第4話 新たな始まり

「あ、おかえり。ふたりとも〜」


 瑞祈さんは一緒に帰った俺と紬祈を温かく迎えてくれた。


 しばらくすると源三も帰ってくる。


「あー、えっと、おかえり、親父。……俺はまだ、家を出るには早いみたいです」

「…………そうか」


 相変わらずのそっけない相槌だったが、少しだけ嬉しそうに見えた気がした。


 それからは特に何もなく夕飯を終えて、未だ気まずさの残る俺は早々に部屋へ引きこもった。


「結局ここが俺の部屋かぁ……」


 ヤリチン野郎のお古だと思うと寒気がする。


 しかしこの家は源三が再婚に伴って建てた一軒家。部屋も新居らしく広くて綺麗だ。

 荷解きすらろくにしていないのだから、拓真が使い込んだ跡もまったくない。


 有り難いと思って使わせてもらうとしよう。


 俺はベッドに寝転んだ。


「ふぁ……色々あったし、眠いな……」


 そのまま眠りについた——。


「————うわぁぁああああ!?!?!?」


 深夜、俺は悲鳴を上げながら目を覚ます。


「ハァ、ハァ……く、ぅぅ…………」


 悶え苦しむように胸を抑えつける。


「くそ、くそ……なんだよ、これ。ふざけんな」


 眠っている間、俺は拓真の記憶を映像として見ていた。どれだけ女を泣かせているんだ、この男は。それは俺にとって、悪夢でしかない。

 

「俺には、関係ねぇだろうが……!」


 そんなもん見せないでくれよ……。

 

 再び眠る気にもなれなくて、部屋を出た。


「兄さん……?」


 台所へ行くと、パジャマ姿の紬祈がいた。


「なっ…………」


 やはりバツが悪くて、反射的に逃げようとしてしまう。なんとか足に力をこめてその場に踏みとどまった。


「眠れないのですか?」

「……まぁ、そうかな」

「ちょっとテーブルで待っていてください」

「……?」

「ホットココアを淹れているんです。実は私もなんだか、眠れなくて……」


 紬祈にも現状に戸惑う気持ちがあるのだろう。この数週間は、彼女にとって毎日毎晩が地獄であったはずだから。


 俺は素直に従ってテーブルに着く。


 数分後、紬祈はマグカップを両手に持ってやってきた。


「どうぞ。熱いですよ」

「ありがとう」

「きゃ————っ!?」


 カップを受け取るとき、お互いの手が僅かに触れる。その瞬間、紬祈はビクッと震えて手を引いた。


 ココアの入ったカップは床に落ちて割れてしまう。


「ご、ごめんなさ————いたっ」

「バカッ、手を出すな!」


 破片を摘もうとした紬祈の指から血が溢れてくる。


 俺は思わず彼女の手を取った。

 

「————っ!?」


 しかし紬祈は怯えるように身体を強張らせて、俺の手を弾く。


「……あ、わ、私、何を……あの、今の、ち、違くて……っ」

「…………ごめん」


 立ち上がって、紬祈から距離を取る。


「救急箱、どこだっけ」

「あ、それは……」


 バカか俺は。彼女にわずかでも受け入れられた気になって、調子に乗りかけていた。


 つい昨日まで、彼女はこの、月城拓真の手に……。

 いくら言葉で、心で、俺を信じると言ってくれようと、これは当たり前の反応だった。


 俺は棚にしまってあった救急箱から傷絆創膏を取り出す。


「触らないようにするから、手出して」

「は、はい……」


 決して直接触れないよう細心の注意を払いながら、傷の処置をした。


 それから割れたカップの後始末に移る。紬祈は手伝いを申し出たが、遠慮させてもらった。


「じゃあ、俺は戻るよ。本当にごめん」

「あ、ま、待って……!」


 紬祈はこちらへ向かって、トタトタと駆け出す。そのままスピードを緩めることなく、正面から俺に抱きついた。


「な、なにを……!?」

「私、怖くなんてないです……!」

「そんな、無理しなくていいんだよ」


 俺はやんわりと紬祈を引き剥がす。


「ムリなんてしてません!」


 しかし紬祈は抵抗した。


「ぎゅーーーーっ」


 両手を背中に回して、抱きしめる。

 その身体は最初、見るからに震えていた。それがだんだん、小さくなってゆく。


「頭、撫でてください」

「え? 頭?」

「いいから、撫でてください」

「お、おう……」


 恐る恐る、亜麻色の髪の頂点へ手を伸ばす。


「んっ…………」


 手が触れると、まるでもっとしてとねだるように頭を押し付けてきた。

 俺はわしゃわしゃと手を動かす。紬祈は気持ちよさそうに、瞳を細めた。

 

「やっぱり、違います」


 やがて紬祈は呟く。


「昨日までは冷たかったけど……今は、とっても温かくて、優しい手……」

「そう……か……?」

「はい。だからもう、大丈夫」


 紬祈の震えはもう完全に止まっていた。


 その後、紬祈はもう一度ココアを淹れてくれた。

 温かなココアが心を落ち着かせたのか、初めて落ち着いた会話ができた気がする。


 そして——


「なぁ、ほんとにこのまま……?」

「もちろんです、兄さん……♪」


 紬祈は俺のベッドで寝転がっていた。


 少しだけ打ち解けたかに思えた彼女はあろうことか、一緒に寝たいと言い出したのだ。


「おやすみなさい、兄さん」

「……おやすみ」


 いや、寝れるわけないだろ!?


「すぅ、すぅ……」


 数分後には紬祈の寝息が耳元で聞こえてきた。今朝も聞いた規則的なそのメロディーに耳を傾けていると、不思議と瞼が重くなってくる。


「なんか……落ち着く……」


 俺は意識を手放した。

 もう悪夢を見ることも、なかった。



「おはようございます、兄さん」


 朝になって目覚めると、視界いっぱいに紬祈の顔があった。


「……お、おはよう。何してるんだ?」

「兄さんを見ていました」

「楽しいのか?それ」

「兄さんは格好いいですから」


 たしかに拓真の顔はイケメンだが……。


 見られるのも恥ずかしいので、俺は逃げるように身体を起こす。

 続いて紬祈も起き上がると、ベッドを降りて立ち上がった。


「兄さん兄さん」

「ん? なんだ?」

「握手をしましょう」


 片手を差し出してくる。


「一緒に寝た私に、あなたは何もしませんでした」

「あっ……」


 それは彼女にとって、どれだけあり得ないことであっただろうか。


「女の子としては少し複雑なところでもありますが、でも、あなたは証明したのです」

「証明?」

「あなたという人が、本当に生まれ変わったのだということを」

「…………なる、ほど」


 確かにこれは、これ以上ないQEDだ。


「俺は試されていたわけか」

「そうですね。そういうことにしておきましょうか」


 紬祈はちょっと含みをもたせて笑う。


「では、改めて握手を」

「ああ」

「これからよろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしく」


 初めての握手を交わす。


 そうしてこの転生物語は新たなスタートを切る——。

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