第6話 深窓の令嬢

「……で、ちょっと目を離しただけで、どうしてこうなるんですかー」

 リリは鉄格子越しにこちらへじっとりした視線を投げかけた。そこは小さな格子窓が一つだけ付いた、日当たりの悪い監獄の独房だった。独房の中には2人分の薄っぺらな枕が置かれているが、相部屋の相手はまだ決まっていなかった。リリは檻の前に引かれた境界線から前に出ないよう、廊下の壁にもたれかかっている。

無論檻の内側にいるのが俺の方である。

「心配かけたな。ちょっと警備隊と揉め事になって……」

 鉄格子の外で面会者とのやり取りを監視していた看守が、俺の方をじろりとねめつける。

「捜し出すのに苦労しましたよー、もー。いくら市街地を探し回っても見つからないわけですよ、こんな西の外れの監獄まで移動してるんですから」

「や、それはすまないことをした。……そんなに遠いのか?」

 俺はおずおずと尋ねた。

「逆方向ですよー、完全に。王都から見て北東の果てが『色硝子大樹海』。その間に先の市街地・城下町があるわけですが、ここは寧ろ王都周辺地区の最西端ですからね」

「それは本当に、ご足労いただいたな……」

 リリはやれやれと言いたげに肩をすくめた。

「それで、刑期はどれくらいになりそうなんです?」

「さあ、まだ判決も出てないんでな。そもそもこの世界の法律や裁判の仕組みを知らない」

 リリは不安そうな目でこちらを見つめた。周囲の檻から他の猿たちが身を乗り出さんばかりに鉄格子に掴みかかり、俗悪な野次を飛ばしている。

「やめないか! ドクターの前で」

 俺は奴らに向かって声を張り上げるが、かえって興奮させるばかりであった。見かねた看守が立ち上がり、警棒を振るって鉄格子を叩いて回る。

 俺の膝に何かがころりと転がる。丸めた羊皮紙の切れ端だ。リリの方を見ると袖から伸びた人差し指が白衣の中に消えていくところだった。指で弾いてこちらに寄越したらしい。

リリは顎を微かに動かして枕の方を示した。俺は意図を察して、羊皮紙を広げずに急いで枕の中に隠した。

 少し間があって、看守が悠然と戻って来て面会終了を告げた。

「とりあえず刑期が分かったら連絡をください。私の番地は教えた通りです。それと、連絡ができない状況になったら『そこ』に行ってみてください。私が時々往診に向かう場所です。助けになってくれるでしょう」

 リリは名残惜し気に小さく手を振った。「次の面会は一か月後ですか……」

「そう気負わなくても大丈夫さ。軽い罪だろうし、その頃には出所してるよ」




「被告人、マシラ・ソソギ。第一級犯罪者『緑衣の鬼』討伐に資する特務警備隊の捜査及び勅命の執行を妨害した罪過を踏まえ、これを国家叛逆罪として認定し、禁錮三十五年の刑を言い渡す」

「…………………? 三十五………、………………?」




 かくして俺は四二〇ヶ月の内一ヶ月目をようやく終えたところである。

 リリには2回目の面会の時に正直に打ち明けた。彼女はいつになく難しそうな顔をしていた。考えてみれば、ほんの一時共に暮らしただけの赤の他人のためにここまで心を砕いてくれる、リリパット・アリエスタという人物に巡り合えたことは、俺の第2の人生にとってとんでもなく幸運なことだったのかもしれない。俺は呆然と日々を過ごしながら、時々彼女との短い生活をぼんやりと思い出した。元の世界に戻ることばかり考えていたが、その過程にある価値ある経験を、俺は見落としていたのかもしれない……。まあ、寝床の質はそこまで変わらないが。

 監獄生活は変化に乏しく、精々獄卒や囚人の顔ぶれが微妙に変わるくらいだった。入れ替わり立ち代わりで囚人が増えていくので、俺もすぐに新顔ではなくなった。

 珍しい新入りと言えば、特殊房に収監されたといううら若き女囚である。噂によると、捕縛時に暴れまくってあのカミラタに一発入れたのだと言う。どこかの貴族の令嬢だとか、猿族と人間の混血だとか、誘拐魔の関係者だとか髪の毛の長さが家屋の2階くらいまであるとか、色々と尾ひれは付いているが、ともかく謎めいた存在らしい。深窓の令嬢ラプンツェル。俺は彼女のことをそう命名した。

「だが特殊房に入れられるとなると、よっぽどの重要人物なのは間違いない」

 監獄で出会ったレオニカ族の男――ジンメルと名乗った――は、意味深長にそう語った。彼は俺よりも数年長く監獄で生活していて、裏で猿族の囚人たちに襲われているところを俺が止めに入り、その一件から親しくなったのだった。囚人にはヒト族も猿族もいるが、獄卒は皆人間で猿族に目を付け、猿族は猿族で数のより少ないヒト族を標的にするという妙なヒエラルキーが存在していた。彼の額には未だにその時の生々しい十字傷が残っている。

「それって例えば、皇族の関係者とか?」

「いや、特別房は別に特別待遇の房というわけじゃないんだ。だからそこまで極端な血統ではないだろう。むしろ完全に外界と遮断されている分、ここよりも待遇が悪い」

「なら凶悪犯ってことか?」

「とも限らない」

 ジンメルは得意げに答えた。

「単なる凶悪犯は普通の獄舎にも収監されているからな。……実は特別房はある意味最も安全を保障された場所だと言えるんだ。この監獄で最も多い死傷のケースは何だと思う? 獄卒の拷問と囚人間の私刑だよ。まあカミラタの監督でだいぶマシにはなったが……。ともあれ、誰とも接触できない特別房は攻撃される心配もないってわけさ」

 彼は自嘲めいた口調で嘯いた。俺はそれについては何も言わず、続きを促した。

「で、お前の見立てではどんな奴なんだ、深窓の令嬢ラプンツェルは」

「おそらく政治犯だろう」

 彼は少し愉快そうに説明した。

「そこまで行かずとも、何らかの重要参考人だな。それも非協力的な……。誰とも会話させないということは獄卒にも伏せておきたいレベルの情報を握っているってことだ。しかも確保にカミラタが動いたとなればそれなりに大きいヤマだ。もしかすれば、国家機密級の……」

「そんなに大それた話なのか?」

 俺は目を剥いて尋ねた。

「あくまで最高レベルでは、という仮定だがね」

「国家機密か……。そう言えば古代都市の噂を聞いたことがあるな。国が隠蔽している領域で、『色硝子大樹海』の奥深くに存在するとか、しないとか」

「悪くない線だ」

 彼は興奮した口調で続けた。

「俺もその可能性は考えた。しかし古代都市の核心に触れたのなら、口封じに殺されるはずだ。わざわざ幽閉する必要がない。警備隊は令嬢から何か情報を引き出したいはずなんだ。ということは、警備隊が本当に追っているのは寧ろ『古代都市について何かを掴んだ人物』であり、令嬢はそいつに繋がる情報を握ってるんじゃないだろうか」

「嫌にもったい付けるな。つまりそいつは誰なんだ?」

 俺は何かを予感しつつ、ジンメルに催促の水を向けた。彼はにやりと笑った。

「『悪い魔法使い』だよ。色硝子大樹海に棲むという、伝説の……。『色硝子大樹海』を通じて二つの風説が繋がってる。『深窓の令嬢ラプンツェル』はその鍵なんだ」

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