第32話 起点の時(犬神)


 春樹が電車のホームに突き落とされるのとほぼ時刻――。


 駅から数十メートル離れた駅の隣接した駐車場に彼はいた。

 市内の駅付近を異常が無いか車でパトロールする。

 それが彼の主な仕事だった。


 ふと見上げると前方の空から、

 A4サイズが入りそうな封筒が風に吹かれて飛んでいる。


 粉雪と共に舞い降りるその封筒は不可思議な雰囲気を出していた。


 きっと、誰かの大事な書類なんだろう。

 きっと無くなって苦労するんだろうな、そう思いながら呆然と眺めていた。


 そして、その封筒は浮遊したようにゆっくりと彼の目の前に落ちる。


 何かの偶然か――。

 それとも彼らに与えられた宿命か――。


 その封筒は彼に出会いたかったように。

 そんな動きにも見えた。


「ん?」

 不思議に思った彼はゆっくりと腰を下げ、封筒を手に取る。


 どうやら、封は閉じられていない。

 この時代に不用心だな、彼は思った。


 手に取ると同時に何やらホームの方で騒ぎ声が聞こえる。

 騒ぎ声――というよりも悲鳴に近い声だ。


 彼は『ああ、また人身事故か』そう思い、駅のホームから封筒へと視線を戻す。


「失礼します・・・・・・」

 申し訳なさそうにそう言って、彼は中身の書類を見る。


 どうやら、書類は三枚あり、後ろの二枚は表紙の詳細情報のようだ。


 これで持ち主がわかればな。

 そう思いながら彼は書類の内容を拝見する。

 仮に誰かに見られても、立場上いくらでも言い訳ができると思った。


「は・・・? ――っ!?」

 書類を見た彼は瞬時にこの書類が《何》であるのかを理解する。

 途端に彼の表情は血の気が引いたように青ざめていく。


 何よりこの書類こそ、彼がこの半年間、必死で探していた情報だったのだ。


 やはり、これは偶然か――。

 それとも、神が仕向けた宿命か――。

 彼はあらゆる可能性を考えたが、答えは出なかった。


 一つ分かること。

 それは今の自分には真実を導き出せる力があるということ。


 彼は慌てたような足取りで、駐車場に停めていた黒いセダンに乗った。

 運転席に乗ると、助手席には白い秋田犬が寒そうに「まだか」と言いそうな顔で待っていた。


「お待たせしました――課長。パトロールは異常ありませんでしたよ。あ、それと――こんなものを拾いましたよ」

 何食わぬ顔で彼はそう言って白い秋田犬に書類を渡す。


 こんなにも感情がざわついている。

 初めての感情に表面上は落ち着いていた。


「ん? 君がそんなに目をギラギラさせているなんて――事件かな?」

 秋田犬は彼の持つ書類を見ながら、嬉しそうな顔で首を傾げる。

「事件ですよ。それも、私が一番止めなければいけない事件です」

 秋田犬を見つめ、はっきりとした声で彼は言う。

「ふむ・・・? 君が――か? ・・・・・・これは――君が調べたのか?」

 一枚目を読んで、秋田犬は真剣な眼差しで彼に聞く。

 秋田犬を包む雰囲気が一瞬にして変わったのが彼にはわかった。

「いえいえ、偶然目の前にその封筒が落ちてきたんですよ。で、拾ったらこれでした」

「――ほう。そんな偶然があるのか」

 信じられないような口調で秋田犬は言う。


 偶然とは時に必然である――。

 必然と言う名の宿命に――。


 秋田犬は事態の重要さを理解する。


「まだ、心の整理がつかないですよ。私が必死で探していた情報がこんなところで見つかるなんて。それに我々がこの書類を拾ったのも何かの運命ですかね」

 なんだか可笑しそうに彼は笑う。


 運命。というより、やはり宿命か――。

 彼は大きく息を吐いた。


「・・・・・・そうだな。これは我らにしか止められない仕事だな」

 秋田犬は両手を器用に使い、書類を手慣れた手つきで見ていく。

 次第に柔らかい表情にある眉間にしわが寄っていく。


「――っ!?」

 突然、秋田犬は急に何かを感じ取ったかのように周囲を見渡す。


 数秒して感じ取ったものがわかったのか、慌てて助手席から車外へ出て行く。


「どうしたんです、課長?」

 彼は慌てて運転席から出て、秋田犬の隣に立つ。


 普段はこんなに慌てるような行動はしない。

 彼は驚いていた。


「どうやら――数多くの不運が交差してしまったようだ」


 見通したような顔で秋田犬――犬神はそう言って、駅のホームへと向かって行った。


 ――今の私ができるすべてを。


 犬神は心の中でそう決意した。


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