第3話 お気に入りのパン屋


「はあ、ゴミ捨て完了」


 マンション共用のゴミ捨て場に燃えるゴミの袋を運び終え、私はヨロヨロしながらエントランスへ戻る。朝起きてゴミを捨てるだけでも一苦労。これじゃ老後が不安になってくる。


「そういえば昨日の帰り際、郵便受けを見るの忘れてたっけ」


 エントランスにある郵便受けを確認すると、なにかが届いている。


「あっ。もしかして」


 そのちょっと厚みのある封筒を手にする。

 やっぱり。新井幸庵先生からのお手紙だ!


「もう届いたの!?」


 なんだか嬉しくて、待ちきれない思いで封筒を手に小走りで自室まで戻る。そして玄関でサンダルを脱ぎ捨てると、すぐに封筒の中身を確認した。

 すると中から小さなお守りが出てきた。白地に赤い糸で五芒星の刺繍がしてあり、やけに長い紐がついている。


「これって、多分手作りよね……」


 先生の几帳面な性格が伝わるようなきちっとした作りのお守りだけれど、どことなく温かみも感じられる。


「私のために、作ってくださったんだ」


 一緒に入っていた手紙も確認する。このお守りをなるべく肌身離さず身につけるようにと書いてある。長い紐がついているのはお守りをペンダントのようにして首からぶら下げることができるように、らしい。


「またのご予約、お待ちしております。だって」


 ふふ、と笑いながら、さっそくお守りを首にかける。

 なんだかとっても心強い。


「今日も一日、頑張ろう」


 私はさっそく会社へ行く準備を始めた。




 お昼休憩になり、私はいつも通りにいきつけのパン屋へと向かった。


 会社からは徒歩五分程の位置にあるパン屋。ほんのちょっと遠いから会社の同僚がここに来ることは少ない。でもだからこそ、ここに来るのはいい気分転換になる。そういうわけで最近はほぼ毎日、ここのパンを買いに来ている。


 ここのパン、特別おしゃれなわけでも本格的なわけでもないけれど、ほっとする味で食べやすいのよね。それにふわふわで柔らかくて消化に優しいのが多いし。


 自分で作ったお弁当を持参したほうが節約になるかなって思っていた時期もあったのだけれど、おかずの材料代も案外馬鹿にならない。

 だったらそれほど高いわけでもないから、おいしいパンくらいは食べよう。

 私小食だからたくさんは買わないし、頑張っている自分への、せめてものご褒美だ。


 今日もお店のドアを開くと、いつもの店員さんが挨拶してくれる。


「いらっしゃいませー。ただいまハムチーズパンが焼き立てでーす」


 レジに立っているのはいつも若い女性。明るくてハキハキしていて、働き者の感じの良い女性だ。

 だがお昼時、このパン屋は結構混雑する。なにせ安くておいしいのだから当たり前だろう。だから私が見る時、いつも彼女は忙しそうにしている。


「ハムチーズパンかあ」


 頑張っている彼女がそれとなくオススメしてくれたのだからハムチーズパンにしたいところだが、今日の気分はいつも通りの、たまごロールかもなあ。


 ちょっと迷っていると、お店のドアが開いて新たな客が顔を出す。

――あ、あの男の人、今日も来てる。


 いつも全身黒コーデで、のっそりと歩く暗い表情の男性。私より少し若いくらいの年頃だろうか。あの人も毎日来てるよなあ。しかもいつも私のちょっと後にお店に入ってくるの。たぶんお仕事の休憩時間のタイミングがいつもそうなのかな。……いや、お仕事、しているのだろうか。ちょっとどんな職業の人なのか、想像がつかない。


 おっと、あんまり時間かけてたら、昼休みが終わっちゃう。

 私はたまごロールと小さな蒸しパンをトレーにのせてレジに向かった。

 レジには会計をしている途中のお客がいるので、しばし待つ。


 すると奥からもう一人の女性店員が姿を現した。

 ふくよかで小柄な女性。いつも白い上下を着て衛星帽を被っているので、おそらく製造の担当なのだろう。でもお昼時はレジ担当の女性が忙しくなるので、時たまこの女性がレジに出てくることがあるのだ。


「お待ちのお客様、こちらへどうぞ」


 優しく声をかけられ、ふくよかな女性のほうのレジに進む。胸の小さなネームプレートに目をやると「山田」と書かれている。私は店員さんをまじまじと見つめるような勇気さえもないので、この方が山田さんだったことに今日はじめて気づいた。


 山田さん、おいくつくらいかしら。ちらりとだけお顔を拝見してまた視線を手元に移す。うーん、私よりも上のようにも下のようにも見えるかなあ。


「この蒸しパン、新商品なんですけどおいしいですよ」


 レジを打ちながら山田さんはそう話しかけてくれた。こういうことはめったにないから、なんだかうれしい。いつもは山田さん、黙々と仕事をこなしている感じなのだ。


「やっぱり新商品だったんですね。見かけたことがないパンだなって思ってました。沖縄黒糖使用って書いてあったから、おいしそうだなって」

「黒糖にはミネラルやビタミンが含まれてますからね。疲労回復にいいですよ」

「なるほど」

「お会計、二百六十円になります」


 寡黙な山田さんにこうして話しかけてもらえるなんて。

 私も常連として、気を許してもらえるようになってきたってことかな。やったあ。

 ほがらかな気持ちでお会計を済ませる。


 今朝届いたお守りのおかげかな。なんだかちょっとだけ、いつもより幸せ。


 ちらりとイートインコーナーを見ると今日は席が空いていた。空いていない日は会社のデスクでパンを食べるけれど、空きがあるならここで食べていきたい。そのほうが気を楽にしてパンを味わえるから。


 サービスで置かれているウォーターサーバーのお水をもらってくると、さっそくパンを食べ始める。

 ああ、いつ食べてもこのたまごロールはおいしいな……。中のたまごサラダが最高なんだよね……。


 すると隣に黒コーデの男性が座って、いつも通りコロッケパンを食べ始めた。彼も席が空いていると必ずここで食べていくのだ。しかもいつも、コロッケパン。

 彼にどんな事情があるのかは知らないが、もしかしたら彼も私みたいに、縮こまって生きてきたんじゃないかな。なんだかそんな気がする。


「……こんにちは」


 ふいに黒コーデ男から声をかけられた。


「こんにちは」


 ちょっとびっくりしながら答える。彼から声をかけられたのもまた、初めてのことだった。


 だがそこからなにか会話が始まるわけでもなく、ただ挨拶しただけで私たちの会話は終わった。


 えっなになに? 気まずい。


 まるでブリキの人形になったみたいにぎこちない動作で、私はパンを口に運んだ。



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