セント

 同じ敷地内だというのに、これまで私が過ごしてきた城とこの空間には、決定的な隔たりを感じる。よく言えば法術師達のおかげ、悪く言えば姫をもてなす場とは思えない、ということ。必要以上に澄みきった空気は、若干の居心地の悪さを感じる。彼らが私の身に何か起こらないよう、身を粉にして魔力を消費し、喉を枯らしながら祈りを捧げていることは分かっている。もちろん、彼らへの感謝を口にすることはあっても、過ごしにくいだなんて、口を滑らせたことはない。彼らを慮るというよりも、「聖なる力に違和を感じる!? 憑かれていますぞー!」となる可能性に気付いているから。やけに不自然な綺麗さってあんまり好きじゃないんだけど、まぁそんな人間らしい感覚はきっと理解してもらえないと思う。だってそうだ、私を人間扱いしているなら、きっとこんな風に閉じ込めたりしない。一人娘として、子孫を残すべきだというプレッシャーを感じずに育ってきたと言えば嘘になるが、さすがにここまで産む装置扱いされると、どうしていいか分からなくなる。


「どうしていいか、きっと私が考える必要は無いんだろうね」


 ここはお城の最西端。かつては西方の見張りを担う砦だったらしい。それが二つ前の国王様、つまり曽祖父が見栄えのために改装して、内装についてはわりと適当にされたまま父の代に王権が移った。私を閉じ込めるために慌てて中身を整えられた、ということで、この西の砦は私用の城のようなもの。いつまで閉じ込めることになるか分からない為だろう、父は家具や調度品など、一切合切を私の好みに染め上げた。

 私はというと、当然嬉しくなんて無かった。それら全てを合わせても、自由というものの価値とは釣り合わなかった。だけど、言えなかった。頭の悪い政策だとは思うけど、確かに父に任せるよりはマシかもしれない気持ちがあるから。

 父は父として嫌いではないけど、それとこれとは別。分かりやすく言うと、多分父は仕事ができないタイプで、さらに大きな決断などを自分で出来ないタイプである。カッコよく引っ張ってくれる人がいるなら、私だって自然とその相手との子供が欲しくなるはずだし、その子が国を継いでくれるならきっと嬉しいはずだ。


「今日も美味しかったわ。ありがとう」


 よそ行きの口調で、そう言ってベルを鳴らす。これは片付けの合図。聖域で身を清めた従者だけが私の砦に入ることを許されており、穢れを纏っている可能性のある者との接触を避けるための処置である。私は彼らに、この空間に入っていいというタイミングをこうして教えているのだ。

 そう、ここに閉じ込められてからの私は、基本的に人と会うことがない。身を清めているとはいえ、悪魔憑きがいないとも限らないので、接触は最低限である。私は食事や入浴などの場合を除き、自室に居ることを命じられている。

 つまり、私は砦の上部にある私室からほとんど出て過ごせない。これが二週間前から始まった、父の愚かな政策。要は愚策。砦全域にプロテクトを掛けなさいよ、と言いたいところだけど。姫としてありとあらゆる魔術、学問、競技に触れてきた私には分かる。地上から数人分の高さに位置する、私が居るこの空間を終日保護し続ける。これがどんなに並外れたことであるか。少し知識がある程度の人間には、きっと信じられないことだろう。「そんなことできるわけない」と言って笑われるのがオチだ。悪魔族という厄介なものから身を守る手段はいくつか存在するが、大抵は一瞬、手の届く範囲で、盾のように守ることができるだけ。時間問わず、部屋一つ分を、ずっと悪夢から守り続けるなんて、本当に気が狂っているとしか思えない。


 狭い自室に戻ると、窓の外を見た。外から私の姿は見えないようになっている。法術師さんがやってくれているのだと思っていたけど、清掃で少し話をしたメイドが教えてくれた。そういうものは、奇術師の仕事なのだと。どこかの奇術師のおかげで、今日も私は誰にも認知されずに窓の外を眺めることができる。それが嬉しいことなのか悲しいことなのか考えてみたけど、よくない結論が出そうだったから考えないようにすることにした。


