第4話 悲劇と出会い(2)


「――そうか」

 彩香は気が付いたように空を見上げた。


 そう思うと過去の自分たちの行動や気持ちに納得が出来る。


 私にとって、彼は――そうか、そうだったのか。


 ――私は彼のことが好きだったのだ。


 どうやら私、相内彩香は池上春樹が好きだったのだ。


 あまりにも近すぎて、それが『好き』だと言うことに気が付いていなかったなんて、私はなんてバカなんだろう。大バカ者だ。


 もしも、この気持ちを彼に伝えられていたら、もっと一緒にいれただろうか?。


 もしも、私が隣にいられたら、彼の事故を防げたんじゃないだろうか。


 そんなありもしない『もしも』の話を考える。


 この感情を何と言うか私は知っている。

 後悔と言うのだ。


「春樹・・・・・・」

 彩香は俯き、彼の名を呟きながら再び歩き始めた。

 

 ――彼のいないこの道を。

 

 歩き始めるのと同時に予報に無い雨が降り始める。


 積もっていたほんの少しの雪がシャーベット状に変わっていた。


「はるきぃ・・・・・・」


 溢れだす感情が止まらない。


 気づいてしまった。

 あなたを好きという気持ち。


 でも、そのあなたはもういない。

 大好きなあなたが私を見て微笑む姿が。

 その姿が今の私の中で大きくなっていく。


 彩香は歩みを止め、静かに泣き崩れた。


 やはり、彼のいないこの道を歩くのは――辛い。


 そんな時だった。


「・・・・・・わんっ」

 雨の中、そんな彼女に現れたのは茶色い一匹の柴犬だった。


 柴犬と私。

 雨に打たれながら、その柴犬は私のことをじっと見つめている。


「・・・・・・ん? どうしたの?」

 涙を拭い不思議そうに彩香は首を傾げて、柴犬を見つめる。


 いくら相手が犬とはいえ、こんな情けない姿は見せられない。


「・・・わん」

 なんだか悲しそうな足取りで柴犬は彩香へ歩み寄る。


「ん・・・? あなたも一人なの? 私もね――――一人になっちゃったんだよ」

 歩み寄る柴犬に彩香は可笑しそうに言う。


 私は一人になってしまったのだ。

 口にすると実感する。


 ――その孤独感に。


「わん?」

 無垢な瞳で不思議そうに首を傾げている。


 犬に言ってもしょうがないけれども。

 それでも口にしなければ、私の気持ちが壊れてしまいそうだった。


「大切な人ってさ、いなくなってから気づくんだね・・・・・・。今更、私はあの人のことが好きなんだって気づいたの。どうしようもないほど――大好きなんだよ・・・・・・」

 彩香は思い出しているかのようにそう言って、柴犬の頭を撫でる。


 大好き。

 その言葉を発する度に彼への愛しさが溢れていく。


 好き。

 それよりも、愛していると言う感情が勝る。 


 もしかしたら、私は彼のことを愛していたのかもしれない。

 一人の男性として。


「わん! わんっ!」

 彩香の話を聞いた柴犬は何かを訴えるように吠え始める。

「あっ、ごめんね。こんな話しちゃって。じゃあ、行くね・・・・・・」

 そして、彩香は柴犬に背中を向けて、立ち去ろうとする。


 ――好きだ。


 突然、誰かの声が聞こえる。


 この声は――。

 忘れもしない彼の声――。


「えっ?」

 私が聞き間違えるはずはない。


 辺りを見渡す。

 でも――彼はいない。


「そっか、幻聴なのか・・・・・・」

 生きているかもしれない。

 そんな思いから、幻聴を聞いてしまったようだ。


 ――いけない。もう彼はいないのだ。


 私よ、お願いだからその事実を理解して。


 ため息をつき、彩香は再び歩き始めようとする。


 ――彩香、俺だ。


 やっぱり、聞こえる。


 慌てて振り向くと、柴犬が彩香をじっと見つめている。


 そして――

「彩香、俺だよ」

 柴犬は彩香を見つめて、確かにそう言った。

「えっ・・・? 柴犬がしゃべった・・・?」

 彩香はまじまじと柴犬を見つめる。

 そんな馬鹿なことあるはずない。

 とうとう、そこまで可笑しくなってしまったのか、私は。

 彩香は内心そう思っていた。

「――えっ、俺の声が聞こえるのか?」

 柴犬はハッと驚いた顔で彩香に聞く。

「う、うん・・・聞こえるよ・・・・・・? その声――春樹?」

 まさか、とでも言いそうな顔で彩香は言う。

 

 落ち着かない私の心に透き通る彼の声。

 間違いない、彼の声だ。


「うん。俺だよ。彩香」

 なんだか落ち着いたような声で柴犬、春樹は言う。

「と、とりあえずさ――」

「ん?」

「――ウチくる?」

 慌てた顔で彩香は言う。

 何も考えず、反射的に流れで言ってしまった。


 この状況で何を言っているんだ私は。

 相手は柴犬だぞ。


 昔と今は状況が違うのだと、彩香は今更気づく。


「おっと、それはもしや――」

 泊めて頂けるのか、春樹はそう言おうとした。

「――って、変な期待しないでよ?」

 彩香はハッと気づいたような顔で春樹に言う。

 まるで春樹のような反応で彩香は自然とそう返す。

「彩香、この姿でなんの期待をしろと・・・・・・?」

 春樹は首を曲げ、自分の身体を見てそう言った。


 今、人間だったら色々な期待をしていただろう。

 だが、今はそんな期待をしている場合ではない。

 春樹は心の中でため息をついた。


「うっ・・・。それもそうだね・・・・・・」

 しまった――、とでも言いそうな顔で彩香は俯いた。


 なんだかその表情は春樹を懐かしい気持ちにさせた。

 

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