第23話 春樹と彩香(14)


「純度百パーセントの柴犬かー」 

「うん。そうなったら、もう人と会話することは難しいと思う」


「じゃあ、今は不純な状態なの? 不純な柴犬?」

 不思議とそう思ったのか、彩香は普段と変わらぬ顔で言う。

「不純・・・・・・。確かに今は不純かもしれない・・・・・・」


 彩香のおっぱいに飛び込みたいし、雌犬の尻を追いかけそうになるし。

 本当にいつから、俺はこんなにも不純になってしまったのだろうか。


「――そういう不純じゃないわよ」

 蔑んだような顔で彩香は言う。

 相変わらず、彩香は俺の考えていることが手に取るようにわかるようだ。

「あ、ごめん。で、今の俺は人間の精神と柴犬の肉体、そんな感じなのかな?」

 イメージはそんな感じだろう。

「そうだよね・・・・・・。その人間の精神が徐々に犬の精神に近づいている、ということね・・・・・・。なんか変化とかあったの?」


「んー、変化? 変化と言ったら――」

 春樹は今までの行動を振り返ってみる。


「雌犬のお尻にムラムラしてきたこととかかな・・・・・・?」

 大きな変化はこれだろう。


「・・・・・・」

 無言で彩香が見つめる。

「あっ、ごめん! そういうことじゃないよね!」

 考えもしないでしゃべるからこうなるんだ。ちょっと反省。

「確かに、それは昔の春樹にはなかった――もんね?」

 何かを確認するように、なかった、という言葉を強調する彩香。

「う、うん! な、なかったよ!」

 なんで俺はこんなにも息詰まっているのだろうか。

「それは雄犬の精神みたいだもんね・・・・・・」

 まじまじと春樹を見ながら、彩香は言う。

「雄犬・・・・・・。そうか、雄なのか俺」

「いや、雄以外なんだと思っていたの?」

 唖然とした顔で彩香は言う。

「んー、自分が男って思っていたからさ。男と雄ってなんか違くない?」

「・・・・・・雄は野蛮な感じがするね」

 少し顔を赤くして彩香は言う。

「野蛮・・・・・・。雌犬と・・・・・・」

 雄雌という響きはなんというか生物的なイメージがあり、必然と繁殖と言うイメージにつながる。

 春樹は、もしも自分が犬のままで繁殖するならば、というイメージをしてみる。

「・・・・・・あんた、また変なこと考えてない?」

 口をぽかーんと開け、イメージする春樹に彩香は目を細めて言う。

「・・・・・・なんでわかるの?」

「そんな顔しているわよ。この変態――駄犬」

「うっ・・・・・・。雄なんだから、しょうがないじゃないか・・・・・・」

「雄だったらさ・・・・・・。人間の頃ももう少し積極的にして欲しかったなー」

 彩香は何かを思い出しているように、小さく呟いていた。

「ん? 積極的に?」

 春樹は聞き返す。

「もうっ! なんでもない!」

 自分の感情さえも振り切るような勢いでそう言って、彩香は部屋へ向かって行く。

「積極的に・・・・・・か・・・・・・」

 部屋へと戻る彩香の背中を見つめて、春樹は思う。


 確かに、この感情に気づく前の人間の頃は消極的だったかもしれない。

 こんなちょっとずれた会話なんて、一度もしたことが無かった。


 ――人間の頃の後悔が春樹の心を埋め尽くした。


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