第3話 あなたを信じます

 やがて源三と瑞祈さんが出勤して、俺にとってこの家での最後の時間が訪れた。


「これが最善……だよな……」


 紬祈を奴隷から解放し、俺はこの家を出ていく。

 紬祈と瑞祈さん、源三の関係は良好だし、俺さえいなくなれば紬祈も穏やかな日常を過ごすことができるだろう。


 俺はまたどこかで細々と、誰とも繋がらず、1人で生きる。

 

「死ぬ前と何も変わらない、か」


 神様には少々文句を言ってやりたい気分だが、それでも俺はこの理不尽な転生に対してやれるだけのことをやった。


 ……本当は、こんなヤリチン野郎に汚されることなく救ってあげられたらよかったのにな。


「くそったれッ」


 これ以上、俺にできることは何もない。


 せめて瑞祈さんに言った通り、今日一日看病をしよう。


 とは言っても、目覚めた時に拓真がいたら紬祈とっては恐怖でしかないはず。

 俺は一度だけ、眠っている彼女の様子を見るために部屋へ入ることにした。


「よく眠ってるな……」


 規則的な寝息と、穏やかな寝顔に安堵する。


 何もできないけれど、彼女が安らかな夢を見られていることを願った。そしてこれからは、家族と、彼氏と、幸せにあることを。


 紬祈の様子を見た後は、家を出る準備を進めた。


「まぁ、特に何もないけどな」


 拓真の部屋で段ボールを漁って見たりしたが、めぼしいものはなかった。

 財布にあまり金はない。銀行口座はどうだろうか。拓真が覚えていなかったらしく、記憶は当てにならなかった。バイトをしていたことはあったようだし、多少の期待はしておこう。

 源三は金の心配をするなと言っていたが、あまり迷惑はかけたくない。


「学校はどうするかなぁ……」


 拓真は高校3年だ。

 同じ高校の2年には紬祈がいる。


「行けないよな」


 どのみち高校生活をやり直すことにはあまり魅力を感じなかった。


 少しでも金を稼きたいならすぐにでも退学して仕事をするべきだ。その場合、またしても底辺派遣かもしれないが仕方ないだろう。勝手知ったるだ。

 

 そんなことを考えていると、いつのまにか夕方になっていた。


 紬祈は一度も目覚めることなく眠り続けていた。


 もうすぐ瑞祈さんが帰ってくる。


 俺の役目が終わる。


「よし、今のうちに出よう」


 別れの挨拶とか、できた立場じゃないしな。


「……さようなら」


 俺はひっそりと月城の家を去った。


「スマホまでぶっ壊したのは失敗だったかなぁ」


 PCだってべつにデータ消去するだけでよかったのに、バカだなぁ。


 昼に一度帰ってきてくれた源三から、新しい住処については教えられている。

 わざわざ地図も書いてもらったので、それを頼りにさせてもらおう。


 夕暮れの道をトボトボと歩く。


 ゲームの世界だかなんだか知らないが、景色は俺のいた現実となんら変わらない。


 美しい夕焼けを見ていると、少しだけ胸が晴れた。


「さて、新しい人生、いっちょ頑張っていきますかー」


 きっと何かしら、いいことだってあるさ。

 考えてみれば顔と身体はいいモノをもらったわけだしな。お金が貯まったら、誰も拓真を知らない土地へ行くのがいいかもしれない。そこには夢見た美少女とのエロゲ展開だってあるのかも。


