第2話 幸庵先生の駆け出し占い稼業


 冬はやっぱり、煮込みうどん。

 大鍋の中に煮干しだしを入れて火にかけ、いちょう切りの大根と人参、しめじ、ねぎ、短冊切りの油揚げを加えて煮る。


「よし……」


 今のうちにまな板と包丁を洗っておいて……。

 とそこに、作業部屋から朱里が姿を現した。


「あれっ幸庵さん、もう夕ご飯の準備?」

「うん、今夜は七時頃から深夜まで、占いの予約がいっぱいなんだ。だから早めに腹ごしらえしておこうと思って」

「そうだったんだー。私も作業が終わったところだよ」


 うーん、と伸びをしながら朱里は鍋の中をのぞき込む。


「なに作ってるの?」

「煮込みうどんだよ」

「やったー! 私煮込みうどん大好き」

「こうも寒いと、身体の温まるものを食べたくなるからね」


 山里の寒さは厳しい。その上私と朱里が暮らすこの家は、築百年を優に超えている古民家だ。冬はすきま風との闘い。とはいえ、こうして囲炉裏に火を熾しておけば充分室内は温かいのだけれど。


「大盛況だよねえ、幸庵さんの占い。そろそろ料金上げたほうがいいんじゃない?」


 そう言う朱里に首を横に振ってみせる。


「まだ占い師を始めて半年も経っていないからね。他の大先生と同じような料金をいただく気にはなれないよ。それに今予約がいっぱいなのは、料金が安いおかげなんだから」

「そうかなあ? そうじゃない気がするけど」

「でもまあ、もうしばらくはね。それより朱里の作業は順調なの?」


 妻の朱里は在宅で動画編集の仕事をしている。かなり手間のかかる業務のようで、深夜まで作業をしていることが多い。


「まあ今日も結構かかりそうかなあ。でもこれだけ大きな鍋にたくさん煮込みうどんを作ってあれば、夜食にも困らなさそう!」

「あはは。好きなタイミングで好きなだけ食べてよ」


 鍋の様子を確認する。そろそろ人参と大根にも火が通ったようだ。

 醤油、みりん、砂糖を入れて味をととのえる。


「う~ん、いい匂い」


 朱里は瞼を閉じて、鼻で息を吸いこみ、幸せそうに微笑んだ。

 私は彼女のこの顔が見たくて、毎日料理をしている。


「……ん? どしたの幸庵さん、私の顔なんかじっと見て」

「いや、なんでも。そろそろうどんを入れようかな」


 そしてしばらく煮込めばできあがりだ。


「私も今一緒に食べちゃおっと」


 朱里はそう言うと、食器棚から大きなお椀を二つ取り出した。



 食事を終え、奥の部屋へと向かい、パソコンを立ち上げる。


 このパソコンなるものの使用方法は、自分が人間になりたての頃に、朱里から教えてもらった。いまだにこの道具の仕組みがさっぱり理解できないが、とにかくオンラインで占いをするために必要な手順を、朱里は根気強く私に教えてくれた。そのオンライン、というのも一体どういう仕組みで成り立っているのか、私には全くわからない。


 だがとにかく今日も同じ手順で、占いサロンにログインする。このパソコンを使い、ビデオ通話をしながら私は占いをしている。そうすることで、この辺鄙な山里の古民家にいながらにして、遠く離れた人々と顔を合わせて会話し、占ってさしあげることができるのだ。


「えーと、今日の最初のお客様は……」


 七時から一時間でご予約の、八木橋様。

 自分の占いの予約は料金のせいか確かにまずまずの人気があり、一日に二・三件のご予約をいただいていることが多い。

 だが大抵はもっと遅い、深夜の時間帯をご希望されるお客様が多く、七時からのご予約というのは珍しいことだ。


 私からすれば、午後七時だってかなり遅い時間ではある気がしている。どうも今の時代の人間は皆、夜更かしをしすぎている。朱里なんかは平気で夜中の三時頃まで起きているし、占いのご予約も深夜十二時前後が一番多いかもしれない。


