第14話 春樹と彩香(5)


 ごろんと身体が動く感覚で春樹は目覚めた。


 なんだか懐かしい夢を見ていたような気がする。


 あの時は彩香がうちに住むみたいな話をしていたけど。

 まさか逆の立場になるとは。


 本当に人生、何が起こるかわからない。

 春樹はしみじみ思う。


「・・・ん?」

 目を開けると、春樹はベッドの端にいた。

「あ、おはよう。――春樹」

 後ろで寝ぼけているような声で彩香が言う。

「ん、おは――」

 よう、そう挨拶をしようと春樹は振り向く。


 そこにあったのは、キャミソールの左肩の紐が肘のあたりまでに下がっていて、

 今にでも脱げそうな状態の彩香がいた。


 少しばかりか彼女の胸の一部が露出している。


 無防備。

 今の彼女の姿はまさしくそれだろう。


 というより、寝る時は女性特有の下着を着けてないのが基本なのだろうか。


「さ、や、か・・・・・・」

 口を半開きにしながら春樹は言う。


 朝から刺激が強いというか――。

 なんか変な感情が盛り上がるというか――。


「ん? どうしたの? 朝からそんな驚いた顔して」

 眠たそうに目をこすりながら、彩香は不思議そうに言う。


 何度も瞬きしてあくびをするあたり、彼女は朝が弱いのだろう。

 

 ――知らなかった。


 うっとりとした雰囲気の彼女は――色気があった。

 こんなに色気があるなんて、今の今まで知らなかった。


 ――いや、知ろうとしなかったのかもしれない。


 今までの自分は何をやっていたのだろう。

 春樹は過去の自分を殴りたくなった。


「いや・・・、驚くも何も・・・・・・服っ――!」

 目を隠すように両手を目元まで上げる。


 いかんせん、犬前足だとなかなか目元まで届かない。


 できる限り見ないようにしたい――。

 でも、見えてしまう――。見たい――。


 春樹は理性と戦っているように首を左右に振るう。


「服? ――っ!」

 首を傾げた後、彩香は自分の服を見た瞬間、真っ赤な顔になった。


 そして、勢いよく右足で春樹を蹴り飛ばす。


「ぐへっ!?」

 春樹の顎に彩香の右足が当たり、春樹は打ち上げられるように一回転する。


 ドサッと音を立て、春樹はベッドの下へ落下した。


「ああっ! ごめん、春樹!」

 ハッと我に返った顔で彩香はいつもより声を高くして、春樹の元へ向かう。

「おおっ・・・・・・。いったい、何が起こったんだ・・・・・・?」

 春樹はふらふらと立ち上がった。


 一瞬、この身体が宙に浮いたような気がする。


 浮遊。

 浮くというか、一瞬だけ無重力になったような感覚だった。


「大丈夫? 痛くない?」

 彩香は両手で春樹の顔を撫でるように触る。

「んー、痛くはないけど・・・・・・、今俺どうなってた?」

 痛みよりも自分の身にどんなことが遭ったのかのほうが気になる。

「・・・・・・くるくる飛んでた」

 申し訳なさそうに彩香は言う。

「・・・・・・小型犬ならわかるけど、中型犬を回転させるほど蹴り飛ばすって・・・・・・」

 呆然と彩香を見つめる。


 今の俺でも体重は十キロあるかないかくらいだろう。

 それを軽々しく蹴り飛ばすとは。


「なによ、その『バカ力女』って言いたげな顔は」

 不満げな顔で彩香は春樹を睨むように言う。

「ええっ、何も言ってないのになんでわかるの?」

 考えていることがばれている・・・・・・なぜだ。

「そんな顔してたわよ?」

「そんな顔?」

「なんというか・・・・・・。わかるのよ」

 ため息をついて、彩香は言う。

「え、わかんの?」

 いつから彩香は人の心が読めるようになったのだろう。いや、犬か。

「そりゃ・・・、春樹だからよ」

 その後も言わないといけないの? 彩香は不貞腐れたような顔で言う。

「・・・・・・いや、大丈夫」

 彼女の思いがしみじみと伝わっていく。


 どうして、僕らはこうも互いに互いを思っていたのに普通の幼馴染だったのだろう。


 春樹はふと疑問に思ったが、それは一言で納得することだった。


 ――気づかなかった。


 そうなのだ。ただ単純なことだったのだ。


 春樹自身も彩香も、自分の『好き』と言う気持ちに気づかなかったのだ。


「――で、これからどうするの?」

 鏡の前でスーツに着替えながら、彩香はベッドに座る春樹に言った。


 彼女は文系大学を卒業して広告代理店に就職した。

 本人は事務職の希望だったらしいが、結局営業職で働いている。


 就職後しばらくしてから、よく居酒屋に呼び出されて愚痴を聞かされたことを春樹は思い出す。

 その会話の中で春樹は「辞めれば」ってよく言っていたけど、彩香はいつも「逃げるようで嫌だ」とそう言っていた。

 その後にいつも言うのが、「誰かに永久就職出来たら、働かなくていいのに」とかそんなことをとろんとした顔で言っていた。

 ――酔ってもいないのに。


 今思えば、それは俺に向けた言葉だったのかもしれない。

 まあ、その時の俺の返事が「今は共働きの社会だから、永久就職は難しいかもよ」と真面目に返していた気がする。

 我ながら、もう少し別の言葉があったんじゃないかと思う。


 それも紛れも無く彼女との幸せな時間だった。


「んー、とりあえず、今日は家でゆっくりとしてるよ」

 外に出てもしょうがない。

「外に出てもやることないもんね」

 鏡を見ながら髪を整え、彩香はそう言った。

「うん。そうなんだよね――って、なんでわかったの?」

 ほんとに気持ちを口に出しているのでは――。春樹は不安になった。

「だーかーらー。――もうっ」

 むすっとした顔で彩香は春樹を見つめ、ため息をついて部屋を出て行った。

「あれ、彩香―!」

 ベッドの上で叫ぶように呼ぶが、彩香が戻ってくる気配はない。


 しばらくして、玄関のドアが閉まる音がした。

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