第11話 囚人一派
「俺が警備隊に……?」
予想外の誘いに、俺は動揺を必死で隠す。カミラタは慌てるなという風に手で俺を制す。
「警備隊にと言っても、今すぐというわけじゃないんだ。1年間は服役してもらい、適正があるかどうかを判断する。模範囚として認められたら、特務隊長の権原を使って出獄と入隊の手続きを進める。しばらくは監視と更生も兼ねて、俺の直属で働いてもらうぞ」
「しかし……、35年の刑期が1年に縮むんだぞ? そんなことが可能なのか?」
「引き抜きは警備隊でも奨励されている制度だ。優秀な人材を燻らせずに済むし、お前さんのような不幸な成り行きで重すぎる罰を受けている者への救済措置でもある。実際、ヴィーメルボルン……、お前が牽制した俺の部下も、同じ制度で俺が引き抜いた。今では実働隊長補佐まで昇進しているよ」
「しかし迂遠な手段だな……。初めから見逃してくれれば、話は早かっただろうに」
「それはできない。俺は法に則って闘うと決めているんでな」
カミラタはきっぱりと言い切った。俺は口をつぐみ、壁にもたれかかった。
「すぐにとは言わん。よく考えて決めてくれ」
「信用できる話なのか?」
翌朝の食堂で、ジンメルは腕組みをして俺たちの方を見た。
「引き抜きの制度は実際存在しています。各部隊長が1年に1人まで模範囚を部下にできるシステム……。実績もあり、優秀な人材を定期的に引き抜くことで囚人たちの勢力拡大を抑制できるというメリットもある」
「しかし、猿族からの引き抜きの先例は無いだろう?」
ジンメルが険しい表情で切り返す。
「ええ。ですが、カミラタの言葉に偽りはありませんでした。ましら殿が敵方に付くのは本意ではないですが……、猿族に理解のあるカミラタと、教會の導き手であるましら殿が手を組めば、事態はむしろ好転するやもしれない。あなたの目的にも合致するでしょう?」
「ヴァルゴ人の君が言うのならそうなのだろうが……」
ボアソナードの説明に、ジンメルは渋々首肯した。革命家らしい懊悩がその顔に浮かんでいた。
「でもカミラタの事は信用できないな。彼は猿族にも手を差し伸べるが、あくまで法の範疇での話だ。法や制度そのものを改革しなければ、本質的な解決にはならないというのに」
「まあ、あなたの言うことにも一理ある」
ボアソナードは難しい表情で手を止めた。
「それに、私は脱獄せずとも四日後には釈放だ。悠長に構えていられる。しかしジンメル殿はそう暢気なことは言っていられないでしょうしな」
ボアソナードがジンメルにちらと視線を送る。「俺は反対だね」ジンメルは難しい表情で言う。
「刑期のこともあるけど、それは革命家として覚悟の上だ。むしろ令嬢のことが気掛かりだよ。あの子が1年も保つとは思えない。それに、情報を吐き尽くしたら消される可能性だってある」
「カミラタがそんなことを認めるでしょうか?」
「渋るだろうね。でも、監獄を統括しているのは、あくまで典獄だ。彼が是と言えば、警備隊長と言えど口出しは出来ない。」
ボアソナードが唸る。ジンメルは俺の方に向き直った。
「……とはいえ、決めるのはましら君だ。ましら君が後顧の憂いなく出獄できるなら、それを応援したいという気持ちもある。正直、警備隊の適性もあると思うしね。君の人生に僕らが口を挟むことはしないよ」
ボアソナードが肯く。俺は黙って二人のやりとりを聞いていたが、ようやく口を開いた。
「一応言っておくが、俺の決意は固まっている」
「……そうか」
ジンメルは少し寂しそうな顔をして視線を落とした。
「ああ。俺は脱獄を選ぶ。計画に変更はない」
二人は虚を突かれたようにこちらを見返した。
俺は頬を掻いて説明する。
「たしかにカミラタの提案には揺らいだよ……。一晩悩み抜いた。でも自分の『帰る場所』っていうのが一体どこなのか考えてみたら、すぐに決まった。そもそも俺の目的は、最初から元の世界に帰ることなんだ。ここに居場所を見つけることじゃない」
不意にリリの姿が浮かんで、心が揺れる。しかし現世の記憶がすぐに俺を掴んで引き戻した。俺は向こうの世界に戻らなきゃいけない。俺はまだ赦されていない……。