 昔はあたりが暗くなれば、人間は寝るしかなかったというのに……。

 時代によって人々の暮らし方はこんなにも変わってしまうものなのだ。


「もうすぐ時間か」


 私はヘッドセットを装着した。



「こ、こんばんは。お世話になりますぅ」


 蚊の鳴くような声で、画面の中の女性がそう言うと、申し訳なさそうに頭を下げる。


「八木橋雪美さんですね。初めまして、新井幸庵と申します。どうぞよろしくお願い致します」


 まずは安心して話してもらわなくては。そう思いながら微笑むと、八木橋さんもぎこちないものの笑みを浮かべてくれた。


「あの、こういうのは初めてなもので、緊張してしまって」

「わかります。私も最初のうちはわけがわからず、幻術か? と恐ろしく思って画面を何度もたたいてしまい、あやうくパソコンなるものを壊してしまうところでしたので」

「……えぇ?」


 ニコニコしながらも八木橋さんは困ったように小さく首をかしげている。


「あっ、すみません、自分の話ばかりしてしまって。それではさっそく占いのほうに入りましょうか。どのようなことを占いたいですか? 内容によって用いる占いの種類が変わってくるのですが……」


 私がそう言うと、八木橋さんは「えっと……」と言いながら宙を見上げ、しばらく間を置いてから小さくつぶやいた。


「私にも……なにかいいこと、おきますか?」

「……え?」


 思わず聞き返す。だが、八木橋さんは何も答えない。


「えっと、なにかいいこと、と申しますと……。未来を占いたいのですね。どういった関係のことをお知りになりたいですか? 金運ですとか、恋愛運ですとか……」

「いえ、私特に金運とか恋愛運は……。占ってもしょうがないかなって」

「はあ……」


 わざわざお金を払い予約までしていらっしゃるのに、特に占いたいことがないのだろうか。

 少し間を置いてから、彼女は言った。

 

「そうですねえ、言われてみれば、私ってなにが知りたかったんでしょう。金運も恋愛運も仕事運も、興味ないんですよ、私。ただ……」


 八木橋さんの瞳が一瞬、涙できらりと光った。


「こんな私でも、なにかいいこと、あるのかな。それが、知りたいだけなんです」


 その様子を見て、八木橋さんの感情がスッと心に流れ込んできた。

 自分にも身に覚えがある。孤独感とあきらめと、それでもまだ光を追い求めてしまう気持ち。


 ……絶対にこの方のお力になってさしあげたい!


「かしこまりました。では、納音(なっちん)占いと姓名判断から、八木橋さんが持つ性質や宿命を見ていきましょう。ご自身のことを見つめなおすことで、未来が開けてくるように思えるのですが。いかがですか?」

「なるほど、そうですね」


 こくり、と八木橋さんはうなずく。


「では、生年月日をおうかがいしてもよろしいでしょうか」

「はい……」


 私が手元のノートに八木橋さんの生年月日を走り書きしていると、彼女がたずねてきた。


「あの、納音占いというのは初めて聞きました。どういう占いなんです?」


「納音占いは古くから伝わる占いですよ。元々は古代中国より伝わり、平安時代には陰陽師が使用していた占いで、江戸時代に大流行したのです。私はその頃にこの占いについて知り……いえ、言い間違えました。少し前に知りまして、以来この占いを頼りにすることが多いのです」


