第5話 指輪の少女 ヤナギ!
ぶつけた頭をさすりながら、ルリは自室の部屋の扉を閉める。
日の当たる角部屋。ナイフや魔導書が置かれただけの木製の机とベッドしかない小さな部屋。ただ、小さいからと言って別段不便を感じてはいない。逆にズボラなルリにとってはこのくらいの方が取り回しがいいとも言える。
ベッドの前まで行き、背中から倒れ込むように飛び込んだ。柔らかいマットレスがルリの体を弾き返す。ギシギシっとベッドの足が唸る。
「しっかし、どうしたもんかなあ」
ルリは右手の中指についた青く輝く指輪を眺める。
光に照らされて、星のようにキラキラと輝くそれは、リングそのものが宝石であるかのように高級な雰囲気を漂わせる。
ルリは左手でつまむように指輪を持つと、指から取るように引っ張る。
「フンヌぅ!!……っだあ~!だめだあ」
指輪は相変わらず、右手の中指に張り付いたかのように取れなかった。
『取れないよ。引っ付けちゃったから』
「そうだよねー。やっぱ引っ付いちゃってるのか……ん?」
1人しかいないはずの部屋。なのに声がする。少しこもったような声がする。
ルリはきょろきょろと部屋中を見回す。
すると、窓の外に誰かが立っているのが見える。
ショートカットの白髪の少女が、ニコッとした顔で部屋の中をのぞいている。
「……えっ?」
いやいや、そんなはずがない。だってその窓の先は
窓をに釘付けになっていると、少女はルリへと表情をそのままに手を振った。
いやいやいや。おかしい。ルリは両手で強めにごしごしと目をこする。
そして、再び目を開けて窓を見る。するとそこに少女の姿はなかった。
さっきの声は確か、あの時聞いた声に似ていた気がする。
サーベルラビットを撃退した時の声に。
しかし、さっきの少女はなんだったのだろうか。と、顎に手を当てて考え込んでいたその時、肩に誰かの手が置かれる。
「こっちだよ。ルリちゃん」
「ひゃあっ!」
右耳、ゼロ距離から、少女の声がした。ルリは急いで振り返ると、そこには、先ほど窓の外にいた少女の姿があった。
しかも、顔が目の前にある様な状態で。
少女の青い瞳は息が掛かるほどの至近距離で、にやりとルリを見つめていた。
ルリは驚いて、背中から床へドカッと転げ落ちた。
「ふげえっ!」
『あははは!やっと驚いてくれたよ!』
少女は驚いた様子のルリを笑い飛ばしていた。ルリは体勢を立て直して、ゆっくりと立ち上がった。
相変わらず、笑っているその声、ルリにはやはり聞き覚えがあった。
間違いなく、あの時助けてくれた少女だ。
「あなたが、指輪の人、なのですか?」
ルリはすかさず母親のことを思い出す。母はルリの同じ茶髪で、落ち着きのある優しい人......。
「お母さんではない」
ルリは泣きたいような、不思議な感覚に見舞われた。すると白髪の少女はバツが悪そうに呟く。
『だぁーっ!こうなると思って明るく出てきたのにー。さっきの話聞いちゃってから登場するなんて敷居高すぎだって!』
「あっ、ごめんなさい」
ルリは頬を叩き、落ち着いてから白髪の少女へと顔を向けた。
「やっぱり、この指輪にいるのですか?」
『そうみたいだねー』
「じゃあ、あの時助けてくれた人はあなたですか」
『あの時?ああ、へんなウサギを倒したときのことかな?』
「そうです!」
母ではなかったが、どうやらこの少女がルリを助けてくれた人物らしい。ならば、ルリはまずやらねばならないことがある。
ルリは姿勢を正して、ベッドの方へと体を向ける。
パジャマの裾の左右を両手でつまむ
『……ん?どうしたの?』
少女の頭の上に?が浮かんでいる。
両者じっと目を合わせたまま、静かな時間が流れる。
そして、おもむろにルリは深く頭を下げた。
裾を少し持ち上げ、右足を後ろへ、クロスする様に運ぶ。