「……ともかく、1年も遠回りする気は無いんだ。脱獄は必ず成功させる。引き続き手を貸してくれ」
「それはもちろんさ。願ったり叶ったりだ」
ジンメルが顔をほころばせる。ボアソナードも満足げに口を開いた。
「では最終段階ですな。脱出方法は詰めてある……。残すは結構日時と、塀を抜けた後のルートです」
「さっき聞いた話からすると、カミラタがしばらく滞在しているんだろう? 見つからなければ済むと言えなくもないが……、あいつの頭の切れと統率力は侮れない。攻撃の射程範囲も広いし、何より獄内のどこをうろついているか読めない。彼がいる間の脱獄リスクは高いぞ」
「ああ……。だがあいつがここを離れる日は、ぎりぎりボアソナードの協力が得られる期間内……、というか最終日だ。この日だけはかえって俺たちには好条件だ」
「監獄はカミラタと典獄の両方が居ない警備の手薄な時間であり、私は釈放のタイミングで自由に動け、警戒もされていない。最も脱獄の手引きがしやすいわけです」
「なるほど……。加えてカミラタの帰路まで絞れているって話だもんな」
「ええ。彼は昨晩、街道か林道を通って帰ると宣言していました。私の狂花帯、があれは本音だと告げている。つまり我々は山道ルートを通って逃走すればいいわけです。それならカミラタと鉢合わせしない。……林道ルートの丘陵地には注意が必要ですがね。あそこは山道と隣接しているうえに、山道もその付近だけ灌木が乏しく、見通しが効く」
「そこを通るタイミングが運悪く一致してしまったら、見つかる可能性があるというわけだな」
「警戒して進むしかないな……」
どん、と背中に振動があった。
振り返ると力士のように太った猿の囚人が、後ろを通った所だった。「おや?」猿がねばついた声を上げてこちらを振り返る。見覚えのある男だ。何人もの取り巻きを連れている。
「なんだかずいぶんと熱い視線を感じるなぁ。……ああ、誰かと思えば、人間様に飼い慣らされてると噂のはぐれ猿じゃないか」
取り巻きたちがせせら笑う。よく見ると、前にジンメルを狙っていた連中だ。当然、ジンメルを助けた俺とも、因縁がある。
俺はむっとして言い返そうと口を開いた。ボアソナードが引き留めた。「相手にしてはいけない。あれは厄介な男です」
「ふふん、だらしないなあ」
男は鼻を鳴らした。
「うちの連中が世話になったと聞いて、どんな奴かと見にきたけど……、どうやら飼い主に媚びを売るので、忙しいみたいだね。わざわざ出向いた甲斐がないよ」
「それにしては随分と、挨拶に来るのが遅いな。懲罰房にでもぶち込まれてたか?」
俺の言葉に男は大袈裟に肩をすくめた。
「躾がなってないようだねえ。身の程を弁えないとどういう目に遭うか、主人の代わりに教えてあげようか?」
男が指の骨をバキバキと鳴らす。
……その時、食事時間の終了を告げる鐘がなった。看守長が靴音高く入ってくる。
「命拾いしたね」
男は微笑むと、肥えた肉体をふるわせて踵を返した。取り巻きたちがチョッと舌打ちをして一瞥を残し、彼の後に従う。他の囚人たちを押しのけて、彼らはぞろぞろと扉の向こうに消えていった。
「……なかなか肝が据わってるな。ひやひやしたぜ」
ジンメルが胸を撫でおろしながら続ける。
「あいつはかつてスラムの無神論者たちを束ねていた、グラムシという男だ。外見は温厚そうだが、一度キレると手が付けられない奴でな……。おまけに残忍で執念深いタイプだ」
「監獄内でスラム南面の出身者を率いて、一大勢力を築いているという話でしたが……、噂は本当でしたか。加減を知らぬ男です。関わらぬ方が賢明というもの。今回のような挑発はくれぐれも……」
「ああ。俺とて無用の揉め事を起こす気はないよ。今回だって、予鈴のタイミングは予知で計算済みだ。手を出して来ないことは知ってた……。それにどうせ後3日でおさらばだ。もうあいつらと会うこともないだろ?」
俺は軽い気持ちで答えた。
そして、その3日はあっという間に過ぎた。ついに脱獄の決行日がやってきた。
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