第34話 春樹と犬神(2)


「にしても、どうしたんだい? やけにその改ざんを気にして」

 不適な笑みを浮かべて犬神は言う。


「いやー、それがですね。僕が死ぬ前に持っていた封筒の中身が、その・・・・・・改ざんされた証拠が乗っていた資料だった可能性があるんですよ」


 断言はできない。

 でも、確証はある。


「ほーほー」

 うんうんと頷き犬神は相槌を打つ。

 その顔は意外に驚きもせず、平常な顔だった。

 まるで、わかっていた。そんな顔のように春樹には見えた。

「で、その資料は数日後、マスコミに渡った。もしも、その渡った資料が僕の持っていたものだとしたら、マスコミに渡したその誰かは、僕が突き落とされた件と何か関わりがあると思うんですよ」

 春樹は恐る恐る自身の考察を犬神に話す。

「なるほど・・・・・・。確かに、その資料が同じものだとしたら何か関わりがあるはずだな」


「それがわかれば、僕の死も何かわかるのかなと思いまして」

 なぜ、僕は突き落とされることになったのか。


「――ん? 君は封筒の中身をマスコミに出した者ではなく、自分を突き落した犯人を知りたいのかい?」

 犬神は何かに気が付いたのか不思議そうな顔で聞く。


「えっ? ええ、まあ――」

 どちらかというとそうかもしれない。

「この時代、防犯カメラと言う便利なものがあるから、そこに映っているのでは――?」

 犬神は驚きもせず、説明するような口調で言う。

「あっ、なるほど」

 犬神の言葉を遮るように春樹は口にする。

「――と思ったが、人混みが遮って君が落ちる映像しかなかった」

 犬神は残念そうにため息をついて、そう言った。

「ええっ!? ええ? それって、防犯カメラを見たんですか?」

 反射的に春樹はぴょんと飛び跳ねる。


「ああ。ちょっと付随した件があったんでな。そのついでに見たんだが、見事に君の姿は映っていた――が、君を突き落した男は見えなかったよ」


 犬神は眉間にしわを寄せて、大事なところは見えなかった、と申し訳なさそうに言う。


 その言葉を聞いてがっくりした春樹だが、咄嗟にある違和感に気づいた。


「――男なんですか?」

 そう。さっき犬神は、突き落とした男、とそう言った。


 誰かに突き落とされたのは覚えている。

 だが、それが男だったのか、女だったのかはわからなかった。

 いったい、犬神は何を根拠に男と断定したのだろう。


 もう一つ、春樹は気づいたことがあった。

 それはこの姿になってから、人の言葉を聞き逃すことが無くなったということだ。 

 今までは流すように聞いていた外部の音が今は不思議と身体に染みるように通り過ぎていく。


 果たして、それは姿が変わったからなのか、気持ちが変わったからなのか。


 春樹の問いに犬神は一瞬、戸惑った顔をした。

 言うのを躊躇っているようにも見える。


「ああ。おそらく、男だよ。黒いコートのようなものを着て顔は隠れていたが、ネクタイが見えたことから、中身はスーツ。それと僅かばかり見えた足元から、履いていたものは革靴だろう。君を落とす際に君の後ろに着いた時、君よりもその者の方が高かったことから、必然的に身長は君以上だと思われる。だから、男だろうと我々は判断した」


 犬神は落ち着いた声で自分が得た情報を淡々と話す。


 我々が――。

 これこそ犬神と若い刑事が出した答えだった。


「俺よりも身長の高いスーツを着た男・・・・・・」

 春樹は呟くようにその情報を言葉にする。


 ようやく事件の真髄に近づいてきた気がする。

 やっと掴んだ犯人に繋がる、1ピース。


「ただな。当時、現場はいつもよりも混雑していたから、一概にその男が突き落としたとはわからんぞ? 実際に突き落とした瞬間は並ぶ人たちで隠れて映っていなくてな・・・・・・。不思議と君が落ちる瞬間はしっかりとカメラに映っていたが・・・・・・」

 納得する春樹を前に犬神は、待て待て、と宥めるように言う。


 犬神がその一部始終を何度見返しても、その男が春樹を突き落としたと断言することは出来なかった。


「なるほど・・・・・・。確実に突き落としたという証拠はないということですか・・・・・・」

 話は大きく進んでいるはずだが、不思議と沈んだ気持ちになる。

「そういうことだ。それと君が落ちる時に、君の方へ伸びていたあの手も気になる」

 すると、犬神は難しい顔をして思い出したように言う。

「――あの手?」

 春樹は眉間にしわを寄せて目を細める。


 まさか、地獄からの魔の手とかそういうのじゃないよな。

 春樹は一瞬、寒気がした。


「ああ。君が突き落とされる時、人混みに紛れて君の方へと手が伸びていたんだ」

「それって、封筒の資料を取ろうとした――? そういうことですかね?」

 そんな光景を覚えているような、覚えていないような。

 春樹は事故当時の曖昧な記憶を掘り起こしていく。

 しかし、鮮明に思い出せない。

「それもあるかもな。君が突き落とされた拍子で封筒は宙に飛んで、カメラの撮影範囲外へ行ってしまったが」

 思い出したような素振りをして犬神は残念そうに言う。


 この時、犬神は「そこで我々がその封筒を拾った」とは口が裂けても言えなかった。


「そういうことですか・・・・・・」

 何となくだが、あの時何が起きたのか想像できた。


『重要人物は長身のスーツを着た男であったということ』

『突き落とした際に封筒を奪おうとした可能性があるということ』


 春樹は確実な足取りで真相に近づいていく。


「今、私がわかるのはそれくらいだ。また、わかれば伝えるよ」

 捜査会議の時間だ、そう言って背中を向け、犬神は走り去っていった。

「歩いていくんだ・・・・・・」

 犬神の背中を見届けながら、春樹は呆然とした顔で呟いた。


 数秒後、春樹は我に返ったような顔で周囲を見渡す。


「そうだ。こんなことしている場合じゃない」


 もう一度、職場に行こう。

 もしかしたら、また新しい何かがわかるかもしれない。


 春樹は早歩きで職場へと向かう。

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