第33話 春樹と犬神(1)
平日のお昼頃。
春樹は気分転換に近所の公園に来ていた。
「――で、なんで俺の行くところにいるんです?」
公園に辿り着くと、犬神がベンチに座っていた。
犬神の座るベンチの隣は誰かを待っているように空いている。
「いやいや、たまたま君が行くところに――私がいるだけだよ」
からかうような口調で犬神は笑顔を向ける。
「なんか意味深な言い方ですね」
私がいるところに君が来るだけ、と言う方ならまだわかる。
「そりゃ――犬神ですから」
ドヤ顔で犬神は言う。
「それで今日はどうしたんですか?」
このくだりに慣れてきたのか春樹は淡々と話を続ける。
「君の近況が少々気になってね。その様子だと柴犬百パーセントにはなっていないようだね。犬神さん、感心したよ」
「まあ・・・・・・、おかげさまで」
「良いことだよ」
犬神は「ふう」とそう言って、深呼吸をしている。
「そう言えば、一個聞いていいですか?」
「うむ。何個でも聞きたまえよ」
胸を張っているような姿勢で犬神は言う。
「こないだ会った時、若い刑事さんといましたよね? しかも、話していませんでした? どういうことですか? 犬神は人間と会話ができるんですか?」
先日の疑問を春樹は投げつける。
「って、おいおい・・・・・・。確かに何個でも、とは言ったが自分で一個と言っていたではないか・・・・・・?」
ちょい待ち、とでも言わんばかりに右手を春樹に向ける。
「あ、すみません・・・・・・」
言葉にしたら止まらなくなってしまっていた。
「――まあ、いいだろう。さっきの君の質問に答えよう。私は警察犬であり、役職は課長である。そして、グレイス商事の商品改ざんを捜査していた。で、若い刑事と話せるのは・・・・・・なんでだろうな? ――わからん」
犬神は春樹の質問に静かな口調で答えていき、気づいたような顔で眉間にしわを寄せる。
「もしかして、俺と彩香みたいな関係ですかね?」
春樹は一つの可能性を見つける。
「ん? 君も誰かと話せるのかい?」
「まあ・・・・・・、一人話せる人がいまして」
「その人は君の大切な人かい?」
見通したような顔で犬神は首を傾げる。
「んー、人間の頃は大切とまでは思っていなかったんですけどね・・・・・・。犬になってから彼女は俺にとって大切な人なんだと確信しましたよ」
春樹は改めて思う。ようやく、気づいたのだ。大切な彼女の存在に。
「――ほう。君にもそんな女性がいたとは」
意外そうな顔でふむふむと頷いている。
「実はいたんですよ。ということは、その若い刑事は犬神の大切な人なんですか?」
それを聞いた犬神は悩んでいるのかしばらく無言になる。
「――実はな。私がこの姿になる前の記憶がないんだ。君のように人間だったのか――。それとも初めからこの姿だったのか――。ただ、記憶にように植えつけられていたのは、私が犬神という存在であるということだけだった。その中で私はあの刑事と出会った。彼だけが私の言葉を理解してくれた。そして、私を警察犬に育ててくれた。可笑しいことに半年経った今じゃ、私の方が上の立場になってしまった・・・・・・」
犬神は淡々と自分に起こった出来事を春樹に話す。
一つ大きな嘘をついた。
それは自身の記憶が無いということ。
犬神になる前、彼は人間であり技術者であった。
人間出会った頃の彼は、仕事に没頭して家庭を顧みなかった性格だった。
半年前、路地裏で彼が目覚めると、自分の姿は人間ではなく秋田犬になっていた。
彼はこの姿になったと同時に自分が犬神であるという自覚があった。
どうしてそんな自覚があったのかはわからない。
でも、そのような不可思議な力が宿っているそんな気がしていた。
「なるほど・・・・・・。その刑事さんが助けてくれたんですね」
春樹は感心したようにうんうんと頷く。
「ああ。何でも彼が用意してくれるし、私の大好きな笹かまもくれる。最高の生活だよ」
笹かまが食べられる生活は最高だよ、と至福な一時を送っているような顔で言う。
「笹かま・・・・・・? かまぼこ?」
春樹は首を傾げながら、想像してみる。
犬神が笹かまを食べる姿。
どうしてか、違和感がない。
「ああ。そうだよ。あれは絶品だ! まさにワンダフルフードだよ!」
興奮したように犬神は春樹に説明する。
「あ・・・、そ、そうなんですね。というか、笹かまって人間が食べるものですよね・・・・・・?」
春樹は若干引き気味な口調で犬神に聞く。
笹かまは普通の人でもそんなに食べないだろう。
事実、春樹は数回しか食べたことしかない。
東北の方でよく食べるとは聞いたことがあるが、この近辺ではあまり聞かない。
まあ、確かに美味しいけど。
「そうなんだがな・・・・・・。なぜか私はあれが大好きなのだよ。――なぜか」
自分でも不思議そうに犬神は言う。
笹かまが好きな犬なんて珍しい。
そんな犬もいるんだな。
「そうだったんですね。それで事件の捜査は順調に進んでいるんですか?」
春樹は話題を元に戻す。
グレイス商事の改ざん。
その捜査を行っていたと犬神は言っていた。
ニュースでやっていた内容から、捜査は何かしらの進展があったのだろうか。
「リコールされた車の中で事故はまだ起きていなかった・・・・・・ことくらいかな」
何かを思い出しているように犬神は空を見上げてそう言った。
「事故は起きていなかったんですね。良かった・・・・・・」
ふう、とため息をつくように春樹は深呼吸をする。
良かった――。
何かしらの大きな事故に繋がっていなくて。
仮にリコールがなかったら、大きな事故が起きていたかもしれない。
そう考えたら、全身に鳥肌が立った。
すると、春樹の言葉を聞いた犬神は静かな口調でこう言った。
――本当に良かった。
「えっ?」
春樹はあまりにも普段の犬神と違う口調で思わず聞き返した。
「ん?」
聞き返すと犬神は笑顔で首を傾げている。
・・・・・・なんだ、気のせいか。
きっと聞き間違いだ。
春樹はそう思った。
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