第4話 オンライン除霊


 朝目を覚ますと、ぐったりと身体が重たくなっていた。


「なにこれ……。起き上がれない」


 このところ少し調子のいい日が続いていたのだが、いきなりどうしたのだろう。肩が重たくひどい倦怠感があり、気分がどんよりと沈んでいる。

 体温を測ろうと、枕元の体温計を手に取り、パジャマの衿ぐりを広げてわきに差し込もうとする。


「あれっ……」


 胸元を見ると、肌身離さず身に着けていた幸庵先生のお守りペンダントが破けている。


「こんなの、破ける……?」


 寝相でも悪かったのだろうか。

 なんだか恐ろしくなって、鳥肌が立った。

 歩くこともできないので会社に体調不良で休みますと連絡を入れ、再び布団にもぐる。


「どう考えても、おかしい」


 これ、持病からくるいつもの体調不良とは違う……!

 自分の身に何かが起きたのを感じて、私は幸庵先生にメッセージを送った。


 普段先生は夜だけ占いのお仕事をされているのだけれど、メッセージを見た先生が、今からでもお話をおうかがいしますとおっしゃってくださった。

 占いのアプリを立ち上げ、先生との通話を開始する。


「なるほど、お守りが……」


 私がビリビリに裂けたお守りを画面に映すと、幸庵先生は顔をしかめた。

 そして言いにくそうに話した。


「おそらくですが……八木橋さんには、生霊が憑りついている可能性が高いと思います」

「いき……りょう?」


 ぶるぶるっ。

 思わず身震いした。



 それから先生は、生霊に関する説明をしてくださった。


 生霊とは、誰かに対して強い思いを抱いている人が発生させてしまうものらしい。

 その感情にマイナスのものが含まれていると、生霊に憑りつかれた側も、憑りついた側も、倦怠感につつまれ精神がむしばまれてしまうのだという。


 どうやら生霊を払うには様々な方法があり、もし生霊の正体がわかっている場合、その特定の人物に対して生霊返しを行うことができるらしい。


「強力な呪文なので、確実に相手がわかっている場合にのみ行えるのですが……。お心当たりはございますか?」

「いえ、それが全くないんです」


 本当にすがすがしいくらいに、私には心当たりがなかった。

 誰かが私に執着する? 

 どうして?


 そもそも私って、人間関係自体が希薄なんだもの。深く関わっている人間がいないのに誰からも嫉妬や依存をされるわけもなく、ましてや恋心を抱かれるわけもない。


 毎日関わってるのは会社の人かなあ。でもうちの会社の人、誰一人として私に興味がなさそうだ。


「過去に関わった人の中にお心当たりは?」


 先生にそうたずねられ、首をかしげる。学校も休みがちだったからクラスメイトと特別に仲良くなったような経験もないし、逆に恨まれたような経験もない。


 大昔に付き合っていた彼氏や昔の職場の同僚を思い浮かべてみたものの、誰も私に執着しているとは思えない。


「ほんとうに、わからないです。むしろ私に生霊なんていたんだって、驚きですよ。私に強い思いを抱いている人なんか、この世にはいないだろうと思ってましたから。誰か一人くらいは、そんな人もこの世にいたんですねえ」


 そう答えると、先生からは意外な言葉が返ってきた。


「実は八木橋さんに憑りついている生霊は、正確に言えば一体ではなく複数存在します」

「えっ?」


「ですがそれは珍しいことではありません。人を恨む時だけではなく、相手を心配する時にもまた、生霊というのは発生してしまうものなのです。例えば子供を心配するあまり、子供に親の生霊が憑りついてしまう場合だってあるんですよ」

「へえ……。そうなんですね」


 そんなに簡単に憑いちゃうんだ、生霊。


「ちなみに私についている複数の生霊って、先生には見えるんですか?」


 たずねると、先生はこくりとうなずき、私の背後に目をやった。


「画面越しですし、くっきりと見えているわけではないんです。ただ、いくつかのオーラの中で、負のオーラを放つ生霊のパワーをくっきりと感じます」

「いくつかのって、全部悪いものですか?」

「いえ、良いものもありますよ」


 へえ、そんなに生霊が憑いてるんだ、私。孤独なようでいて、実は孤独じゃなかった、みたいな。嬉しいんだか嬉しくないんだか。


「悪い生霊と良い生霊がいたら、プラマイゼロになったりしないんですか?」


「そう単純なものでもないんですよね。そもそも良い悪いというのも大まかな捉え方であって、生霊それぞれが人間と同じように様々な個性を持っているわけです」


「なるほど」


 そりゃそうだ。生霊ってのは人間の魂なわけだし。


「本当は自分の波動を高めるのが一番なんですよ。悪い生霊が入り込む隙を与えず、良い生霊を味方につけることができますからね。ですがもう、悪いものが入り込んでしまっているように見えます」

