第2話 あなたは
サーベルラビットが地を蹴る。浮き上がった体はまるで砲弾のごとく速度でルリを捉えていた。
ルリは両手で持ったナイフをぐっと強く握りしめた。そのまま迫りくるサーベルラビットと激突する。
ギギギギギギ!
サーベルラビットの突き立てた耳の先端と、ナイフがぶつかり合う。金属と金属のこすれあう音が、森中へと響き渡る。強風が吹き荒れ、あたりの木々から葉が落ちる。
ルリはぶつけたナイフを軸に、体を左へと流す。受け流されたサーベルラビットは、勢いよく弾き飛ばされていく。
「ひい!手がしびれる!」
ぶつかった際のびりびりとした感触が今だ手に残っている。
ふと手を見てみると中指に豆ができ、それがつぶれて血が出ていた。
「ルリ!右に避けて!」
ユフィの大きな声が後ろから聞こえた。ルリは素早くかがみながら右へと逸れる。
ユフィは剣を天にあげ、魔導書を左手に詠唱する。すると挙げた剣に白い霧がかかっていき、徐々に形を帯びていく。
四角い氷の塊。その角が徐々に研磨され、先端が鋭利になっていく。
「アイスランス!」
ユフィは掛け声とともに剣を振り下ろす。放たれた氷の槍は、ルリの真横を、先ほどのサーベルラビットの軌道を順番に通っていく。
俊足の槍は、その先に勢いを止めて振り返ったサーベルラビットの胴体を捉え、砕けて霧散した。
涼しい風と共に、あたりに煙のような白い霧が立ち込める。
「やったか?」
ユフィは氷の槍が当たったことを確認すると、うれしそうにつぶやく。
しかし、ルリは白い霧の中に、未だ平然とこちらを眺める赤い目が光っているのが見えた。
「だめ!まだまだやれてない!」
「うええ!もうこれで6属性目だよ!」
ルリとユフィの攻防はすでに5分を超えている。その間、サーベルラビットの突進は8回。
突進後の不意を突いて、ユフィはかれこれ6回ほど属性魔法を放ってきた。弱点属性を探るように火、水、土、風、雷、そして今放った氷と、属性を変えて攻撃してきた。
が、サーベルラビットにはまるで効いている気配を感じない。
「とにかく当て続けるしかないよ!そのうち倒せるかもしれない!」
「わかった。次はまた火から!」
ユフィはまた、魔導書に目を落とす。ルリもナイフを構えなおし、じっと集中力を高めてサーベルラビットを観察する。
立ち込める霧が晴れていき、傷1つない姿でこちらへと構えていた。
ルリは考える。どこに弱点があるのか。倒す術はあるのか。
もうすでにルリはサーベルラビットの攻撃を8回も回避している。いずれもナイフの刃を当てて突進をそらすようにしているが、その身体を切ることはおろか傷すらつけられていない。
「どうすればいいんだ……」
ルリはぼそりとつぶやく。
『上に弾き飛ばして、その落下に合わせて弱い部位に突き刺せばいいよ。おなかの皮膚はそもそも薄そうだし』
「なるほど、打ち上げれば……ん?」
作戦を提案され、ルリは次の動作を決める。
しかし、いま、ルリは一人でいるはず。
独り言が、会話になっている?
