第31話 動き始めた真実(6)


 春樹がご飯を食べ終える頃、

 彩香はサバの味噌煮を作っていた。


 彩香の家にお世話になって、初めて知ったことが三つある。


『感情の起伏が激しいこと』

『自炊をしているということ』

『朝が弱いということ』


 もう十五年以上も付き合いがあるというのに、

 知らないことがこんなにあったなんて。


 毎日毎日、新しい彼女の一面が見られる。

 春樹はそれが嬉しかった。


 こんなにも世界が変わる。

 今までの視点ががらりと変わる。

 そう考えると、この姿になって良かったのかもしれない。

 そんな気がした。


「あ、そう言えばさ」

 春樹は思い出したような顔で調理をしている彩香に言う。

「ん? なに? ごはん足りなかった?」

 申し訳なそうに彩香は言う。

「いや、ごはんは足りていました。ご馳走様でした。――じゃなくて、話があるんだけど」

「話って、もう話しているけど・・・・・・?」

「そう言う話じゃなくて――大事な話です」

 お座りをして真面目な顔で春樹は言う。

「大事な話? 実は私のことが好きだったとか?」

 何食わぬ顔で彩香は言う。


 そうだ。

 もう一つ、知らなかったことがある。


『積極的だったこと』


 もはや、積極的というよりかは攻めに近い。


「んー、だったというより、今も大好きなんですけど?」

 春樹は困った顔で彩香に言う。

「えっ?」

 ほうれん草の胡麻和えを小鉢に入れようとした菜箸の手が止まる。

「好きですよ、彩香さん」

 お座りの姿勢のまま、春樹ははっきりとした口調で言う。

「なんだかその姿で言われると、さすが私の愛犬ってなっちゃうー」

 嬉しそうに春樹を抱きしめ、頬をすりすりとする。

「そりゃ、彩香は俺の大好きな飼い主だからな」

 嘘偽りない春樹の本心だった。

 今の俺にとって彩香は大好きな『飼い主』なのだ。

「ありがとー」

 彩香はそう言うと春樹の右頬にキスをする。

「おおおっ」

 春樹の両耳がピンっと立つ。


 キス。

 どこの部位であれ、人間の頃は一度もされたこと無かったのに。


「――で、大事な話って?」

 料理の盛り付けも終わり、彩香はリビングのテーブルでごはんを食べている。


 鯖の味噌煮、味噌汁、ほうれん草の胡麻和えといった栄養バランスがしっかりしている食卓を見て、彩香との家庭が自然と想像できた。


 彩香との家庭。

 様々なことを想像するが、今の自分では彼女と手を繋ぐことさえもできない。

 春樹は右手を強く握り、悔しさを噛み締める。


 ……そう。

 俺はもう――犬なのだ。

 人間ではない。


 それでも、俺は彩香の愛犬として、供に生きることはできる。

 春樹は一つの選択を見つける。


「あ、そうそう。職場に行ってきたんだよ」

 気持ちを切り替えるように話を始める。

「えっ、遠くなかった?」

 テレビを点けて、本当に行ったの、と疑うような眼差しを向ける。

「うん。結構歩いたよ。それで、いくつかわかったことがあるんだ」

 春樹は喫煙所での話、犬神との話を全て話す。

「そんな資料だったんだ・・・・・・」

 うんうんと頷き、信じられない顔で彩香は俯く。

「俺も最初しか見てなかったから、まさか――そんな資料だったとは」

 改めて実感する。あの資料の重みを。

「そりゃ、普通は思ってもいないよね・・・・・・」

「にしても、それが自動車に使われているなんて・・・・・・」


 半年前からということは、その欠陥の大きな変化が見られるのは今頃である。

 もしも、その自動車が販売されていて誰かが乗っていたとしたならば、大きな事故になりかねない。

 

 ――だから、その前に資料がマスコミに流れた。


 春樹はふと思った。


「まさか、その事故を防ぐために改ざん資料がマスコミに流れた?」

 たどり着いた結論を春樹は口に出す。


『続いてのニュースです。商品改ざんの疑いがあったグレイス商事ですが、その商品が自動車に使われていることが判明いたしました。現在、その自動車の販売会社はリコールの手続きを行っています』


 すると、点いていたテレビから、ニュースキャスターのそんな声が聞こえた。


「春樹、これって?」

 彩香は手を止め、テレビに釘付けになる。

「――思っていた以上に早いな」


 マスコミの対応。

 というより警察――犬神か。


「これなら事故が起こる前に防げそうだね」

 ほっとした顔で彩香は胸を撫で下ろす。

「ああ、そうだな」

 春樹は冷静な顔で安心する彩香に言う。


 これが本当に犯人の目的だったのか――?

 俺から資料を奪おうとしていたならば、なぜマスコミに資料を渡したのだろうか。 

 むしろ、隠す側なんじゃないのか?

 多くの疑問が残る。


「でも、なんだかその犬神っていう犬の存在も気になるよね」

 深刻な顔で悩みながら彩香は思い出したように言う。

「犬神?」

 気になるも何も疑惑の存在であるのは出会った時からだ。

 あのうさん臭い言動の真意はいつもわからない。

「うん。まず、なんで春樹が人間だったことやその事件のことを知っていたの? まあ、その・・・・・・本当に神さまでとかならさ、訳わからないのもしょうがないかもだけど」

 彩香は『春樹のその事実』を知っていることに疑問を持っていた。

 春樹自身も知らぬその事実を知る術など、本来無いはずだ。

「そう言われたら、確かにそうだよな・・・・・・」

 確かに会った時から俺のことを知っているような雰囲気だった。

「それと仮にさ、春樹から書類を奪おうとした人とこの書類をマスコミに流した人が別だとしたら?」

「ん? 別と言いますと?」

 春樹は瞬きをして訳がわからない顔をする。いったいどういう意味だろう。

「本当はわからないよ? 仮の話だよ?」

 前振りのように彩香は念を押す。

「う、うん」

「春樹からその改ざん書類を奪おうとした人は誤って春樹を突き落してしまった。突き落とされた春樹が持っていた書類を誰かが拾い、それをマスコミに流した。その可能性って無いのかな?」

「つまり、『奪おうとした人』と『拾った人』がいたってこと?」

「そういうこと。だとしたら、この流れも多少理解できるんじゃないかな?」

「なるほど・・・・・・」


 犯人は一人、その概念に縛られていた。

 そう言われると、どうしてマスコミ流れたのかも理解できる。

 でも、そんないくつもの偶然があるのだろうか。


 春樹がうんうんと頷いている中、彩香は複雑な心境だった。


 真実に近づく度、春樹が遠くなっていく。

 ならいっそ、犬になってくれないだろうか――。


 彩香は不謹慎ながらそう思ってしまった。



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