第2話 奴隷解放

 紬祈は恐る恐るゆっくりとこちらへ近づいてくる。目の前までくると両膝を床について、股間のあたりに視線を合わせた。


 そして、するりと俺のズボンが下ろされる。


「なっ!?」


 紬祈の鼻先数センチで露わになるボクサーパンツ。すんと鼻を鳴らした彼女はわずかに顔を顰めながらも吐息を漏らし、そのままパンツへと手をかけた。


「で、では……ご奉仕、いたします……」


 奉仕って……やっぱりそういうことなのかよ……!?


 冒頭で義母と共に連れられ義妹になった紬祈は拓真によって媚薬や酒を盛られ、意識の朦朧とする状態で身体を弄ばれる。その時に撮られた動画を脅しに、愛する彼氏がいるにも関わらず拓真の言いなり奴隷になってしまうのだ。


 現在はそこからすでに数週間が経っていた。つまり、紬祈は脅され、何度も調教を受けている。


 その証拠が、拓真が紬祈に仕込んだ習慣。


 朝からご主人様の性欲を発散させるのはメス奴隷の仕事だと教え込まれている。


「くっ…………」

 

 ————そんなの、間違っている。


「やめろっ!」


「えっ……?」


 俺は紬祈の肩を掴んで引き離し、すぐさまズボンを履き直した。


「もうこんなことしなくていい」


 義妹を奴隷にするだなんて、許されるはずがない。


「あ……な、なんで、私、なにか粗相をしてしまいましたか…………!?」

「え、いや、そうじゃなくて……」


「ご、ごめんなさい! ちゃ、ちゃんとします。なんでもしますから……あなたの言う通りにしますから、動画をネットに流すのだけはやめてください……! お母さんに迷惑かけたく……ないです……!」