まるで社交会の挨拶の様な、それはお上品な雰囲気を漂わせる。
「あの時は、私と、ユフィを助けてくれてありがとうございました」
ゆっくりと、ハキハキと、ルリは目を瞑り、一生懸命に伝えた。
『……えっ、ええ!』
敬われた少女は、それはひどく困惑した。
――――――――
『いやあ、驚いたよ。ていうか、なんでボクの方が驚いてんのさ!』
ベッドに並んで腰をかける2人。ルリはキョトンとした顔で少女を眺めていた。
少女は一言で言うと、真っ白。短めの髪も、肌も、1枚だけ着ている、ブカブカの長袖のシャツすらも、何もかもが真っ白なのだ。
しかし、唯一瞳だけは青く、大きな瞳がまるで等身大の人形なのではないかと思わせる風貌だった。
『……何見てるの?』
「あ、いえ。綺麗だなと思って」
『あら、そうなのかしらん?』
ニコッと笑顔で返す少女。その笑顔すら、どこかの絵画の様な美しさを感じる。
「あなたは指輪に宿った精霊なのですか?」
『精霊?いやぁ、ただの人間だよ』
「人間?どうして指輪に?」
ルリは連続的に質問をぶつける。少女はそれに笑顔で答える。
しかし、指輪に関して質問をした時、ふいに少女の表情が暗くなった。
ルリは何か変なことを聞いてしまったかと、自分が言った内容をあわあわしながら反省する。
「えと、あの、すみません。何かお気に障ることを……」
『ああ、いやあごめん。気にしないで』
さっきまで、おちゃらけていた少女だったが、急に考え込む様に頭を抑える。
すると、決心した様に無理な作り笑いをして言った。
『その、身体を奪われちったっぽい!』
「奪われた?!」
『そう!』
両手の人差し指を立て、ルリへと向ける。
ルリは中指についた指輪を眺める。もしかしてこれは、異世界のものなのか。もしかして私はとんでもないものを受け取ってしまったのか。
相も変わらず青く輝く指輪。そういえばこの鮮やかな青は、少女の瞳の色に似ている気がする。
『まあ、簡単に言うとね』
「はあ。まったくわからないですが。それであなたは、身体を探しているのですか?」
『そうなのかな?』
体を奪われた人。ルリは、話が頭の中でごった返して、整理が追いつかない。
母の形見から出てきたから、最初は母の霊かと思ったが、顔つきも雰囲気も声も違う。彼女が一体何者なのか。得体の知れないものを目の当たりにしているが、恐怖よりも好奇心が湧き出て止まらなかった。
すると、少女は言い終えると、わあっ!と大きな声を出しながら立ち上がった。
『はいはい!こんな暗い話はやめだ!』
少女は最初のにこにことした調子へと戻る。
『ところでさ、名乗ってなかったよね』
「あ、そうですね。まだ名前を聞いてませんでした」
『おーけー。ボクの名前はヤナギ!よろしくね!』
「私はルリ=アイルーンです」
「おーけールリちゃん。よろしくね」
少女ヤナギは、それと……と付け加えるように言った。
『敬語はやめてくれないかい?ちょっと話しづらいしさ、寄生してるのはボクの方だから敬われる筋合いはないでしょ?』
「え、いや、でもあなたは命の恩人ですから」
『じゃあ、恩を返してくれ。敬語をやめるってことで!あと、ボクのことはヤナギって呼んでくれ。精霊って言われんのはちょっと気持ちが悪いし』
ヤナギは顔を近づけ、詰めるように言った。
「わ、わかった、ヤナギ。こ、こんな感じでいい?」
「うん!バッチグーよ!」
「じゃあ、私のこともルリちゃんじゃなくてルリって呼んで」
「おっ!いいね。よろしく、ルリ。ボク達はこれで友達だ!」
少女は心底嬉しそうに笑った。
ルリもまた、この奇妙な出会いを、そして村で2人目の友人をうれしく感じた。
異世界の少女と、私。ルリはまるでおとぎ話の中に入ってしまったかのようで、夢ではないかと強く頰をつねる。
うん、ちゃんと痛ぇ!現実だ!