ルリの言葉をごく自然に、割り込むように声が聞こえた。それは少年か少女かわからない、中性的な声。その落ち着いた声が、ルリの耳元すぐそばで、ささやくように聞こえた。
ルリはあたりを見渡す。しかし後ろにユフィがいるだけで他に人影は見当たらない。
『お、聞こえてたみたいだね。落ち着いて。怪しい者ではないですから』
怪しい声はゆったりとした口調で言う。
「いや、誰なの?」
『うーんと、そうだな。簡単に言うと、君の指輪だよ』
指輪、と言われてルリはすぐに右手の中指についた指輪を確認する。
青い、きれいな指輪。見た目は何も変わっていない。しかし、先ほどエイリスにつけてもらった時には感じなかった、独特の感覚がする。
言うなればそれは、人の気配とでもいえるだろうか。
『ボクのことはいい。先にあの鉄兎をどうにかするよ!』
少女の声は、状況に反して余りにも元気に言った。
「……え、あ、うん!」
ルリもつられて勢いのまま返事を返す。確かに、この声の主は気になる。しかし、今はそれよりも絶体絶命の危機なのだ。ルリは藁にも縋る気持ちでこの声の主を受け入れることにした。
『まずは、後ろの少年に強化魔法をかけてもらって!』
「わ、わかりました!」
ルリはすぐに返事をすると、ユフィのほうへと振り返る。
「ユフィ!強化魔法!それを私にかけて!」
ユフィは炎の詠唱をやめて、ルリの方へ驚いた表情を見せた。
「強化魔法?!ルリ、肉弾戦を仕掛けるのはさすがに無謀じゃ」
「わかってる。でも、勝算があるかもしれないって!強化魔法を使えるのはユフィだけでしょ!お願い!」
「そ、そこまでいうなら……。わかったよ」
ユフィは戸惑いながらも詠唱を始める。ユフィからルリへと力の波が押し寄せてくる。それは温かい黄色の波。体にオーラのようにまとわっていく。
力がみなぎる。ルリのナイフを持つ握力がみるみる強化されていく。
『来るぞ!』
少女の声にハッとする。サーベルラビットは地を蹴る。9度目の突進を仕掛けてきていた。
サーベルラビットの突進の速さが、今までで1番出ている。ルリはその勢いに負けないように、ぐっと地面を足で抑えて構えている。
『来たらナイフでバットみたいに打ち上げろ!ホームランだ!』
「ほ、ほーむ……ばっ……なんですかそれは?」
『ナイフで奴を真上へ思いっきり打ち上げろってこと!』
『いっけえ!』という少女の掛け声に合わせて、ルリは、言われるがままサーベルラビットが通り過ぎる瞬間、耳の先端を下から上へと持ち上げるように振り上げる。
すると、サーベルラビットの頭側が徐々に上のほうへと向いていき、ルリが腕を降りぬいたことを合図にくるくると回転しながら真上の空へ飛んで行った。
「成功したっ!」
『よし!ホームランだ!あとは落ちてくるタイミングに合わせて、こちらも勢いよく飛び込んでおなかにナイフを突き刺してやろう!』
少女の興奮した声が響く。彼女の作戦は成功した。しかし、ルリには不安が残っている。
「で、でもナイフは今まで全部弾かれてきたし、突き刺さらないよ!」
『勝機は今しかない!今なら強化魔法がある!それに、いくら更迭とはいえ位置エネルギーさえあれば、奴の腹の他より薄い装甲なら突き破れるはずだ!』
「確かに……。でも……」
ルリは空中に飛んで行ったサーベルラビットを見る。飛んで行った勢いは落ちていき、自由落下へと入っていく。
問題は、装甲ではない。奴の体はいまだにくるくると回転している。いや、先ほどよりも速度を増して回転する。
そう、縦に高速回転しているこの状態では、狙っておなかに刺すなど至難の業だ。
何しろ、サーベルラビットの耳は鋭利だ。もしその耳が当たろうものなら、先に持っていかれるのはルリの腕になってしまう。
「あれじゃ先に私の手が切れちゃうよ!」
『あー、まあ確かに。常人じゃあありゃあ無理か』
ルリは強く少女に訴える。
すると、少女は『うーむ、どうしたものか』と唸るような声を上げる。
「落下したダメージで倒せないの?」
『さっきまでの突進の勢いを体当たりで打ち消すほどの装甲だ。単純な落下だけでは倒すことはできないだろう』
すると、少女は決心したように言う。
『仕方ない。死にたく無いよね』
「……そりゃもちろんそうだけど、このままじゃ」
『今のこの状況から、君を助けよう。ただ、少しだけこの身体を貸して欲しい』
「え、それってどういう——」
『ボクが代わりに一撃で仕留めるってことっ!』
少女は少し申し訳なさそうに言う。すると、ルリはサーベルラビットの軌道を眺めながら、突然強烈な睡魔に襲われた。
