第39話 近づいていく真実(5)
春樹が駅で電車を待つのとほぼ同時刻。
柏木も同じ駅内にいた。
彼が通勤ルートでもなく業務ルートでもないにも関わらず、この場にいたのは理由があった。
「池上の持っていた資料があの資料だとしたら――」
柏木は慌てた顔で改札口から中へ入り、春樹を探す。
春樹の退勤時に上司である風間が春樹に書類を預けたのを見て、柏木は不思議に思った。
何より預けた際の風間の表情がやけに深刻そうで、柏木は気になってしょうがなかった。
それもそのはず――。
柏木は知ってしまったのだ。
一ヶ月前、柏木はとある書類を見たことにより、上司である戸田が第二営業部で仲介している海外で製造されたモーターのデータ改ざんに関わっていることを知った。
その後、戸田が誰かに電話をしていた内容を盗み聞きした柏木は確信を得る。
だが、戸田は柏木の上司である。
当然、そんな内容の真偽を聞けるはずがない。
何より戸田が改ざんに関わっていたとしても、柏木にとってそれは社会の当たり前なのではないか、そう思っていた。
ならば、部下としてその情報は守り抜かないと行かない。
それに自分が上司の秘密を守り抜く姿を戸田に見せれば、昇進がしやすくなるはずだ。
柏木はそれが組織というものだと、そう考えていた。
だからこそ、敵とも呼べる第一営業部の部長である風間が春樹に渡した書類が気になった。
その書類が改ざんに関わっている書類だとしたら、外部に流失する前に処分しなければならない。
そう考えた柏木が辿り着いた答えは一つだった。
――春樹の持つ封筒を奪うこと。
周囲の人に紛れながら春樹が持っている封筒を奪い、急いで反対方向の電車で逃げる。
後輩である春樹には申し訳ないと思ったが、これしか柏木が思いつく方法は無かった。
「そのためには――」
春樹がいつも乗る方向のホームで柏木は春樹を探す。
すると、春樹が先頭で電車を待っているのを発見する。
よりによって――先頭か。
柏木は眉間にしわを寄せるほど焦っていた。
先頭にいるということは、そこまで自分が行かなければならないということだ。
春樹の後ろには八人ほど並んでおり、ここから春樹に近づくには横からじゃないと厳しい状況だった。
横から割り込むように近づけば、最悪封筒は奪えるかもしれない。
だが、そんなことをしたら春樹に怪しまれ、ばれてしまうだろう。
それでは元も子もない。
さて、どうしたものか――。
柏木がそう考えていた時だった。
突然、改札口の方から大勢の若い女性たちがホームへやってくる。
気がつけば、誰が並んでいるのかわからないくらいにホームは混雑した状況になった。
「な、なんだ?」
普通、こんなにこの駅は混むのだろうか?
人波にもまれながら柏木は疑問に思ったが、女性たちが持つ紙袋を見て、アイドルのコンサートがあったことを知る。
この混雑した状況ならば、横から封筒を奪おうとしても気づかれないのではないか。
混雑しているため、自分の肩より下を見るのは難しい状態だ。
ならば、その肩より下で奪おうとすれば見つからないのでは。柏木はそう考えた。
さて、善は急げだ――。
柏木はすぐさま行動を開始した。
腕を使って人波を泳ぐような動きで徐々に春樹に近づいていく。
やっと春樹の斜め後ろに到達した頃、ちょうど電車がやってくる。
春樹はその音につられるように電車の方を向いた。
――今だ。チャンスは今しかない。
柏木はその右手を春樹の持つ封筒向けて、ゆっくりと伸ばした――。
その時だった。
後ろが混雑していたのか、柏木は後ろの男性に強く押される。
「なっ――?」
突然だったため、柏木は受け身を取れずに前へ押された。
その際、柏木は右手に何かを強く押した感触を覚える。
押したというよりその感触は突き飛ばしたような感触だった。
不思議に思い目線を前に持って行くと――春樹が線路に飛び出していた。
いったい――。なぜ――。どうして――。
静止する時の中、柏木は考えた。
だが、その伸ばした右手を見て、柏木は確信する。
――突き飛ばしたのは、自分自身であることを。
刹那。血の気が浮力を無くしたように一気に引いていく。
春樹の持っていた封筒は横風に煽られ、空へと舞い上がる。
電車の警笛が聞こえる頃、柏木は咄嗟に後ろを向く。
反射的に見てはならない――そう悟った。
そして、鈍い音が鳴り会場が騒然とする中、柏木は一目散にこの場から去った。
それから、どうやって家に帰ったのか。
柏木は自分でもわからなかった。
柏木が目覚めると、自室の何も変わらない朝だった。
寝ぼけながらも目覚めた柏木は、いつも通り歯を磨き――顔を洗った。
その後、冷蔵庫からブラックコーヒーをコップに注ぎ、一杯飲み干した。
パジャマからスーツに着替え、部屋にある立て鏡を見ながらネクタイを締めていく。
その瞬間、突然柏木は昨日の出来事をフラッシュバックのように思い出した。
間違いない――。
柏木はどっと冷や汗を掻き、ハッとした顔で右手を見つめる。
――自分が池上を殺したのだ。
間接的であるが、彼が死ぬ原因は自分にある。
柏木は罪悪感に駆られたまま、この場から逃げ出すように家を出た。
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