第13話 眠れない夜

「紬祈……!?」


 わずかに悲鳴が聞こえて、とたんに心臓が警鐘を鳴らした。


 慌てて走り出すと、すぐに騒ぎの中心が見えてくる。


「あん? ちょっと触ろうとしただけだろ? なにマジになって叫んでんだよ嬢ちゃん」


「いやっ、こないで……こないでください……!」


 怯えながら後退する紬祈と、それに追い縋る2人の男。


(おいおいマジかよ……こんなこと現実にあるのか……!?)


 いや、エロゲならあるか……。


 なんなら拓真のような高校生の存在からしてファンタジー。学校1の美少女をナンパするテンプレ不良がいてもおかしくない。


(あークソ、行くしかねぇ!)


 足がすくみそうになるのを耐えて、自らを鼓舞する。自らに問いかける。


 今ここにいる、俺という存在は一体何者だ?


 言ってしまえばもはやそれは陰キャでもボッチでもオタクでもない。


 そして、あのヤリチン月城拓真でもない。


 今の俺を明確に定義するものがあるとしたら、それはただひとつ。


 俺は、月城紬祈つきしろつむぎの兄である。


 妹を守るのが、兄の仕事だ。


「————おい」


 男と紬祈の間に割って入る。


 太い腕を大きく振り上げて、紬祈の壁となった。


「にい、さん……?」

「紬祈。もう大丈夫だ。安心しろ」


 本当はここからのプランなんて何もないが、見栄を張ってみる。


 さて、どうしたものか。


 殴り合うような喧嘩は避けたい。騒ぎを起こしたらせっかくの拓真のイメージ払拭作業が水の泡だ。


 なるべく穏便に事を運ぶべきである。



「おまえら、俺の女に何してやがる……!」



 え、——あれ、何言ってんだ、俺……!?


 悠斗に切れたあのときと同じだ。

 一瞬、ひとりでに感情が昂って怒気が上乗せされ、言葉が荒くなる。


「なんだてめぇ————」

「ちょ、ま、ちがっ」

「――――ふへ? てめ、つ、月城かぁ!?」


 自身の行動に困惑していると、俺に釣られるように怒りをあらわにした男が一転、驚いて目を丸くする。


「なんだよ、嬢ちゃんったらあの月城拓真の女なのか!?」


 そして一気にあたふたと慌て始めた。


「え、いや、妹なんだが……」


「妹でもなんでもいい! ゆ、ゆゆ許してくれ! 俺たちまだ何もしてない! だから許してェェェェェェェ!!!!」


 男たちは脱兎もびっくりな速度で逃げ出し、すぐに姿が見えなくなった。


 あっという間に事態が収束する。


「あれ……?」


 よく分からないがこれは……拓真さん、さすがっす、とでも言えばいいのか。

 初めて心の底から感謝します。


 ナンパ男たちの顔に見覚えはなかったので、おそらく一方的に知られていたのだろう。


 拓真の女に手を出すのは御法度、か。


 どれだけ悪評が広まってるんだ……。


「——兄さん!」

「おっと」


 呆気に取られていると、紬祈が抱きついてきた。


「兄さん……兄さん……!」

 

 ぐりぐりと頭を押し付ける。

 よほど怖かったのだろう。服に涙が滲んでくるのがわかった。


「ごめん、遅くなって」

「いいんです……来てくれましたから……」


 美少女すぎる妹と出かける時は、たとえわずかな時間であっても目を離すべきではない。教訓として肝に銘じておこう。


「兄さん、また頭撫でてください」

「ん……」


 亜麻色の髪に手を乗せる。優しく撫でた。


「やっぱり、兄さんの手は安心です……♪」


 紬祈がもういいと言うまで、周囲の視線も無視してナデナデを続けた。

 


 夕暮れの帰り道——


「あ、あの、紬祈……さん? 歩きにくいのでもうちょっと離れてもらえると……」

「ダメです♪」

「お、おう……」


 両手に荷物があるというのに、紬祈は俺の脇に寄り添うように引っ付いて離れなかった。

 非常に歩きにくい。というのは建前で、妹との距離感が色々と危険で危ない。甘え度合いが今までの比じゃない。まるで恋人のようなベタベタっぷり。


「兄さ〜ん♪」


 先程のことがあったからだとわかっているのだが、鼓動は早まるばかりだった。

 