「……静かになった」


 ここ数日、昼頃は騒がしかった。騒ぎの理由については理解している。父が武闘会を開いているのだ。私が幽閉されるよりも前から、外の国にも声を掛けて大々的に募集をかけていた。窓からは見えないけど、ここ数日の騒がしさとそれらのイベントは、きっと繋がっているはず。あぁ、メイドがもっと気楽にこの砦に出入りできれば、細やかな近況を聞けたのに。

 本当はたくさんのことが気になっていた。可愛がっていた馬は元気か、よく懐いてくれていた従兄弟は私の不在を嘆いていないか。だけど、それらを全て見えないことにして、私は武闘会のことだけを気にかけた。武闘会の優勝者が、私と子を成せば外に出られるのだから。

 直接言葉にされたわけではないけど、父の思惑については理解していた。というか、流れで考えるとそうとしか思えなかった。もし、大会優勝者がいたなら……。私には、相打ちなどで死んだりしていないことを祈ることしかできない。




 昼食後、窓の外がやけに静かになってから三日が経った。優勝者がせめてイケメンであることを祈ることにも飽きてきた。大変な偏見であることは百も承知で言わせてもらうけど、イケメンが武闘会で優勝する筈が無いし、そもそも景品不明の不気味な謎大会に参加する時点でやや終わってる。そう、この大会は私との婚姻を伏せて開催された。父は「そんな下心があるヤツは好かん!」なんて言ってた。選ばれる側の私に言わせれば、「優勝したけどぼく奥さんいるんですけど」などと断られる可能性が怖すぎるのだけど。

 下心があろうと無かろうと、婚姻の意思がない人も参加させるような真似をするなんて。父は本当にアホだと思う。他の国にも、変な話の渡り方をしていることを知っている。目的不明の大会、真意に迫る……! なんて記事を書かれているのも見た。ちなみに、それぞれの国力を測るためのものだという説が最も有力、ということになっていた。そんなワケ無いでしょう。自分の国の、というか自分の娘を犠牲にしてこんな大真面目に自分のことしか考えられない人が、隣国やらの国力を測るなんてできるわけがない。私の父をあまり侮らない方がいい。

 悶々としていると、ドアが開いた。突然のことに、体が強張る。私は、私室にいた。言いつけられていた、最奥の私室に。このドアを開ける者は、私以外に存在しない。メイド達が勝手に立ち入るのは手前のダイニングまで。彼女達は私室に入るとき、ノックを欠かさない。


「へ……?」


 本当に悪魔が来たのかもしれない。だとしたら怖い。窓の外を眺める顔をギギギと動かしてドアの方を見ると、若い男が困った顔で立っていた。


「えぇーめっちゃ悲しそうな顔してるじゃん」

「……!?」


 聞き間違いだと思う。すごく高い声が聞こえた気がしたけど、やっぱり気の所為だと思う。思いたい。私は自分の心を落ち着けるために、彼の容姿に注目してみることにした。金色の短髪から覗く青い瞳はとても綺麗で、すっきりと整った顔立ちをしている。人の容姿にケチをつけるようなはしたない真似をする必要は無さそう。はっきり言って、誰が見ても彼は美青年と言えるだろう。身に着けている鎧の細かな傷から、確かに歴戦の猛者であることも窺い知れた。

 良かったじゃない、フェドラ。あなたを手に入れたのはイケメンで、若くて、強い男よ。そうやって必死に自分に言い聞かせているというのに、青年はいとも容易く私の暗示を解いてきた。

「いやー本当にびっくりしたよぉ。賞品がすごいって聞いたから参加したのに。まさかお姫様が賞品とはね」

 名前も知らない青年は……いやもういいわ。名前も知らない女はそう言って笑った。ケラケラと、それはそれは楽しそうだ。ここに入るまでに法術師さんに色々な術を施されたから遅くなってしまったと、待たせた言い訳を始めたけど、私が弁明して欲しいのはそこじゃない。