「へえ、そんな占いがあったんですね」


 あぶないあぶない。江戸時代にはもう生まれていたことがバレてしまうところだった。ふぅ、と息を吐き、占いを続ける。

 八木橋さんは不安そうにしている。理由はわからないが、彼女はとても心細い思いでいるようだ。安心してさしあげられたらいいのだが。


「さて、では占いの結果です。まず納音占いでいいますと、八木橋さんは『路傍土(ろぼうど』にあたります」


「路傍土」


「はい。路傍土のお方は真面目で責任感が強く、誠意をもって人に尽くすので相手から喜ばれることが多いのが特徴です」


「あ、当たってます……!」


 さっきまで暗い顔をしていた八木橋さんが身を乗り出して驚きの表情を浮かべた。


「ですが融通のきかないところがあり、人からはとっつきにくいと感じられることも多いですね」


「ああ……。確かに今の会社の人たちからも、まだ距離がある感じなんです。もう働き始めるようになって、一年くらいは経つんですけど」


「なるほど。路傍土のお方は人と打ち解けるのが苦手で時間がかかりますが、理解されれば人から信頼を得るタイプですよ」


「そうですね。信頼はしてもらえるようになってきた気がします。あの、幸庵先生。路傍土の人が気をつけるべきこととか、ありますか?」


「かたくなな思考になりがちなので、柔軟性を持って発想の転換をするといいですよ」


 占いの結果がしっくり来たのか、八木橋さんは何度もうなずいている。


「発想の転換。わかりました、意識してみます」

「ええ、是非。それから姓名判断のほうですが、孤独に陥りやすく、不運に見舞われやすいようです……」

「わあ、それも本当にその通りです……」


 少し明るくなっていた八木橋さんの表情が、一気に悲しそうになっていく。


「あっ、でも良い部分もありますよ。ピンチの時には友人や仲間が助けてくれるでしょう。良い仲間に囲まれる人生となるようです」

「良い、仲間ですか……? 私、お友達ってほとんどいないんですが……」


 ますます、八木橋さんのお顔が暗くなる。

 これは良くない。私は人を悲しませるために占い師をしているのではない。人の心に寄り添い、お役に立ちたいとの思いから、占い師を始めたのだ。


 ――とその時、画面の中の八木橋さんの背後に、一瞬人影が浮かんで消えた。


「……ん?」


 目を凝らすがもう人影は見あたらない。


「どうかされましたか?」


 八木橋さんが不安そうにたずねるので、首を横に振った。


「いえ、なんでもありません。目がかすんでしまって」


 だが言葉とは裏腹に心の中では、絶対に今の人影はなんらかの霊体であったと確信していた。


 私は半年ほど前まで、幸庵狐という妖狐としてこの世に存在していた。もはや人々に忘れ去られ、消える寸前のひ弱な妖狐だった。

 そしてある時、熊に襲われそうになった朱里を助けるためにその力を使い果たした。本来であればその時に私という存在はこの世から消失しているはずだったのだが、どういうわけか人間として生まれ変わり、今は朱里と暮らしながらこうして占い稼業なぞしている。


 無駄に長い歳月を生きてきた私には幸い、知識の蓄えがある。特に占いに関する知識であれば、仕事にできる程度にはある。


 人間になってからというもの、私はすっかり妖力も失い、狐の姿に戻った試しもない。

 だが霊感だけはうっすらと残っていて、霊やあやかしの存在を感じ取ることには敏感だ。


 八木橋さんに憑りついた霊が、なにか悪さでもしないといいが……。

 不安に思った私は、八木橋さんに魔除けのお守りをお渡ししたいと考えた。


「八木橋さん、もしよろしければ、お守りを郵送させていただけませんか」

「お、お守りを? どうしてです?」


 ますます暗い顔になった八木橋さん。霊が憑りついているなんてお知らせしたら、余計に不安にさせてしまいそうだ。


「いえあの……。少しでも八木橋さんの心の支えになればと思いまして。お守りを持ち歩くことで安心していただければ、きっと気持ちも明るくなり、運気が開けるのではないかと。もちろん追加料金などはいただきませんので」


「えっ、よろしいんですか? それなら……ぜひいただきたいです」


 驚いたような顔をする彼女に、笑顔でうなずいてみせる。


「では、後でメッセージのほうからご住所をお知らせください」

「はい。色々占っていただいた上にお守りまで……。また利用させていただきますね。ありがとうございました」

「いえ、こちらこそありがとうございました」


 通話を終え、ヘッドセットを外す。


「はあ……。あまり励まして差し上げられなかった。やはり私はまだまだ未熟者だな」


 占いに関しては長年妖狐として生きた中でつけた知識の蓄積があるのでなんとかなるが、肝心な会話の部分が、なかなかうまくいかない。

 ……当たり前だろう。私は長年、人間を避け、自らを恥じ、山奥にこもって孤独に暮らしてきた元妖狐なのだ。人間社会に早々となじみ、器用に生きていけるわけがない。


「せめて、心を尽くしたお守りを送ってさしあげよう」


 しかしあの霊、どんな類の霊だっただろうか。実際に見ればわかると思うのだが、ネットを介して画面上で見ただけでは、そこまでは確認できなかった。

 


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