§007 盤上の天才

「へぇ~これが兵棋演習か」


 私とウィズは兵棋演習の演習場へと来ていた。

 私はウィズとその対戦者である女の子の前に置かれた盤面に視線を落とす。


 説明によると、兵棋演習は、作戦領域となる地形図、各部隊を示す赤と青の軍隊符号である駒、部隊の進行方向を描き込む製図用具、偶発的な事柄の勝敗を決めるサイコロなどの道具が必要になるらしい。


 また、地形図も実際の戦場を想定するため、地形、気候、季節、高低差などが毎回組み合わせによって変化するように作られているようだ。

 ゆえに、同じ地形図が現れることはなく、一戦一戦、その地形図に合った軍略を考える必要があるというものらしい。


 こうやって説明を受けると非常に複雑なもののように聞こえる。


 盤面の広さや駒の動きが既定されている将棋やチェスとは、似て非なるものだろう。


 将棋やチェスはその規則性ゆえに一定の定石と言われるものが存在するが、兵棋演習にはそれが存在しない。

 そのため、状況変化に対応できるだけの臨機応変な思考が必要になりそうだ。


『これは難しそうだな……』


 私はそう呟く。


 しかも、ウィズの今回の対戦者は、かなりの実力者らしい。

 通常は同じ軍略学科の生徒と演習を行っているという話だが、ウィズの実力は学生の域に収まるものではないらしく、ウィズと演習をさせるためだけに、他国からトッププロを招聘しているとのことだ。


 相対している女の子もかなり若く、その才覚は相当なものなのだろうが、果たして、この勝負はどうなるのだろうか。


 ただ、私は不思議な高揚感に襲われていた。


 何を隠そう、私はこの兵棋演習と似たゲームを知っていたからだ。


 そう……KCOだ。


 KCOは複雑な計算式などは電子演算により行われていた。

 その点は確かに大きく異なる点といえるが、KCOで用いられている考慮要素は概ね兵棋演習で用いられているものと同じだった。

 むしろKCOは、もしかしたら兵棋演習を基に作られたのではないかという感想すら抱いている。


 こうして懐かしのゲームを想起させる兵棋演習に加え、強者と相対したときの武者震いに似た緊迫感に中てられた私の心には、一つの願望が芽生え始めていた。


『……やってみたい』


 私の欲望は言葉となって、つい口を突いて出てしまっていた。


 もちろんウィズに問いかけようと思って発した言葉ではなかった。

 でも、私の目の前には対戦相手と向かい合うウィズがいる。


 だから、私の声は当然聞こえているものだと思っていた。


 なので、私はもう一度、はっきりとウィズに告げる。


『ねぇ。私も兵棋演習やってみたい』


「…………」


 しかし、ウィズからの返事はなかった。

 私は不審に思って、身を乗り出して、ウィズの表情を覗き込む。


 すると、そこには冷たい瞳で盤上を見下ろすウィズの姿があった。


 私が顔を覗き込んだのにもおそらく気付いていないほどの集中力で、ウィズはただただ盤面の地形図と軍隊符号の駒を凝視していたのだ。


「……ウィズ」


 そうして、審判役の講師から開始の合図が行われる。


「よろしくお願いします」

「……よろしくお願いいたします」


 こうして幕を開けた一戦。

 序盤は、どのような軍略を採るかによって、盤面は大きく変わりうる。


 めまぐるしく動く展開。

 けれど、その状況に応じて、打ち出される正確無比な一手。

 奇策や突飛な手など一切なく、まるで機械が打っているのではないかという、完璧な打ち回し。


 私はこの盤面を見るのは初めてなのだが、不思議な既視感を覚えた。

 そう、それは……私が頂上決戦でエディンビアラ王国のウィズリーゼ・エーレンベルクと対峙した時のまさにそれだった。


 ウィズが駒を動かす度に緊張が走り、その一手一手は異彩を放っている。

 私はまだルールを正確に把握しているわけではない。

 それでもウィズが圧倒的に優勢であることは目に見えてわかった。


 相手も決して弱くない。

 むしろ基本に忠実に、お手本のような打ち回しをしていると思う。

 でも、それを上回る正確さで、ウィズは相手を圧倒しているのだ。


『ああ、美しい』


 私は思わずそんな言葉を漏らしていた。

 盤上を食い入るように見つめているウィズには届いていないだろう。

 でも、私はこの言葉を言わずにはいられなかった。


『悔しいよ。この対戦相手が私でないことが……』


 そして、対局は次第に終局へと向かう。

 相手には勝ち筋はなく、もはや相手が投了するのを待つだけの段階だ。


 そんな段階で……。


『あれ?』


 ウィズが初めて今までの一手とを打った。

 おそらく周りの人達は気付いていない。

 KCOでのウィズを知り、今のウィズを知り、そして、最も近い場所でこの対局を見ていたからこそ気付けたというべき、小さな小さな違いだった。


 ウィズ自身ももしかしたら無意識なのかもしれない。


 でも、私にはそれが……ウィズの最も大きなのように感じた。


 同時に理解した。


 ああ、私はこの隙に乗じて、勝つことができたのだなと……。


 そんな些細な感想を抱きつつも、兵棋演習はそのまま圧倒的な大差でウィズの勝利に終わった。


 対局が終わると、瞳にも灯りが戻り、ウィズは微かに笑みを浮かべた顔を上げる。


「(どうでしたでしょうか、私の対局は)」


 心の中で、私に問いかけるウィズ。

 その表情は、勝って当然という自負と、私に褒めてほしいという子供なような感情が包含されているように感じた。


 私は素直な感想を述べる。


『とても美しい一局だったよ。悔しいよ、私が対戦相手でなかったことが』


 素直な感想ではあった。

 でも、私は敢えて触れなかった。

 私が最後に感じたウィズの最大の弱点のことには……。


「(そう言っていただけて光栄です。でも、大丈夫ですよ。私とクルミ様はこれからいくらでも対局できますから)」


 私が「そうだね」と頷いていると、後ろからカツカツと靴を慣らして近付いてくる足音に気付いた。


 その足音は私を押しのけるようにウィズの後ろに立つと、声高らかに言った。


「アーデル様に婚約を破棄されたウィズリーゼ様。少しだけお付き合いいただけないでしょうか? ふふふ」





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