第30話 会議の円卓
円卓は重々しい雰囲気に包まれていた。椅子についた長五人と、その後ろに一人ずつ寄り添い立つもう五人の間には、煙のような不透明な沈黙と、張り詰めた空気が充満し、抜け目のない視線が交わされていた。中央の代表はドストスペクトラ、補佐が俺、東面からは長老、後ろに若頭が、西面はニミリとモルグ、北面は外道法師とその部下がそれぞれ座り、南面からはグラムシが幽閉していた元首長が代表として来ていた。
「お前の爺さん、生きてたんだな」
東面の長老を見ながら、ユーメルヴィルに尋ねる。グラムシたちは手にかけたと言っていたが、長老はぴんぴんしていた。中央の疫病対策が功を奏したのか、病からも恢復されたようだった。
「村の爺婆皆無事だった。脅かしやがって……」
ニミリが腕を頭の後ろに組んであっけらかんと言い放つ。
「心理戦は戦いの基本だよ? 俺が病気のお年寄りに手出しするわけないじゃないの、若頭クン」
「……グラムシさんは攻撃するつもりだったんですけど、ニミリさんが裏で手を回して匿っておいたんです」
モルグが耳打ちする。
「けっ、いけ好かねぇ野郎だ」
メルヴィルは口を尖らせるが、態度は幾ばくか柔和になっていた。
俺の前に座って手を組んでいたスペクトラが、いかめしい口調で口火を切った。
「こうして
東面の長老が重々しく口を開く。一同の中で最高齢だ。豊かな紅い髭が上下する。
「先代以来ですな。貧民街が分断されてこの方……、話し合いの場が持たれることは無かった。このような場を設けていただいたこと、嬉しい限りです」
「話し合い? 何の冗談だよ爺さん。こいつらは魔境の全地域を落としたんだ。これは一方的な宣告だよ」
「左様」
南面の葦毛の長が同意する。長老に次ぐ年寄で、木製の杖を握りしめている。
「今日の目的は分かっている……。ドストスペクトラによる救世主殿への戴冠……。誰が上なのかを分からせるための儀式だ」
「そりゃ俺と法師サンは囚われの身だしねェ。誰に反対できるって話だよ」
ニニギニミリが長の意見に同意する。
「一同、静粛に」ドストスペクトラが厳かに言い放つ。それから俺に合図を送る。俺は肯いて、懐からとり出した羊皮紙を手渡した。周囲から冷たい視線が突き刺さる。スペクトラが咳払いして、文面を読み上げる。
「――『
「馬鹿な!」
各組織の長たちは唖然として立ち上がった。
「福音派と自分自身を頂点に据え、我らを従属させることだってできたはずだ。それが合議制だと……? 自ら手に入れた地位を手放すというのか?」
「しかも座主の称号をあくまで実質的権限の無い象徴として扱う上、その叙任を連合加盟地域全体の承認という形で執り行うとは……。ドストスペクトラ、お前の名のもとに叙任を行えば事実上の指導者は貴様ということにできたのだぞ? どういう風の吹き回しだ。これでは私達に都合がよすぎる」
「皆スペクトラのことを理解していないな」
俺は一同を見渡してにやりと笑った。
「初めから彼の目的はスラム諸地域の連帯の回復だけだったんだよ。かつて彼の祖父が統治していた頃のように、な」
「ああ」
ドストスペクトラが肯く。
「我が祖父の時代は、スラム地域のあらゆる開墾地は共用であり、諸地域の問題は全て共同体全体の問題として共有されていた。それが現在では地域間の断絶から用水を引くこともできず、工業の技術は独占され、食糧や疫病の問題は自集団内で解決せざるを得なくなっている。これらの問題は全て、我々が一つの組織として共有すれば解決できるはずだ」
「しかし、あんたは俺たち組織を傘下として管理することもできたはずだぜ。あるいは、福音派を正統として統制することも……」
ニミリが不思議そうに尋ねる。