ヤナギはヤナギでホッとしていた。ヤナギはもっと、ルリが怖がってしまって、仲良くなれるのはまだまだ先だと思っていた。だからこそ、最初はフランクに行こうと考えていたのだが......。杞憂だった様だ。
片や、ルリは好奇心が胸の奥からぞくぞくとあふれ出てくるのを抑えられずにいた。
さっき会ったばかりのヤナギという少女。彼女が何者なのか、いや、それよりもこれから自分はどうなるのか!ワクワクしているのだ。
ともあれ、ルリはこんな奇々怪々な出会いを楽しんでいた!
『……は、ははは!』
ヤナギは、ルリの様子を見て、おかしそうに笑いだす。
「どうしたの?」
『いや、普通こんな奇怪な状況、怖がるだろう?それを怖がらないで楽しそうなルリを見ていると、前の相棒を思い出してね。昔の相棒もボクと初めて会ったときにはこんな調子でね』
ヤナギは懐かしそうに語る。
所で、ルリはふと思う。前の相棒、そしてこの指輪は……。
はっとした表情を浮かべると、ルリは早口にヤナギへ問う。
「昔の相棒……前の……あっ!私のお母さんは?この指輪はお母さんが渡したものだって言ってたから」
ルリは食い掛るように話す。気圧されたヤナギは、焦りつつも思考を巡らせる。
「お母さん?って……えと、相棒の名前はアリスっていうが」
「そう!アリス=アイルーンは私のお母さん!」
ヤナギは目を見開く。そしてルリの肩を両手でガシッと掴んだ。
「ルリってそうか、お前!アリスの娘か!」
「うん!」
「アイルーンって、名前変わってるから!言われてみりゃあめっちゃ似てるわ!なんも考えずに、好奇心のままなトコとか」
「えっと、それはほめてないよね」
ヤナギは心底嬉しそうに笑う。一方のルリは心外な気持ちだった。
「アリスは元気か?ボクがこうなっちまってからは会ってないからさ」
「お母さんは死んじゃったよ。4歳の時に」
ルリは淡々とつぶやく。ヤナギは『そうか、すまない……』と小声でつぶやいた。
「……やっぱり、アリスは死んだのか」
ヤナギは少し悲しそうにつぶやく。そして、ヤナギはルリの様子をばつが悪そうにうかがっていた。
「私は大丈夫」
『そうか。お前は強いな。じゃあ、そうだな、せっかくだから昔話を少しだけしようか。ルリの母さん、アリスに出会ったときの話でも——』
ルリは静かに、耳を傾ける。あの時死んでしまった、母のこと。ルリは母親のことを全く知らない。父も、エイリスも、ルリに気を使ってか語ろうとしなかった。
しかし、ルリは本当は知りたかったのだ。自分の母のこと。母がどんな人だったのか。
ヤナギが話し始めた、その時だった。
「ルリ!」
ドカン!と、ヤナギの声ごと蹴破るように部屋のドアが開かれる。
そこへ入ってきたのは、背中に剣を背負った一人の少年だった。
村でずっと一緒の、たった1人の友人の声だ。
「ユフィ!」
「ルリ!よかった!」
ユフィがルリへと駆け寄る。ルリの前へと坐り込むと、声を上げて泣き出した。
「うわぁぁぁん!ほんとに、ほんとに!心配したんだ!」
「あ、アハハ。ごめんね、心配かけて」
ルリは泣いているユフィをあやしながら、部屋を見渡す。すると、さっきまで隣にいたはずのヤナギが消えていた。
『話はまた今度にしよう。まずはユフィ君とのお話が先だろうから』
脳内に流れ込むように声が聞こえる。ヤナギの声だ。
「そうだね。じゃあまた後で」
『ああ。あっ、あと返事をするときは人がいないときにしておきな。出ないと……』
すると、うつむいて泣いていたユフィが不意に顔を上げた。
「ル、ルリ?いま、何か言った?」
「え、いやあ?なにもぉ~!」
「あぇ、そう?」
ルリはあらぬ方向へと視線を向けながら、ごまかした。
しかし、ユフィはルリへ潤んだ目を向けたまま離さない。
うむ。まったくごまかせていない。
『はあ、全く。正直なところまでよく似てるよ』
ヤナギのため息交じりの声が聞こえた。
ヤナギは、人がいるときにはできる限りルリへ声をかけるのをやめようと思った。
ルリもまた、ヤナギの声への返事には気を付けようと思った。
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