 ねぇ。どうすんの、これ。


 とりあえず部屋にある小さなテーブルと椅子のセットに、彼女を座らせた。名はセントと言うらしい。セントは、何故自分がそんな大変な儀式を施されたのか、まるで分かっていない様子だった。


「あの、説明しますけど」

「いや、分かってるよ。ぼくらで子供作れってことでしょ?」


 さすがに、この城に入るまでに簡単な説明は受けてきたらしい。というか法術師達もおかしいと思わなかったのだろうか。いや、王が決めたルールに従うだけの者を悪く言うのは良くない。いややっぱり少し言う、優勝したからって女の人をここに連れてきてもしょうがないでしょ。そりゃ見た目は美青年かもしれないけど、声を聞けば女性だということは……いや、父のことだ。勘違いしたまま彼女をここに放り込んだ可能性は否定できない。


「そう、ですけど……」


 セントは何故、これほどまでに落ち着き払ってるんだろう。子供を作れだなんて無理を言われて。困惑しっぱなしの私を余所に、彼女は屈託なく笑った。一人称がぼくではあるけど、セントは女性だ。それもとても綺麗な。年の頃は私よりも少し上くらいに見える。私が一八だから、きっと二〇とか、まぁ二十代前半だと思う。子作りについて知らない年齢には、とても見えない。

 この部屋には、いや、この城には私達しかいないというのに、セントは少し声を潜めて話し始めた。


「ぼく、遠くの村の出身なんだ、ちょっと特殊な民族でさ」


 ……まさか? 女性に見えるけど男性とか? もしくは男性器があるとか……?

 世継ぎを強制的に生まされるなんて、家畜のようだと思ったこともあった。だけど、おじさんが来るとばかり思ってたから、なんかもうそれでいい。そういう仕組みがセントに備わっているなら全然受け入れる。わぁい、セントのちんちん万歳。


「特殊な民族って……?」

「みんなすっごいおおらかなんだよねー。だから細かいことは気にしないんだぁ」


 はい、おしまい。ばいばいちんちん。

 私は一人、もしかして訪れてしまうかもしれなかった女性との初夜に、心の中で静かに手を振る。そうだよね、そんな訳ないよね。亜人の存在は知っているけど、セントはどう見ても人間だ。いや、女性の身で大会を制してしまうだなんて、強さだけを見たら人外級なのかもしれないけど。


「んー。どうしよっかぁ」

「とりあえず、お城に戻って子供は作れませんって伝えるしかないと思う」

「やっぱり? 無理かな」

「無理だよ」

「そっかぁー。ぼく、旦那さんじゃなくて奥さん貰うんだぁと思ってたけど、だめかぁ」


 おおらかすぎるでしょう。話しててすごく癒やされるし、ほとんど人と話せずにいた私としては少し側に居てもらいたかったけど、引き止めてもきっとセントの迷惑になる。


「ねね、これ、食べていい?」

「あ、あぁ。スコーン? どうぞ」

「やったぁ!」


 テーブルの上に置いてあったそれを鷲掴みにすると、セントは迷うことなく口に運んだ。テーブルマナーの観点で見れば完全に0点なのだけど、何かの小動物みたいで悪い気はしない。

 そうしてセントの食事中、私達は少し話をした。遠くにあるというセントの村は、海沿いの集落で、とても綺麗な海の景色が広がってるんだとか。行きたいところがまた一つ増えてしまったことに、期待と、それと同じだけの切なさを覚える。世継ぎを産まないと、他の国はもちろんのこと、外に出ることだって敵わない。

 そんな私を見かねて、セントは言った。いつか連れて行ってあげるよ、と。ただの慰めの言葉だろうけど、それを信じたい私がいた。


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