第25話 起点の時


 春樹が事故に遭う二時間前――。


「池上、ちょっといいか」

 自分の机で帰る準備をしている春樹に、風間は自分の席から呼ぶように言った。

「――はい。なんでしょうか」

 そう言う前に身体を動かし、しゃべり終える頃には風間の元へいた。

「これをお前に預けたい」

 そう言ってA4サイズの書類が入りそうな封筒を春樹に渡す。

「あっ――はい。これは来週の打ち合わせで使うものですか?」

 不思議そうな顔で受け取る。


 来週の月曜日に他社での打ち合わせがあり、春樹はその打ち合わせに勉強ということで同席する。

 この書類はその資料なのだろうか。


「――いや、それじゃない」

 風間は何か別のことを考えていたような顔で言う。


 それじゃない――。

 なら、どれだ――?


 春樹はそう思ったが自然と聞けなかった。

「そうですか。とりあえず、僕が持っていていいんですか?」

 関係ない資料を持っていて良いのだろうか。

「ああ。しばらく――預かっていてくれ、頼む」

「――わかりました」

 頼む、そんな言い方をされたのは初めてだった。

「退勤前にすまないな」

「いえいえ。――では、お先に失礼します」

「お疲れさま」


 春樹が頭を下げ部署の扉を出ると、別の扉から出てきた柏木と出くわす。


 何やら慌てたような顔をしている。

 緊急の仕事でも入ったのだろうか。


「あ、お疲れさまです」

 申し訳なさそうな顔で春樹は頭を軽く下げる。

「お、おう、お疲れー。・・・・・・これから打ち合わせか?」

 柏木はしゃべりながら慌てた口調から落ち着いた口調へシフトしていく。

「いえ、これから帰るところですよ」

「お、そうかー。てっきりその封筒は打ち合わせ資料かなんかだと思ったよ」

「あー、そうですよね。そう見えますよね。これは部長から預かりものですよ」

「風間部長のか? そりゃ――、大事にしないとな」

 柏木はそう言って春樹の肩を叩き、エレベーター側へ軽く押す。

「では、お疲れさまです」

「お疲れー」

 春樹は柏木に頭を下げ、エレベーターに乗る。

 どうやら、こちらに来ないあたり柏木は部署へ戻ったようだ。


「ふう・・・・・・」

 自分の中で一歩、何かが前進したような気がした。


 春樹はエレベーターの中で大きく息を吐き、小さくガッツポーズをした。

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