第5話 いってらっしゃい
今日から学校だ。
一度は退学も考えたが、月城家で暮らす以上通わないわけにもいかないだろう。
前世から数年ぶりの制服に袖を通す。
「高校、か」
何もなかった青春。思い出すべきエピソードすら見当たらない。友達ゼロ人。ただ通学しただけの3年間。悲しくなってくる。
俺にとって学校とはエロゲという物語の舞台でしかなく、もはや次元を超えた存在だ。
「いや、この世界もエロゲだけどさぁ……」
拓真はヤリチンとして有名だ。
この青春リスタートはそこから始めなければならない。
これからどうするべきかを考えよう。
この月城拓真の身体でどのように生きるのか。
まず前提としてヤリチン人生は却下。
俺はあんなふうに生きたくないし、生きれない。拓真による陵辱の記憶には今思い出すだけでも、強い吐き気を催すほどの嫌悪感を抱く。
早急にヤリチンのイメージを払拭したいところ。
「そのためには清く正しく誠実に、生きてみるしかないよな」
紬祈が認めてくれたように、月城拓真が変わったのだということを証明する。
それでこの身体の罪が消えるわけではないが、深く考えすぎたら負けだ。拓真の尻拭いなんて御免だし、俺は俺のために生きたい。
2度目の人生は、エロゲの世界。
それは愛してやまない純愛ゲーではなく、まさかの寝取りゲーだった。
最悪な始まりだったが、今は意外と前向きだ。
これはこの物語のヒロインが与えてくれた、俺へのチャンス。
おかげで、またひとりにならずに済んだ。
宙ぶらりんに生きてきた俺だけど、今回はもう少し真面目に生きていく。
「改めて、がんばろう」
家族と義妹の元へ向かった。
「美味い……」
朝食の卵焼きを飲み込んで無意識に呟く。
「あら〜。拓真くんはお世辞が上手いわね〜」
「いやいや、本当にめちゃくちゃ美味いですって」
昨夜の夕食までは味なんてまったく分からなかったのに、紬祈のおかげで心の余裕が生まれたのだろうか。
瑞祈さんの料理は絶品だ。
「もぉ、そんなこと言っても何もでないわよ〜? おかわりする? するわよね? ね、ね?」
問答無用でお茶碗が攫われて、漫画盛りになって帰ってくる。
「あはは、ありがとうございます」
おいおい、多すぎじゃね? と内心苦笑いしたのも一瞬のことで、数分後には完食していた。
さすが食べ盛りの身体だ。際限なく食べられそうな気さえした。
ついでのようにおかわりを盛られた源三は、渋い顔でご飯を掻き込んでいたが。
「むぅ」
隣の紬祈が俺の制服を引っ張ってくる。ちょっぴり口を尖らせている。
「ど、どうした?」
「今度、私も作りますね。ごはん」
「お、おう……」
有無を言わさぬ迫力だ。
「あ、今作れないって思いましたか?」
「い、いやそんなことは……」
「私、これでも料理は自信あるんですからね?」
紬祈は拗ねてしまったかのようにぷりぷりするが、それからニッコリ笑って言う。
「楽しみにしていてください」
俺は素直に頷いた。
それを傍から見ていた瑞祈さんはニヤリと悪戯に笑む。
「あら紬祈ちゃん嫉妬〜?」
「なっ、ち、ちが、嫉妬とか、これはそういうことではなくて……!」
「ごめんね〜? お母さんがお兄ちゃん奪っちゃって〜♪」
「だから違うんです! もー! お母さん!」
「きゃ〜♪ 紬祈ちゃんこわーい♪」
それは昨日がウソに思えるような、平和な光景だった。
両親が出勤して、通学前——
「じゃあ、俺は後から行くから」
月城拓真が学校1の美少女と共に登校するのはいただけない。
学校では他人を装うことにした。
「……すみません、兄さん」
紬祈は申し訳なさそうに頭を下げる。
「いいよ。元はといえば俺のせいだし」
「いつか、一緒に登校できる日が来るといいですね。いいえ、きっと来ます」
「そうだな」
俺も、そう出来るように行動していくつもりだ。
「じゃあ紬祈、いってらっしゃ——」
「あ……っ!」
「え、な、なんだ? どうした?」
途端に紬祈はパァッと顔を輝かせた。
「名前」
「名前?」
「やっと呼んでくれましたね」
「あ、あー、たしかに」
なんとなく呼びにくくて、今まで避けていた。いや、そもそも女の子を名前で呼んだ経験とかないし。緊張してしまう。
身体はヤリチン、心は童貞なのだ。
「もっと呼んでください」
「いや……えー?」
そう言われると恥ずかしい。
「ほらほら。紬祈って。ね、兄さん」
「…………紬祈」
「はい!」
嬉しそうな紬祈は、もう一回と視線で求める。
「紬祈」
「はい」
「紬祈」
「はい。えへへ……」
紬祈の顔面がどんどん崩壊してふにゃふにゃになっていく。やばい、可愛い。
このままだと無限に続けてしまいそうだ。
「今度こそ、いってらっしゃい、紬祈」
「はい、いってきます、兄さん」
紬祈は満足そうに破顔して、一足先に家を出る。
数分後、俺はゆっくりと登校を開始した。
季節は初夏を迎えていて、朝からジリジリとした陽射しが照り付けていた。
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