「兄さんは、やっぱりカッコいいですね」

「え……? そ、そうか……?」


 顔と肉体に中身が追いついてないと思うが……。


「兄さんが助けに来てくれたとき、私うれしくて……どきどきしちゃいました」

「ドキドキ……?」

「はい。どきどき、です。しかも俺の女、だなんて……きゃっ♡」


 紬祈その時のことを思い出すようにして頬を染める。それから微笑んで、今までで一番強く抱きついてくる。


「お、おい……だからそんなにくっ付くなって……」


 体幹強すぎて軸がブレることはないが、心拍数がやばい。


「ぎゅ、ぎゅっ、ぎゅ〜〜〜〜っ」


 そんな俺の胸中など知るよしもなく紬祈は両手を俺の腰に回して抱く。

 

「兄さんは、私の兄さんなんですね」

「え……?」

「すごくすごくカッコいい私の兄さん。…………私だけの、兄さんです」


 紬祈はどこか恍惚な笑みを浮かべていた。


 家に帰り着いてからも、紬祈の甘えモードは続いていた。


「あらあら。ふたりは仲がいいのね〜」


 俺たちのようすを見て、瑞祈さんが言う。


「お母さんも混ざっちゃおうかしら〜」

「ダメです。兄さんは私のですから」

「あらまぁ、私の息子でもあるんだけどな〜」

「ダメったらダメなんです」


 言葉とは裏腹に瑞祈さんは紬祈を微笑ましそうに見つめていた。


「仕方ないわね。それじゃあ源三さん、私たちもイチャイチャしましょうか♪」

「なっ、おまえ、子どもたちの前だぞ……!?」


 視界の端で源三が襲われていたが、見なかったことにする。


「紬祈、模様替えは明日にするか?」

「そうですね」


 さすがに今日はもう時間がない。


「手伝おうか」

「いえ、大丈夫です。その代わり、部屋ができたら招待しますので家にいてくださいね」

「了解。でも、何かあったら呼んでくれ」


 それなら明日は新しいスマホという相棒と戯れるとしようか。

 紬祈の部屋が気になって集中できないかもしれないが……。



「兄さん兄さん」


 就寝前。

 ベッドに並んで寝転がると、紬祈は俺の背中にぴっとりと体を寄せてくる。

 背中から感じる薄着の異性の体温。

 逃げようにも狭いベッドではどうしようもなかった。


「改めて、今日はありがとうございました」

「どういたしまして」

「本当に、カッコよかったです。夢に見ちゃうかもしれませんね」

「それは勘弁してくれ恥ずかしい……」


 兄として当然のことをしただけだ。

 男たちを追い払えたのは拓真のおかげ。

 俺はほとんど何もしていない。


 それでも、紬祈を守れたことは少しだけ誇らしかった。


「おやすみなさい、兄さん」

「ああ、おやすみ」


 半日歩き回った疲れもあって、幸いすぐに眠りにつけた。


 そして——深夜。


「——♡ にぃ、——ん♡」


 くぐもった声に導かれて、俺は静かに意識を取り戻す。


(紬祈の声……?)


 どうかしたのだろうか。

 俺は身体を起こそうとするが……


「んっ……兄さん♡ 兄さん……♡」


 今度ははっきりと聞こえたその声によって寸前で思い止まった。


(え……!? これって、まさか……!?)


 ふだんの落ち着いていて清楚可憐な紬祈とは異なる、切なく耐え忍ぶかのような色っぽい声、悩ましげな吐息。部屋にひっそりと響いている、くちゅくちゅという水音。背後に感じる火照った熱量がしっとりと染みゆく。


「あっ、んん……」

 

 間違いない。 

 これはエロゲでたまにあると嬉しい、いやむしろ全てのエロゲに完備してほしいことで有名なアレ……


(ヒロインのオ○ニーシーン!!!!)


 嘘だろ!?

 どうして!?

 あの紬祈が自分で慰めているなんて……。


「私ったら、やっぱりはしたない……」


 しかも「兄さん」と何度も繰り返し呟いて……?


「でも兄さんのことを考えると私、エッチな気分になっちゃいます……♡」


(…………っ!?)


 起きていることがバレた……!?


「こんなの、初めて……」


 いや、独り言のようだ。

 紬祈は眠っている俺に語りかけるようにして、甘ったるくささめく。


「兄さんのせいですからね……? 私をこんな身体にした責任、とってくださいね♡」


 それからしばらくの間、背中に紬祈の艶やかな声が聞こえていた。下半身が反応してしまうのはどうしようもない。


 紬祈が寝静まった後、こっそりと部屋を抜け出して処理したものの、もう一度眠りにつくことはできなかった。



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