 そう言って紬祈は自ら縋りつき、再び俺の股間へ手を伸ばす。


 彼女が恐れているのは動画の流出。

 物語中盤の彼女は叛逆の糸口を探しながら、仕方なく拓真の指示に従っている状況だ。


 心は堕ちていない。

 それを助かったと、言うべきなのだろうか。

 ここはまだ引き返せるラインのはずだ。


 俺は彼女を引き剥がして机に向かう。


 ノートPCを起動してパスワードを打ち込むと、とあるフォルダを開いた。


「見てくれ」


 そこには拓真が撮影した、紬祈の痴態が収められた動画が保存されている。


「それから、こっちも」


 掲げて見せたスマートフォンにも、いくつかの動画が格納されていた。


「え……? なんで、それ、私に見せて……?」


「こうするからだ」


 次の瞬間、俺はスマートフォンを力任せに真っ二つにへし折った。続いてPCも同じようにぶっ壊す。SDカードなんかも全てだ。


「これでキミを縛るものは何もない。奴隷なんてしなくていい。奉仕なんて馬鹿げたことはやめるんだ」


「そんな……ウソ、です……あなたがそんなことする理由がない。どうせ他にも、データがあるんでしょう? そうだ、そうやって私の反応を見て、楽しんで……」


「違う。信じてくれ。データはもう残されていない」


 俺はその真実を拓真自身の記憶で知っている。


「うそです……うそ……」


 しかしそれを、彼女に証明する方法はない。


 だから俺に残された選択肢は、あとひとつだけだ。


「今まですまなかった」

「————っ!?」


 でかい身体を折り曲げて、紬祈に頭を下げる。

 彼女を傷つけたのは拓真であり、俺ではないけれど。拓真の記憶と身体を持つ俺はもう、完全な他人というわけでもないのだろう。


 俺なりの誠意を見せるべきだ。


「俺はもうキミに何もしない。キミは自由だ」

「……ほ、ほんとうに?」

「ああ、本当だ」

「私は、自由…………」


 紬祈は放心したように、自らの手のひらを見つめる。

 それから押し寄せる感情を爆発させるかのように肩を震わせて立ち上がり、涙の浮かぶ瞳でこちらを睨みつけると……


 ————パンッッ。


 俺の頬を平手打ちした。


「最低です……あなたは」


 その言葉は拓真に投げかけられたものであるはずなのに、今まで経験したことがないような痛みと共に心の奥深くへ突き刺さった。


「でも……よかった……」


「……あ、おいっ!?」


 紬祈はフッと身体のチカラが抜けてしまったかのように、そのまま意識を失った。


 倒れそうになった紬祈を慌てて抱き止める。目を覚ます様子はない。

 呼吸はしっかりしているし、特段身体に異常があるわけではなさそうだ。


 安心、してくれたのだろうか。それならいいなと思う。今はきっと、眠るべきなのだ。


 拓真の部屋に寝かすわけにもいかないので、このまま抱き上げて紬祈の部屋へ運ぼう。


「軽っ……」


 紬祈は羽のように軽くて、簡単に持ち上がった。それは拓真の筋肉がなせることであり、彼女がそれほどに痩せているということでもある。


 よくよく見れば、可愛らしい顔は少しやつれていた。やるせない気持ちでいっぱいになる。


 紬祈の部屋には物がまったくなかった。拓真の部屋も相当に閑散としていたが、それとも比べ物にならない。  

 ベッドと勉強机があるだけだ。

 とてもじゃないが、年頃の女の子の部屋には見えなかった。


「っと……あんま見るもんじゃないよな」


 紬祈をベッドに寝かせる。


「ゆっくりおやすみ」


 そうして俺は部屋を後にした。


「あらあら。紬祈ちゃんが倒れたって……大丈夫かしら……」


 詳細を省きつつ紬祈の容体だけを伝えると、義母の瑞祈みずきさんは朝食準備の手を止めて心配そうに呟いた。

 紬祈と同じく亜麻色髪で、年齢を感じさせない若造の美人だ。


「たぶん疲れてるんだと思います。少し寝かせてあげれば良くなりますよ」

「そーお……? 今日は日曜日だけど、私も源三さんもお仕事なのよねぇ。私だけでもどうにかお休みもらおうかしら」


 のんびりとした口調の瑞祈さんはあまり苦を感じさせないが、なかなかに社畜だ。


「俺が見ておきますから、心配しないでください」

「あら本当? じゃあ、お願いしてもいいかしら、拓真くん」

「はい、お任せください」


 元の俺はコミュ障だったはずなのたが、不思議とふつうに会話ができた。これは月城拓真の影響なのだろうか……?


「本当にいい子ね、拓真くんは♪ お母さん、助かっちゃうわ♪」


 瑞祈さんは拓真の本性を知らない。

 家族の前で拓真はあくまでいい息子であり、兄だった。

 瑞祈さんの笑顔は信頼の証。

 その裏で拓真が紬祈にしていた仕打ちを思うと、胸が締め付けられた。


 それから俺は、テーブルで新聞を読んでいる拓真の実の父・源三の元へ出向く。


「父さん、話があるんだけどいいか?」

「……どうした、おまえが俺のことを父さんなどと……」

「あ、ごめん……親父だな。親父。うん」

「ふん」


 誤魔化すと、源三は鼻を鳴らして視線を切った。

 源三は厳格で立派な人だ。

 早々に妻を失ったにも関わらず、男手ひとつで金を稼ぎ続け、拓真に何一つの不自由をさせずに育ててきた。

 

 とりあえず、NTR系でよくある父親もクソ野郎ってパターンはないから安心だ。

 

「で、どうした?」


 厳しくも優しい源三は自ら会話を戻してくれる。


「家を出たい」

「…………そうか。いつからだ」

「できれば今日中にでも」

「わかった。部屋は知り合いに頼んで手配しよう。金も心配しなくていい」

「ありがとう」


 話が早くて本当に助かる。


「……すまなかったな、拓真」


 おそらく源三は、突然の再婚が拓真にとって負担になったと考えているのだろう。


「親父は悪くないよ。俺の問題だから」

「…………そうか」


 俺に言えるのはそれくらいだった。

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