!」


 なぜかぴょんぴょん跳ねて喜んでいる。


 もう気にしないことにしよう。彼女の情緒について考えても無駄だ。どうせ俺にはわからない。


 俺はただ、これ以上怒られないように、ちょうどいい距離感で誠実に接するだけだ。


 連絡先の交換を済ませる。

 4人目。家族以外では初めてである。

 それがまさか南瀬になるとは思わなかった。


「それじゃあ週末はよろしくね。絶対逃げるんじゃないわよ。逃げたら許さないから」

「そんなことしないって。せっかく南瀬と一緒にボランティアできるんだから」

「な、ぁぁ…………!?」


 やばい、また何か地雷を踏んでしまったかも。


「そ、そんなに私と一緒にいたいなら、仕方ないわねっ」


 爆発しなかった。

 ひそかに胸を撫で下ろす。


 どうしてただの会話にこんなスリルがあるのだろう。わからない。


 やはり俺には、南瀬璃音からの評価を改めさせるのは無理かもしれない……。


 それからというもの、毎日のように送られてくるイヤに丁寧な言葉遣いの世間話(?)に俺が頭を悩ませることになるのは、またべつの話——。

 

 

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