「祖父の時代は信仰も一つだった。それ故にそのやり方で事が上手く運んだ……。しかし信仰が分派した現在において、ひとつの教派に皆を改宗させることはできない。表面上で統一できたとしても、腹の中に反感や対立を飼ったままでは、実質的に分断は解消できていない。そのような遺恨のある状態で農地や政治問題を共同管理することできる筈がない。争いの火種を育てるだけだ。俺は初めから権力などに興味はない。ただこのスラムに、祖父の時代のような安寧を取り戻したいだけなのだ」
「どうだ。この『野猿協定』……、締結するつもりはないか?」
俺は皆の顔を見渡して、投げかける。一同は狐につままれたような顔を見合わせる。
「……私は賛成ですな。中央の方々には、連合から村を取り戻していただいた。孫もそちらのましら殿を認めているようだ」
穏健派の東面が賛意を示す。難しい顔をしていた南面の長も、口を開く。
「連合の一件には儂も業を煮やしている。脱獄兵グラムシによるクーデター、儂も幽閉されていた身として、彼を討った
「最終的に兄貴を倒したのは鬼だけどな」ニミリが苦々し気に言う。「俺たち捕虜の扱いはどうなるんだ?」
「君と法師は解放する。若頭と結んでいた、東面との主従関係も解消だ。長老が頭に復帰したからな。これまで通りそれぞれの土地の者をとり纏めてくれ」
「相変わらず合理的だな、君は」
法師が口角を緩める。「良いだろう。スペクトラに倣って、私も過去の遺恨は水に流すとしよう」
四人全員が、スペクトラの名の横に署名を連ねた。スペクトラが満足そうに肯く。
「では……、貧民街連合の第一の共同案件を提案する」
俺は座に向かって低く唱える。一同の目が集まる。
「ドクター・リリパット救出……、即ち緑衣の
弛緩しかけた場の空気が、再び張り詰める。「やはりそう来たか」ニミリは唇を吊り上げる。協定を吞んだのも鬼への報復を計算しての事だろう。
「事前に伝えたが、ドクター・リリパットが緑衣の鬼に
「あそこは手つかずとはいえ皇族の所有地……。裏の人間でもめったに出入りしないからな。身を隠すには持って来いというわけだ」
南面の長が納得する。
「彼女の失踪から一週間……。傷病人の介抱もままならない。由々しき事態よ」
リリの不在による混乱……。この劣悪な衛生下では必然的だ。むしろ今まで生活が成り立っていたのが不思議なくらいである。
法師も同意して続ける。
「ドクターが今もそこにいるかは分からないが、恐らく生きてはいる。鬼のこれまでの傾向から考えて、殺しに手は染めてないはずだ。生かしたまま苦しめるのがお好みらしいからな。ヒトを猿に改造する、とか」
一同は苦々しく、自嘲的に笑う。
「だがドクターが野風の身になっているにせよ、ヒトのままにせよ、まだ虜になっているのは確かだ。もし逃げていれば中央に身を寄せているだろう」
だが砦には何の連絡もない。スペクトラは後を引き継ぐ。
「実は独自に調査隊を派遣した。距離からして既に戻っていてもおかしくないが、結果帰ってきたのは馬だけだった」
「東面からもだ。少数精鋭で二度遣いをやったが、帰ってこなかった。返り討ちにあったと見て間違いないだろう」
ミイラ盗りがミイラになる、か。俺は古代遺跡を想像して考えた。今頃仲間の猿たちも、リリと一緒に囚われているのだろうか。リリは無事なのか? 鬼は異常者だ。何をされているとも分からない。傷は治せても心は癒せないのだ。
「しかし、不意を突いての探査にしては、向こうの首尾が良すぎるね」
ニミリが疑問を口にする。
「鬼の話だよ。突然の襲来、一人くらい帰還者が現れそうなものなのに、全員向こうの手籠めにされている。まるで偵察を送るのが分かっていたみたいだ」
「俺らの中に内通者が居ると?」
