第4話 蝶の舞い降りる場所
「あの人は、蝶が好きだった人でね」
お祖母ちゃんが、窓の外を見て話す。小さな家の小さな庭。庭にはミカンの木が何本か植えてある。他にはエノキや山椒、知らないトゲの多い木もある。その木々の中でアゲハチョウが舞っている。卵を産みに来たのだろうか。
「この庭もそうして丹精してたのよ」
がらんどうになった本棚。本は総て古本屋さんに来てもらって売ってしまったという。
お祖母ちゃんの本も含めて全部手放したのだそうだ。本に埋もれてるかのような、何処にでも本があった家なのに、今は一冊も無い。
それからは本を買わなくなったとお祖母ちゃんが言っていた。もう一度読みたい本があったとしても、手放してしまった本に申し訳なくってねと。
「ほら、今は小説を読むならスマホでも読めるでしょ」
活字中毒は相変わらずらしいが。電子書籍も本だと思うが。
「手放すなら、3ヶ月のうちなんですって。そうでないと思い切りがつかなくなるって聞いたわ」
僕が欲しい本も幾つかあったのだが、お祖母ちゃんは僕がそれを口にする前に総て売り払ってしまった。
「自分が気に入った話や好きな話はいくらでもするけど、関心が無い事に関しては無口でね」
くすっとお祖母ちゃんが笑う。
「そういう意味では、かわいらしい人だったのよ」
僕にとって、祖父は厳しい人という印象が強い。でも、ニタッて笑って色んな面白い話をしてくれた。よく山に連れて行ってくれた。
そもそも僕が大学で生態学を専攻しているのは、祖父の影響だと思う。
「あれ、こんな所に古本屋なんてあったっけか」
久しぶりに来た場所だったということもあったが、見覚えのない本屋がある。ぱっと見ると古本屋のようだ。時間的にも余裕があったので、入ってみることにした。
(この本屋、いいな)
生物関係や民俗学関係が古い本から新刊まで様々な品揃えだ。地質関連の本もある。
特に昆虫関係の本がなかなか充実している。世界各国の図鑑までそろっている。ブータンやマレーシア、ブラジルの蝶類図鑑、台湾の甲虫図鑑、北アメリカ大陸の哺乳類図鑑などなど。
それから植物図鑑も幅広く置いてある。日本だけでなく中国の植物図鑑が何種類かある。オーストラリア、ネパール、台湾の植物図鑑などがある。ランの図鑑も幾つもの国のものがあった。『ORCHIDS from Curtis's Botanical Magazine』ってこれ、祖父が持っていた本と同じだ。確かネパールで購入したと聞いた。
片隅に古い地図帳も置いてある。ちょっと立ち読みしてみると、国境が今とは全然違っていて、それはそれで興味深い。
学会誌も充実している。結構古いバックナンバーもある。
店の人に聞いたら、カード払いは出来ないと言われた。現金のみの取り扱いだという。
(今時、珍しい店だな)
一旦店を出て銀行に行き、お金を引き出すと何冊かの本を引き抜いた。そうして書棚を見ていくと、一冊の絵本に目がいった。
(この本も、見たことがある)
祖父母の家で見せてもらったことのあるオオムラサキの絵本だ。懐かしくなって、ついその本も手に取り、そのまま購入した。
オオムラサキの絵本を持ってお祖母ちゃんの元を訪れたのは、その数日後だった。
「お祖母ちゃん、この本覚えてるでしょ。この前、古本屋さんを見つけてね、そこで売ってたんで買ってきたんだ」
お祖母ちゃんはその本を手に取ると
「こんなことってあるのね」
と小さな声で呟いた。僕には何を言っているのか聞き取れなかったけど、なにか喜んでいるようなのでいいかと思った。
「気に入ったんなら、置いてくよ」
「あら、いいの」
お祖母ちゃんは嬉しそうだった。
それからしばらくしてお祖母ちゃんが失踪した。家は荒らされた様子はないし、鍵もしっかりとかけられていた。
遺産の取り分やどこになにがあるかなど総て記した書き置きと、遺言書がテーブルの上に置いてあった。
お祖母ちゃんはどこかで自殺したのだろうと、周りは噂している。なぜならば通帳も何もかもが残されていたからだ。書き置きに場所などが明示されていて、引き出しの中もきちんと整理されていた。着の身着のままでいなくなったのだ。
失踪届が出された。
ただ、あのオオムラサキの絵本だけが無くなっていた。
なぜかこの家は僕が相続することになっていた。なんとなく、あの本の代金なのだと思った。
お祖母ちゃんは、きっとどこかで生きていると僕は思っている。
庭を見ると、ミカンの木が葉を喰われて丸坊主になっていた。
あの古本屋にもう一度行こうとしたが、どこにあったのか思い出せないでいる。
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