第7話 悲劇と出会い(5)


 実家へ辿り着くと、

 リビングの窓から喪服姿の母親が見えた。


 一人一人、丁寧にお辞儀をするその姿は春樹の知る母だった。


 親孝行。

 考えても、それらしいことは出来ていなかった。


 父さんも、母さんも。

 もっと話せば良かった――。

 春樹は母の姿を見て後悔した。


 就職して色々わかってきたことがある。

 母の苦労も、父の苦労も。

 その苦労をどのように解決した、乗り越えてきた。

 いつか、そんな話を聞けたら――、そう思っていた。


 でも、その『いつか』はもう二度と来ないのだ――。

 思う度、春樹の中で後悔が残る。


 そんな泣いている母の横に立っていたのは、幼馴染の彩香だった。


「彩香・・・・・・」


 相内彩香(あいうちさやか)。

 一番仲が良かった女友達。彩香はそんな存在だった。


 幼稚園から高校生まで一緒。

 別々の大学に行ってからも時々二人で遊んだり、夜通しゲームをする仲だった。

 ついこないだも一緒に映画を見に行った記憶がある。


 気が付けば、いつも俺の幸せの隣には彩香がいた。

 彼女の笑顔が頭に浮かぶ。


「でももう――」


 それは無理な話。

 春樹は彼女との記憶を駆け巡るように思い出していた。


 彼女の笑顔は見られない。

 そう思うと、自然と涙が出てきた。


「あ、あれ・・・・・・?」

 器用に右手で目をこすり、それが涙であることを確認する。


 犬でも涙を流すのか。

 春樹はそれも驚いたが、問題はそこじゃない。


 涙が出る理由。

 人間の頃はほとんど泣いたことが無かったのに。

 それもこれも彼女に会えなくなる、そう思った瞬間からだ。


 いつでも会えたはずの彼女に会えない。

 次第に辛い感情が春樹を襲う。


「この気持ちは――」

 辛い。でも、それ以上に愛おしい感情が湧いて来た。

 この感情は間違いなく彩香に対してだろう。


 もしかして、俺は――彼女のことが好きだったのか。


 そうか。だから、こんなにも――。

 春樹は今更、自分の気持ちに気づく。


「でも、もう――」


 彼女を好きだったとしても。

 窓越しの彼女を見つめて、春樹は実家に背を向けた。


 もう池上春樹という人間は死んでしまった。

 

 これからは柴犬として生きるしか――無い。

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