第7話 深窓の令嬢 その2

 監獄には定期的に棟内の清掃作業が行われ、それは受刑者の志願者によってなされていた。清掃区域には特殊房近くの通路も含まれる。俺は迷わず志願した。

 俺は監視塔区域の清掃担当を引いた奴に頼み込んで、予め持ち場を交換してもらっていた。特殊房は監視室の目と鼻の先、というよりも真上の部屋だ。監視塔は監獄を一望できる高さにあって、常に看守が目を光らせている。だが灯台下暗しというやつで、その真下は死角になっている。おまけに上から垂れてきた令嬢の髪の毛が、一部窓を遮っている。

 清掃区域は場内の広範囲にわたっているので、看守の目もまばらだった。もっとも作業中は足枷を付けられ、通路も施錠されるので、脱獄は難しい。しかし今日の目的はそれではない。

 俺は懐に隠していた木製の椀を二つ取り出した。食事の時間にくすねておいたものだ。一度4枚程度の欠片に壊して、通路の岩の割れ目や食堂の机の裏など、監獄内のあちこちに隠しておいたのだ。見つかってもただの木の破片だから不審に思われない。今日はそれらを回収して、これまた食事の時に少しずつ回収していたパンの欠片から作った糊を使ってどうにか接着した。パンらしき食べ物が出た時あるいはと思ったが、案の定小麦粉のような植物から作られていたのが幸いした。ジンメルの助言もあってどうにか完成に漕ぎつけた。

 俺は掃除の傍ら、床に散らばっている令嬢の髪の毛を少しずつ束ねた。思った通りそれなりに抜け落ちている。その両端を椀の底部分に結わえ付ける。糸電話だ。底に厚みがあるから聞きとれるか不安だが、試してみる価値はある。

 垂れた髪で死角になっている方向から、俺は特殊房の窓をめがけてふらりと椀を放った。一回、二回、窓が小さくてなかなか入らない。三回目で鉄格子に当たって、小さくこちと音を立てた。俺は落ちてきた椀を慎重に回収して息を潜めた。幸い看守には勘づかれていない。

 窓から伸びる髪の毛が揺れた。どうやら令嬢が今の物音に気付いたようだ。令嬢の顔が鉄格子の方に向く。影が濃くて面立ちははっきりしない。俺はもう一度椀を投げる。令嬢は格子の隙間から腕を伸ばしてそれを掴んだ。俺は椀を耳に当てる仕草をする。令嬢が指示通りに動く気配があった。俺は椀を口にあてがう。

「俺の声は届いてるか。聞こえたら、椀を口に当てて喋りかけてくれ」

 耳元から聞こえてきた声に、令嬢が驚く気配があった。俺は椀を耳に移す。

「……人の声を聴くなんていつぶりかしら? それに不思議、こんな方法で会話出来るなんて、まるで魔法みたいね」

 くぐもってはいるが声は伝わってくる。魔法、という言葉に俺はぴくりと耳をそばだてた。

「初めましてだな、お嬢さん。俺はマシラ・ソソギ。こいつは糸電話といって魔法じゃない。科学だ。会話が終わったら君に進呈するよ。……その『魔法』について聞きにきた」

「初めまして、ましら。あなたのことは知ってるわ」

「!?」

 俺は驚いて椀を取り落とした。かつーんと、乾いた音が反響する。はっとして椀を隠し、息をひそめる。一秒、二秒……、……監視官がこちらに気付く気配は無かった。心臓がはねている。俺は先を急ぐことにした。巡回の獄卒もいつ戻ってくるか分からない。

「すまない。話を続けよう。悪いが時間も限られている。俺をどこで知ったのかも気になるが、本題に入らせてほしい」

「いいわ。せっかくならゆっくりお喋りしたかったのだけれど、仕方ないわね。あなたもここの囚人なのでしょう?」

「ああ、色々とあってな。しかし事の元凶は『悪い魔法使い』だ。……君はそいつについて何か知っているんじゃないか」

 少しの間、シンとした沈黙があった。風にのって刑吏の長靴(ちょうか)の弾みが聞こえた。まだ距離はあったがこちらに近づいてきていた。


「……私、あなたの言っている魔法使いが誰の事かは分からないわ。だって魔法使いはひとりじゃないもの」

「それは知っている。俺のよく知る人もそう呼ばれているから……。それにカミラタや軍警の女だって魔法を使っていた。雷とか木を生やしたりとか……」

「あら、それは魔法じゃないでしょう?」

 彼女は困惑した調子でそう答えた。

「それは十二民族が持ってる『狂花帯』の力だわ。ヒトが当たり前に使う能力の一部よ。嘘を見抜くとか、病魔を祓うだとか……ね。魔法というのは、人の傷を再生するドクター・リリパットの力や、未来を見抜く賢者の力……、そういった常識では説明できない摩訶不思議な現象のことではなくて?」

 そう、なのか。俺は今までの出来事を反芻してみた。俺の世界には無い力を全て魔法だと思い込んでいたが、この世界にはこの世界なりの「普通の力」があって、それとは別に魔法という規格外の異能が存在しているようだ。

「……どうも君の言うことが正しいようだ。俺はこの世界の仕組みを知らない。実は俺自身、魔法の力でこの世界に飛ばされてきたようなんだ。猿の肉体を与えられてね。『色硝子大樹海』に棲むという伝承の魔法使いのことは知らないか?」

「……! その人なら知っているわ」

 彼女は興奮した口調で言った。

「あなたの身体……、そういうことね。それが『悪い魔法使い』の力なのね」

 風がびょうと唸る。彼女の髪がすらりとなびいた。看守の足音がより鮮明に聞こえている。

「時間が無い。君はあいつを知っているのか。奴は森のどこに潜んでいるんだ?」

「顔や素性は知らないわ。でも、どこにいたのかは分かる。私、あいつから逃げてきたの。そこは見たことも無い街で、赤い何かが……、巨大な骨組みのようなものが聳えていたわ。森に抜けてからの道はよく覚えてる。実際に行けば辿れる自信があるわ」

 すぐ角に看守の気配があった。もはや一刻の猶予も無い。

「あなたもあいつを探しているなら、私も連れて行ってほしいの。『悪い魔法使い』は私の……」

 彼女は、はっとして言葉を切った。そして慌てた様子でするすると糸電話を引き上げた。

「なんだ、ほとんど進んでないじゃないか」

 彼女が糸電話を引き上げた瞬間、看守が角から顔を覗かせた。俺は箒を携えて振り返った。

「まあいい、時間だ。今日はもう戻れ。風も強い」

 看守は帽子を押さえながら空を仰いだ。

 俺は足枷をジャラジャラとまとわりつかせながら看守の後に従った。ふいと振り返ると、窓の奥に令嬢の影が揺れた所だった。




「おやおや、見た顔ですな」

 獄舎に戻ると、誰かが俺の独房で勝手にくつろいでいた。

「これは楽しい1週間になりそうだ」

 彼は腰を上げると、紳士然とした態度でお辞儀してみせた。

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