「それは困りました」


 ほとんど人と関わらずに生きているのに悪い生霊に憑りつかれちゃうなんて。本当に私ってツイてない。憑いてるけど。


「八木橋さんが悪い生霊と依存関係になりやすい面もあるように感じます。マイナス思考だと悪いものが入り込みやすいんです。ですからもっとご自分に自信を持たれたほうがよろしいかとは思うのですが……。とりあえずは、悪い生霊を取り除く対策を試してみましょう」

「お願いします」



 生霊を払う方法にも色々あるらしい。本来は塩と酒を入れた湯船に浸かって身を清めることも効果的らしいのだが、今の私は身体を動かすこともつらいため、布団にいながらにしてできる徐霊方法を試すことにした。


「では『観音経』を一緒に唱えましょう」


 そう言うと先生は画面共有をして、お経の書かれたメモを表示した。


「ええと『観音経』というのは?」


 先生によると観音経とは、苦難から人を救ってくださるお経なのだそうだ。観音様に念じることで自分に害をもたらそうとするものから助けられ、逆にその害を相手に返すのだという。このことから生霊の徐霊に効果があるとされているのだとか。


「世尊妙相具我今重問彼仏子何因縁名為観世音……」


 心を統一し、先生の声に合わせて画面に映し出された観音経を読み上げていく。

 すると次第に身体のこわばりが解け、頭痛や倦怠感が薄らいでいった。


「とりあえずはこれで、様子を見ましょう。だいぶ悪霊の存在感が薄らいだように感じられます」


「それはよかったです。おかげさまで身体のほうも、動ける程度によくなってきました」


 ほっと胸を撫でおろす。

 すると、ぐうとお腹の音が鳴ってしまった。


「やだ、すみません。私、お腹がすいちゃって」


 照れながらそう言った。そっか、私朝ごはんもまだ食べていなかったんだった。


「また異変があったらいつでもご連絡ください」

「ありがとうございます」


 通話を終え、台所へ向かう。

 食パンでフレンチトーストを作りながら、考える。

 私に生霊を飛ばしていた人、一体誰だったんだろう。

 


 ◇◇◇



「幸庵さん、幸庵さん」


 朱里に肩をゆすられ、我に返る。


「ああ、ごめん。ちょっと考え事をしていて」

「すごく難しい顔してたから、どうしたのかと思っちゃった。昼間から占いのお仕事だったみたいだけど、なにかトラブル?」

「うん、まあ……」


 八木橋さんにとりついた悪い生霊の除霊は完了したものの、どうも気持ちがすっきりとしない。

 あの魔除けのお守りをビリビリに破き、彼女の体調を急激に悪化させるほどの怨念の強さを持つ人間がこの世のどこかに存在しているのだ。その人物が実際の彼女に危害を加えようとする可能性もあるのではないか。


 念のため、式神を送っておこう。


「ちょっとやらなければならないことがあるから、しばらく奥の部屋にこもるよ」

「わかった。じゃあ私、お昼ご飯準備しておくね」


「ありがとう。何を作るの?」

「別に、簡単なものだよ~。ご飯炊いてシャケ焼いて……そうだ、お義母さんに白菜をいただいたの。それを使いたいんだけど、どうするのがいいかな?」


 お義母さんというのは私と朱里が住むこの古民家の元々の所有者であり、戸籍上私の母ということになっている女性だ。彼女と私たち夫婦との交流は深く、互いに支えあって暮らしている。


「そうだね。白菜と油揚げの卵とじなんて、いいんじゃない」


 なんとなく頭に思い浮かんだメニューを提案する。私は油揚げが大好きだから、常に油揚げの在庫は切らさないようにしている。


「あ、それいいね! そうする」


 朱里は楽しげに鼻歌を歌いながら台所へ向かう。


 ああ、楽しみだなあ、白菜と油揚げの卵とじ。

 思わず気が緩みそうになったが、もう一度気を引き締めなおし、奥の部屋へと向かった。


 八木橋さんをお守りするための式神、一刻も早く遣わせなければ。



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