第6話 ありがとう。

「それで、もう体調は大丈夫なの?」

「うん、もう平気!」


 リビングのダイニングテーブルに向かい合って2人は座る。

 エイリスは後ろのキッチンで洗い物をしている。


「そうか、なら、本当に良かったよ……」

「……あーっ!泣かないでよぉ〜!」


 ユフィはまた涙目になっていく。もう3回ほどこのやり取りを繰り返しているが、一向に泣き止む気配がない。


『なあ、ルリ。ユフィ君ってこんなに泣き虫なの?』


 ヤナギは声のトーンを落として尋ねる。


「いやぁ、逆に今まではこんなに泣いたことなかったよ」


 ルリも声を潜めて答える。そして、机に置いてあるコップを手に取ると、本日4杯目の、フルーツジュースを一気に飲んだ。


「……僕、騎士なのに、ルリを守れなくて。逆にルリに助けられちゃってさ。いつも僕はルリに助けてもらってばかり」


 ユフィはボソボソと答える。唇を噛み、机に置かれた手をグッと握りしめる。

 

「いやー、でもさ、ユフィが魔法で弱らせてくれたからだろうし」

「いや、そんな風じゃなかったじゃないか。飛び上がってたったの一撃で」


 ユフィは声を張って話す。ルリはひきつった笑顔で聞いていた。

 ルリは気絶していたから、サーベルラビットを撃退したのはヤナギである。


「ルリが音もなく飛び上がって、空中でグサッと一撃だったじゃないか!」

「え、あーいやぁそれほどでも」

「どうやったのさ!」

「あっ!えっとぉ、そのぉー」

「あの時のルリは一体何が起こってたの?」

「あの、えっと」

「あの時のルリは、本当にルリなの?」


 違いますー!……なんて、言えば自体がもっとややこしくなるのは明白だった。


「ねえ、あとで私にも教えてよ」

『わかった。ただちょっと話が複雑だからあとでな』

「わかった」

『ともかくごめんな、ルリ。もうちょっとおとなしくやりゃあ良かった』


 ヤナギが申し訳なさそうに呟く。

 だが、あの場面でヤナギがいなければ死んでいた可能性だってあった。ヤナギをとがめることはできない。

 しかし、どう説明したものか。ヤナギという別人格が、一時的にルリの体を使ってた、なんて言っても信じないだろう。

 だが、理由を言おうにもその時はルリは気絶をしていた。思考を巡らすには材料が足りない。

 それでも、思いつけ、思いつけ!と、ルリは思考を巡らせる。

 するとその様子を静かにじっと見ていたユフィがルリにつぶやいた。


「……ごめん、やっぱ聞かない」

「……へ?」

『……えっ』


 ルリは意表をつかれ、裏声で答えてしまった。

 つられてヤナギの気の抜けた声が聞こえる。

 ユフィは拳を握りしめ、ルリのほうへと視線を向ける。その肩は、少し震えていた。


「だって、理由を知ったところで、僕がルリに助けてもらった事実が変わらないでしょ?」


 それよりも……。ユフィは握った拳を爪が食い込むほどにさらに強く握りしめる。そして、固く閉じられた口をこじ開けるように言った。


「僕は騎士としてルリに同行したのに、何もできなかった自分が悔しいんだ」


 騎士道。その精神を、村の守人である父から教わり続けたユフィは、今回ルリに助けられたことが、恩であるとともに酷く苦しいかった。

 エイリスとの約束。そして自分の決心がなされないまま情けなく帰ってきた自分が許せなかった。

 ユフィは真面目だ。だから気を負いすぎる。


「だから、だからっ!」


 震える肩と手。また、ルリの目には涙が溜まっていた。


「ユフィ君」


 すると、キッチンの方からエイリスが話しかける。

 ユフィは肩をピクッと震わせ、どこか怯えている様子を見せた。

 エイリスは机の方まで歩いて向かうと、ユフィの横にしゃがみ込んだ。


「怒るわけではありません。だって、あなたはルリをしっかり連れて帰ってきてくれたではないですか」


 エイリスは優しい声で、包み込む様に言う。


「きっと、お兄さんやご家族には色々と言われているのでしょう。ルリが倒れたことを咎められたりしたでしょう。それでも、あなたはこの現実に逃げたりせずに、一昨日も昨日も、お見舞いに来てくれたでしょう?」