 ゆるく呟くと、背後から足音が聞こえた。


「——待ってください!」


 振り返ると紬祈が亜麻色の髪を振り乱しながら、息を切らして立っていた。


「どこへ、行くつもりですか」


 紬祈は荒い吐息のまま問いかける。


「目、覚めたんだ。よかった」

「あなたが見ていてくれたとお母さんから聞きました」

「暇だったらから家にいただけだよ」


 だんだんと彼女の息が整っていく。

 それを確認して、俺は答えを返した。


「家出しようかと思って。ああ、家出って言ってもちゃんと親父には言ってあるから」

「ダメです」

「え……?」

「行かせません」


 きっぱりと言い切った紬祈は確固たる意志を宿した瞳でこちらを見つめている。


「それは……どうして?」


 額を汗が伝う。自分よりずっと小さな少女の気迫に呑まれてしまっていた。


「俺はキミに酷いことをした。キミと一緒にいるべきじゃない」

「でも、あなたは心を入れ替えました」

「っ……!?」

「昨日までのあなたと今日のあなたは、まるで別人のように違って見えます。私には、今のあなたが悪い人だとは思えません」


 紬祈はすべてを見透かしているかのように言葉を紡いでいく。彼女が見ているのは、もしかしたら拓真ではなく俺なのかもしれない。 

 心臓の鼓動が激しくスピードを上げていくのを感じた。


「いや、簡単に人は変わらない。俺みたいなやつをそんな簡単に信じちゃいけないよ」


 それでも月城拓真であることに変わりない俺が彼女と関わるべきではない。

 彼女への暴虐の限りを思えば当然だ。拓真は悪しき記憶だろう。

  

「信じさせたのはあなたです。あなたの誠意を私は受け取りました」


 しかし紬祈は俺の言葉を受け止めつつも、その姿勢をまったく崩さない。自分の意見を貫き通す。


 ああ、そうだった。有佐紬祈は、とても強い女の子。ゲームでも彼女は最後の最後になるまで、月城拓真に心を明け渡さない。強い芯を持っているのだ。


「散々弄ばれた借りだって、すでに返しましたし」


 ふふんと紬祈は満足そうに胸を張る。


「ビンタ、お見舞いさせていただきました」

「ああ……」


 頬——いや、胸は未だにズキズキと痛んだ。

 紬祈はあのか弱い一撃だけで、あの吐き気を催すような悪意をチャラにしたつもりでいるらしい。


「あれは痛かったな……」

「そうでしょうそうでしょう、恨みをいっぱい込めましたから」

「そっか。そりゃ痛いはずだ」

「はい」


 それに、と彼女は平手打ちした右の手のひらを撫でながら瞳を細めて、しとやかに呟く。


「私の純潔だって、守られました」

「…………っ!!」


 その言葉を聞いた瞬間、脳が弾けて、記憶がリフレインした。


「それだけで充分ですよ。私はまだ、淑女でいられます」

 

 そう、清楚可憐なヒロインたる彼女はまだ恋人との行為に至っていない。

 そこに拓真は目をつけて、とあるルールを設けた。紬祈が自ら拓真を求めたときが、その初めてを奪うとき、と。それはひどく悍ましいゲーム。紬祈から決定的な一言を聞き出し、心を堕とすために拓真は快楽調教を施していく。

 それらは全て、拓真自身の愉悦のためだったはず。

 しかし調教は途中で終わりを告げた。もう2度と繰り返されることもない。


 まさか忌むべきその手法が、回り回ってせめてもの救いになるなんて……。

 どうやら俺は彼女にとって最も大切と言えるようなものを守れていたらしい。


 目頭が熱くなっていく。


「ありがとうございます」


 そう言って笑った紬祈の瞳にも、涙が浮かんでいた。

 彼女は涙を拭ったのち、ここまでの話をまとめるかのように続ける。


「心を入れ替えたあなたを、私は信じると決めました」


 なんて強く、優しく、美しい少女。

 だからこそ俺はそれがたとえ俺にとって最悪の寝取りゲーだったとしても、かつて彼女に一目惚れして良かったと思う。


「家から出ていくなんて許しません。私たちは家族なのです」

「……ああ」

「さぁ、一緒に帰りましょう? 拓真さん————いいえ、兄さん」


 俺、月城拓真は有佐紬祈の兄として、家族として、あの家で暮らすことを決めた。

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