メルヴィルが渋い顔をする。ニミリは色眼鏡を押し上げて、ふらふらと手を振る。
「そういうことじゃないよ。これは罠じゃないかってことさ。そもそもこれまで暗躍に徹しその存在すら不確かだった鬼が、一転堂々とスラムに出没し、わざわざ法師サンに所在まで教えているわけだ。思惑があるとしか思えない」
「鬼さんこちら、というわけか……。追いかけるより追いかけさせた方が効率が良い。網に獲物がかかるのを待つだけだからな」
俺は怒りを押し殺して言う。小賢しい奴だ。次闘う時は前回のようにはいかない。そのために力を磨いてきた。
「となると、敵の意表を突く必要がありますな」
長老が腕を組む。
「こういうのは如何でしょう、こちらの戦力を結集しての総攻撃。いかに剛腕の鬼と言えど、この人数でかかれば仕留められぬはずはない」
「リスクが大きいな」
法師が渋る。
「敵がどんな策を講じているかも分からない。それに、警備隊との衝突もさけられない。もう少し調査団を増やして様子を……」
「悠長に構えてる時間はない!」
俺は机を叩いた。
「敵はあの鬼だ。拷問まがいの責め苦を与えられてるかもしれない。既に1週間も経ってるんだ、これ以上待たせたくない……!」
俺は拳を握りしめる。ニミリがふらりと手を挙げた。
「総動員の案は賛成だよ。俺も力を借りたいと思っていた。戦力は多い方が良い」
「だが、民草を危険にさらすことになる」南面の長が渋面のまま口を開く。「それは救世主としての判断か、それとも、個人としての感情か?」
「俺の個人的な願望だ」俺は即答する。「だが同時に、あんたたちのためでもある。緑衣の鬼が野風の味方でないことが分かった今……、奴は貧民街を脅かす存在になりつつある。それに鬼の首を持ち帰ればかなりの功労だ。警備隊も溜飲を下げざるを得ない。何よりドクターの損失は、この街の住民にとって大きな痛手になるはずだ。そうだろ?」
俺は神妙に頭を下げる。
「情報でも足でも良い。力を貸してくれないか。それが結果として住人のためになる。あの子は俺にとっても、この街にとっても必要な人間だ」
答えは返ってこない。数秒間の沈黙……。俺は目を閉じ床に面を向けたまま、じっと返事を待った。法師が手を上げる気配がした。
「私は参加するよ。うちは血の気の多い連中で溢れてるしね」
「右に同じですな。そもそも連合軍は私の発案ですから」
穏やかな長老の声がした。ニミリも同意するように肯く。俺は頭を上げる。周囲の視線が、南面の首長に集まる。彼は悩むようにうなだれていたが、やがて意を決したように組んでいた腕を解いた。
「機を窺うつもりだったが……。今が時なのかもしれないな」振り向いて、俺の目を見据える。「あなたの決断を信じよう」
「そう来なくちゃな」メルヴィルが勇むように答える。「感謝する。御一同」スペクトラが円卓を見渡して言った。
長たちは即座に頭を突き合わせる。
「動くなら早い方が良い。敵に情報が漏れるとも限らん。すぐでも行動に移そう」
「急いで住人に知らせろ! 動けるものを回せ!」法師が護衛に指示を出す。
「中央は既に兵を揃えている。これだけの数となると、馬の手配が問題だが……」
「それはうちに任せておけよ」若頭が答える。「うちは年寄りが多いからな……。馬が欠かせない」
「これだけの大隊となると相当目立つよな……」
「半日程度の行程だ。夜に紛れ、明け方に向こうに着けばちょうどいい。幸い今は濃霧期……」
場内は再び熱を持ち始めた。モルグが俺の肩に手を載せる。俺は肯き、遠く東に煌く硝子の森に目を向けた。樹海の魔法使いの姿が目に浮かぶ。もう間もなくだ……。首を洗って待っていろ。
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