第35話 近づいていく真実(1)


 

 二時間後、グレイス商事札幌支店前。

 職場の前に着くと、今日も正面入口前は報道陣でいっぱいだった。


 やはり、名指しで報道された以上、社会の目は厳しい。


 報道陣を避け、春樹は裏側に回り喫煙所に辿り着く。

 喫煙所へ着くと、今日も事務課長の椎名と人事部長の田辺がいた。


「池上が改ざんしていたんですかね? だから、それがバレで自殺した?」

 吸った煙草の煙を大きく吐き、椎名は不思議そうに聞く。

「あの池上がそんな器用なことできるわけないだろ。ただでさえ、あの部の重要な仕事を任せられなかったらしいからな」

 田辺は静かに首を横に振った。

「あー、なるほど。そうだったんですね」

「若い割には長続きしている。仕事ができるかできないかと言われたら、即答で俺はできないに一票入れるな。だが、できない割に仕事ができない立ち回り方が出来ているから、周囲への害は一切ない。むしろ、できないなりにやり方があって、それが最大限の力を発揮出来ていると思うぞ」

「ほぉー、できないなりの力ですか?」

 感心したような顔で椎名は煙草をもう一本吸い始める。

「ああ。仕事ができる奴、やる気のある奴はみんな上ばかり見るだろ? でも、あいつは上を見ないで周りを見ている。できる奴らがやる必要が無いと思った地味に大事な仕事を、誰にも気づかれずに自ら進んでやるあの力は組織には必要な人材だ。――いや、今となっては、だったが正解か」

 もうあいつはいないのか、そう田辺は残念そうな顔で呟く。

「そうですね・・・・・・。ということは、誰ですかね? 本格的に叩かれるということは、犯人はあの中にいるんでしょうね」

「そりゃな、その犯人探しをしているからなのか、営業部の中は少しでも火花が付けば爆発するくらいのピリピリした空気が流れているぞ。当分、営業部には行きたくないわ」

「えー、そんなにですか?」

「社員間でも誰が犯人なのかわからないから尚更だよ。実は目の前の人が犯人でした。そんなオチもあるかもしれない。そうなると、人間不信に近い状態になる。それが今の営業部の状況だ」

「なるほど・・・・・・。風間部長たちは?」

「確か昨日、役員に呼ばれて今日の朝一で東京本社に行ったぞ」

「――それは遠回しに尋問と言っているようなものですね」

「二人とも潔く行く辺り、自分は犯人ではないのか、ばれないよほどの自信があるのか。正直、俺は前者であって欲しいよ」

「そうですね・・・・・・。実は外部の人でした。当社は関係ありません。それだったら、良いんですけどね・・・・・・」

 残念ながらそんな上手い話は無いだろう。椎名はそう思っていた。

「だな」

 二人同時にため息をついて、喫煙所を出て行く。


 春樹は喫煙所の裏で静かにその会話を聞いていた。


「俺って、そんな風に思われていたんだな・・・・・・」

 ため息のように春樹はそう呟く。


 考えたこと無かった。

 自分が他人にどう思われているのか。

 良くも悪くも赤の他人だ。

 別にどうだったいいじゃないか。

 数日前まではそう思っていた。

 だから、他人のことなんてそれほど気にしていなかった。


 できないなりのやり方。

 確かに俺は仕事ができない。

 それは自分でもわかっている。


 要領も悪いし、機転が利かないし、頭の回転も遅いからすぐ対応できない。


 それでも自分ができる最大限のことはやってきたつもりだった。

 誰かがやらなくなってしまった仕事はできる限り自分でやろうと思った。

 それで彼らが要領よく効率よく仕事ができれば、それで十分だった。


 田辺のその言葉で春樹は今までの自分が報われた気がした。


 心の芯まで何かが響いたようなそんな不思議な感覚。


「あ、あれ・・・・・・?」

 下を向くと、春樹の身体から水滴がぽたぽたと垂れてきている。


 数秒して、春樹はそれが涙だと気づく。


「あー、これは死ぬ前に知りたかったなー」

 春樹は空を見上げ、ため息をついた。


 人間の頃に知っていれば、もう少し変われていたかもしれない。

 それも犬になった今の自分ではどうしようもないことだった。


 すると、正面入口前の方から先輩の柏木と新庄がやってくる。

 春樹は慌てて近くの草木に隠れた。


「改ざんの件、池上くんがやったことなのかな?」

 新庄は、そう言えば、と言う顔で柏木に聞く。

「いや、池上じゃないだろ」

 柏木は咄嗟に思ったような素振りをして口を開く。

「そうなの?」

 意外だったのか、新庄は柏木を不思議そうに見る。

「・・・・・・多分な」

「それならさ、どうしてこのタイミングで池上くんが自殺したの?」

「それは――たまたまじゃないか? もしかしたら、池上が死んだのは事故かもしれないぞ? 酔っぱらって転倒してしまったとか、誤って足を滑らせたとか。それにあの日はアイドルのコンサートだったらしいから、その人混みの中で押されたとか。本当のことはわからないが、そういった可能性だってあるぞ?」

 柏木はあらゆる可能性があったことを新庄に説明する。

「なるほど。そうだよね・・・・・・」

 新庄は納得したような顔で頷く。


 それから二人は仕事の話を始め、室内へと入っていった。


 二人が室内へ入ったことを確認すると、春樹は草木から出てくる。


「やっぱ、自殺だと思われているな・・・・・・」

 春樹は俯き、ため息をつく。


 電車の人身事故。

 誰でも自殺だと思うのは無理もない。

 現に自分も通勤時などに起きていた人身事故に対し、そう思っていたのだから。


 もしかしたら、彼らも自分と同じように何かしらの理由で、誤って線路へ落ちてしまったのかもしれない。


 だが、その真実を彼らが知らせる術はない。

 春樹に言葉にならない悲しみが襲う。


 知ることもできず、確かめることもできず、気づくこともできない。


 春樹は改めて実感する。

 死とはそういうものなのだ。


「――さて、家に帰ろう」


 気がつくと、日が暮れかけている。

 街頭に付属された時計を見ると午後四時。


 これから犬歩で帰れば、大体六時くらいには着くはずだろう。


 春樹は重い足取りを動かし、彩香の家へと向かう。




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