「……」

「特訓も、欠かしていないでしょう?」


 ユフィは静かに頷く。


「あの時、もしルリが1人だったら、無事に家へ帰ることはできなかったでしょう」

「で、でも僕に力があれば!そもそもルリが倒れることなんてなかったかも」

「……それは違いますよ」


 ポン、とエイリスはユフィの頭に手を置くと、静かに、優しく撫でる。


「力があることだけが騎士ではありません。あなたは奇怪な状況から、村へ無事にルリと共に帰るという判断をしました。あの時もしこうであればという後悔なんて、いくらでも思いつくでしょう。そうではなく、例えば王国の聖騎士長であれば、この先同じ状況になった時に、今度こそ力不足を反省しない様に努力するのではないですか?」


 エイリスの言葉に、ユフィはハッとする。


「とにかくです。ユフィ君もまた、ルリの命を救った恩人なのですよ。ルリの侍女として、あなたには感謝しかありません」


 エイリスは立ち上がると、スカートをつまみお辞儀をする。


「ルリを助けていただき、ありがとうございました」


 静かに、そして心からの言葉。ルリも椅子から立ち上がると、エイリスの横に並ぶ。


「私も、お礼遅れちゃったけど。助けてくれて本当にありがとう!」

『大義だよ少年!助かった!』


 ルリ、そしてその横にヤナギが現れる。そしてエイリスに倣って、深々とお辞儀をした。

 ユフィは最初はオドオドとしていたが、少しずつ落ち着気を取り戻すと、ゆっくりと立ち上がった。

 そして、エイリスたちが頭を上げた瞬間、入れ替わる様にユフィが勢いよく頭を下げた。


「ルリ!あの時は助けてくれてありがとう!僕、もっと強くなって、次こそはルリを守れる騎士になるから!」


 ユフィは叫ぶ様に言うと、勢いよく頭を上げた。

 そこにある顔は、もうさっきまでの泣き虫の顔ではない。


「ユフィ君はそうでなければ。これからもルリをよろしくお願いしますね」

「よろしくね!ユフィ!」

「うん!」


 外を見ると、空は茜に染まり日は沈みかけていた。

 それを見るとユフィは驚き、焦りながら言った。


「ごめん!夕方に兄さんに稽古をつけてもらう約束をしてたから!」

「そっか!稽古がんばれー!」

「応援してますよ。ユフィ君」

「はい!がんばります!」


 ユフィを玄関まで送る。忙しなく靴を履き、道へ飛び出していく。


「じゃあ、またね!」

「うん!また」

「あと、エイリスさん」


 ユフィはジタバタした体を落ち着けると、深々とお辞儀をした。


「ありがとうございました!僕、これからも正しい騎士になれる様努力します!」

「……ええ、ぜひ。立派な騎士になってくださいませ」


 ユフィは頭を上げると、夕焼けの方へと駆けて行った。エイリスとルリはその背中に手を振る。

 なんだか、ユフィにかなり迷惑をかけていた様で申し訳ない気持ちがいっぱいだった。


『ルリは悪くないよ。ボクが余計なことをしちゃったからね』

「そんなことないよ。ヤナギのおかげでそもそも助けられたのだから。ありがとう」


 ルリはヒソヒソと呟く。


「では、戻りましょうか。夜ご飯の時間ですから」

「うん!あ、でもお腹タプタプかも」

「……ジュース、飲み過ぎですね」


 エイリスはルリを見るなり深くため息をついた。しかし、また柔和な笑みを浮かべると「まあ、今日はルリの復活記念ですから、豪勢にいきましょうか」と言い漏らした。


「やったね!」


 ルリはスキップしながらリビングへと戻る。

 明日はもちろん何もない!今日はグータラするぞーと意気込むルリ。


 明日もまた、新たな非日常が訪れることも知らずに......。

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