目が少しずつ閉じていく。視界がぼやける。
「……うぁっ、な、にこれ」
『ごめんね。初めてだから、少しだけ寝ててくれ』
抗いようがないほど強力な睡魔によって、ルリはすぐに意識を失い倒れ込んでしまった。
—————————
後方にいたユフィはただ呆然としていた。ルリがサーベルラビットを打ち上げたかと思うと、今度は突然倒れ込んだのだ。
何が起こったのか必死に考えるが、考える度に頭がパニックになっていく。もしかして僕の魔法が何か不利益を生じさせてしまったのではないか。もうルリは起き上がらないのではないか。
ネガティブな感情がとめどなしにあふれ出てきて、みるみる恐ろしくなっていく。
「ルリ……ルリ!」
ただ茫然とルリを呼びかける。空中に飛んで行ったサーベルラビットなど、もはや眼中になかった。
しかし、その時だった。
「……う、い良し!成功したね」
ルリの声が聞こえた。
ルリの身体がゆっくりと起き上がり、目を開く。その目は、普段のルリの茶色いクリっとした目ではなく、ガラスのような青い瞳。
「……ルリ、本当にルリなのか?」
「ユフィ君だっけ。悪いけど、話はあと。君にはこのウサギの倒した後の後片付けと、ボクを村まで運ぶ仕事を頼むよ」
「……一体何を言ってるの?」
「多分だけど、片付いたら動けなくなっちゃうと思うから。いい?とりあえず、君は動けなくなったルリちゃんを運んでくれれば良い。あんだすたん?それよりボクはあのウサギをぶっ飛ばしてこないとね」
「えっ、ちょっ!」
呼び止めるユフィを他所に、ルリは思いっきり地面を蹴って飛び上がった。森に生えている木の高さを裕に超えて、サーベルラビットへと猛進する。
ルリは高速回転するサーベルラビットに真っ直ぐ突き進む。ナイフをサーベルラビットへ突き立てるように両手で持ち、真っ直ぐ突っ込む。
「危ない!」
ユフィは叫ぶ。
直後、サーベルラビットとルリのナイフがぶつかる。
10回目の対戦。今まで弾かれてきたすべてのナイフ。しかし、今回は違った。ぶつかった直後、先ほどまで止められない勢いだったサーベルラビットの回転がぴたりと止まっている。
そして、赤い液体がルリの手を伝う。
サーベルラビットの腹に深くナイフが突き刺さっていたのだ。
静かな森の風が吹く。それは嵐の後の静けさ。
ルリは空中で突き立てたナイフを思いっきり引き抜く。すると、先ほどまで強固にかかっていたサーベルラビットの「硬質化魔法」がみるみる解けていき、鮮血があふれ出る。
露わになったサーベルラビットの本来持つ白い体が、みるみる赤く染まっていった。
ルリはサーベルラビットの首根っこを掴み取ると、そのまま地面に真っ直ぐと落下する。
足から美しく地面にぶつかる。雷のような衝撃と、舞う砂埃。岩でも落ちてきたのかのような、ドカンという轟音が鳴り響いた。
「?!ルリ!」
舞い散る砂埃の中、ユフィは名前を大声で叫びながら急いでルリの元へと駆け寄る。
ルリはその場にあおむけで倒れていた。
「ルリ!大丈夫?!」
「……だぁー。やっぱだめそうだねぇ。あとは頼むよー」
絞り出すように笑みを返すルリ。その瞳は未だ透き通るような青色だった。
「何が、ルリ?どう言うこと?」
「……すまんな」
ルリはそう言い残すと、眠りに落ちるようにゆっくり瞳を閉じた。
もしかして死んでしまったのではないかと思い、急いで首に手を当てて脈を測った。
「.......生きてる」
ユフィは崩れ落ちるように膝をついた。
「それにしても、今のは一体?」
ユフィは今起こったことがまだ整理できずにいた。
今のルリは、ルリではなかったのか?でも、ルリの体で、ルリの声で……。
倒れたルリの顔をまじまじと見る。しかしその顔は、やっぱり幼馴染のルリだった。
あたりを見渡すと、もうすぐ夕方になるところだ。
「……取り敢えず、村に戻らなくては」
考えてもわからないことは後にすること。これは冒険の鉄則だと、ユフィは兄に言われた事を思い出した。
だから、先んじてやるべきはルリの安全の確保、そのためにも村に戻ること。
第一、青い瞳のルリに頼まれたのだ。達成せねば。
「帰るよ。ルリ」
ユフィは持っていた剣を収めると、ルリを優しく抱き抱える。
さて、村まではここから1時間ほど歩かなければならない。
ここから1時間、ルリを担いで村まで……。
「……重いな」
ボソリとそう言うと、ユフィは一度ルリを下ろし、魔導書を開くと自分に強化魔法をかけるのだった。
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