第8話 老囚人

『ここの監房にコートボアソナードという男は収監されていないか。歳の割に豊な白髪で中肉中背の初老の男だ』

『……は、この房の囚人はマシラ・ソソギという猿族の男一人であります。昨日出獄したダイクシュテットという男がこの房に入っておりましたが、短く刈り込んだ黒髪で痩せぎすの男でありました、特務隊長殿』

『ダイクシュテット……、ふむ……。杞憂だったか? ……念のため特殊房の警戒レベルを上げておけ』

『は……』

「囚人番号444!! とっとと起床せんかァ!!」

 獄卒の叫びに俺は飛び起きた。しまった、点呼の時間だったか……。昨晩は糊を溶かして型番を作る作業に徹していたせいで、あまり眠る時間がとれなかった。それは部屋の窓の外側に張り付けて隠してあった。

「随分ぐっすりと眠られていましたな」

「こういう時、同室の人間は起こしてくれるものだぜ。……あんたは早起きそうだ」

「歳のせいですかな。すぐに目が覚める。……お陰で色々と試せました」

 男は意味ありげに口角を上げた。獄卒がぎょろりとした目玉でこちらを睨む。

「何をこそこそと話している?」

「いえ、ただ同室の者と交流を図っていたまでです。まだ知り合って2日目ですからな」

「誰が口答えして良いと言ったッ!」

 男の飄々とした返答に、獄卒は理不尽に警棒を振り回した。

「看守殿、私が王宮付きの法律顧問であり、刑期も1週間であることをお忘れなく」

 獄卒の警棒の動きがぴたりと止まった。男の言葉の意味を咀嚼しているようだ。

「もし法を逸した罰則など行えば……、1週間後にどうなるかはお分かりでありましょう?」

 獄卒はギリリと歯軋りし、逡巡の後、警棒を苦々しげにおろした。周りの猿が感心したように小さく声を上げる。男はやれやれという風に肩をすくめ、こちらに目配せを送った。

 すいと腕が伸びてきて、看守の腕から警棒を抜き去った。

 空気を弾くような乾いた音がして、男がのけ反った。猿たちは息を呑んで警棒を握った人物の方を見た。

「おいルーキー。あまり我々を舐めるな」

 看守長は警棒をぱしりと掌で鳴らした。

「貴様が外の世界で収めてきた法律など、ここではクソの役にも立たん。ここでは我々がルールだ」

「カミラタ殿は、そう思っていないようですがね」

「ふん、カミラタか」

 彼は不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「所長も副所長も奴に頭が上がらないようだが、私は違う。昔はもっと話の分かる男だったのだがな。今や頭蓋にぎっしり規則の詰まった退屈な偽善者だ……」

「しかし、あなたより地位も実力もある」

 男のせせら笑いに、看守長は溜息をつき、腕をまくった。筋肉が見る間に隆起する。不自然な肥大化だ。恐らくこれがこいつの民族の有する「能力」なのだろう。

「なら自分の身体で確かめてみるか……? 俺とカミラタ、どちらの一撃が強烈か……」

 看守長の振り上げた警棒がぴたりと止まった。「あァ……?」彼は警棒を抑える俺の右手を狼のような目で睨んだ。

「どういうつもりだね? 444番」

「なに、彼とは相部屋なものでね。夜通し呻かれちゃこっちもかなわない。まあ新入りのしたことだし、大目に見てやってくれないか?」

 看守長は俺の目を凝と見つめた。俺は目をそらさず受けて立った。ミシリ、と警棒を抑える腕が鳴る。

「お前、今日は寝不足のようだな」

 じわじわと警棒が押し返される。凄まじい圧力だ。俺は無言で左手を添え、満身の力で押し戻そうとする。

「……!?」

 警棒の勢いは僅かも衰えなかった。俺の痙攣を起こす両腕を押しのけて、右目に黒い棒の切っ先がじわじわと押し付けられる。

「朝の点呼に送れる奴は大概夜中にこそこそ企んでいる……。いいか、なにか問題を起こしてみろ。貴様らの首を刎ねる。所長と副所長の認可ならすぐにでもいただけるんだ」

 右眼に焼き付くような痛みが滲み出した。「ッ……!!」

 看守長が口の端を歪め、満足げに警棒から手を離した。

「思い出した、お前はたしかあのヴィーメルボルンの頬を張って捕まったんだったな。いい気味だ。カミラタを選んだ馬鹿な女……」

 看守長は忌々しげに唾を吐いた。

「悲鳴を上げなかったことと、殴打それに免じて左目は勘弁してやろう。これに懲りたら二度と私に力比べなど挑まぬことだな」


 右目の視界が霞む。俺は小さく舌打ちした。あの看守長、本気で眼球を潰そうとしてきやがった。

「おい、あんたは大丈夫か」

 俺は独房の傍らに片膝を付く同居人に声をかけた。彼は腫れあがった顔や切れた唇を触りながら、こちらを見返した。

「私の顔、どうなっています」

「酷い有様だよ。ちょっと見たのでは誰か分からん。全治1週間はかかるだろうな」

「ふむ。上々」

 彼は何故か満足げに肯いた。まるで殴られる事まで計算ずくだったかのように。

「こうして腰を据えてお話しするのは、初めてでしたな」

「昨晩はあんた、ろくに顔もあわせなかったろ」

「事情がありましてな」

 彼はうっ血した顎を撫でて続けた。

「しかしあなたは信頼が置ける人物のようだ。見ず知らずの少女の身代わりに獄に繋がれ、会ったばかりの私を庇って右眼を負傷する……。聞けば囚人に襲われていたヒトを助けて、猿族たちから睨まれているようですな」

「ああ。しかし大したことはしてないよ。困ってるやつを見ると放っておけないだけだ」

「……ほう。今のは嘘ですな」

「!」

 俺は驚いて男の顔を見返した。目を剥いた表紙に右の瞼が痛む。「っつ……」

 彼は軽く笑った。

「まあ、あなたがどういう目的で人助けに精を出すのかは、この際関係の無いことです。あなたがそこまで身を挺して他人を救っているという点に変わりはない」

「俺を偽善者だと思うかい」

「神の前では、皆偽善者ですよ」

 彼は鉄格子から空を見上げて答えた。俺は床に流れた自分の血を見つめながらその言葉の意味を考えた。

「……そう言えば、まだあんたの名前を聞いていなかったな」

「ああ……、私はダイクシュテットです。以後、お見知りおきを」

 彼はさらりと言ってのけた。「ほう」俺は少し考えて続けた。「今のは嘘だな」

 彼はちらりとこちらに目を向けた。表情からは何も読みとれない。

「どういう意味ですかな」

「どうもこうも無い。あんたはダイクシュテットという名前じゃないと言ってるんだ。本名はそう……、コートボアソナードと言ったかな」

「……どなたか存じ上げませんが……」

「白髪で中肉中背の初老の紳士だよ。俺と以前、市場でひと悶着あった。多分だけど、いくつかの発言から考えて、原祀霊長教會とかいう宗教組織のメンバーだ」

 男の気配が変わる。口元はにこにことしているが、瞳は鬼のような気迫を帯びている。

「……少々情報を与え過ぎましたかな?」

「それも多少はあるが、……まああんたに落ち度はないだろう。ただの偶然だ」

 俺は今朝がた見た夢のお告げを思い出した。初めからこの男がボアソナードという男だと疑って見ていなければ、その変装や声音の変化を見落としていただろう。

「髪の毛は切って、染めたのか。意外と雰囲気が変わるものだな。髪を染める文化の無い地域なら、猶更だ。顔を看守長に殴らせたのも人相を隠すためか。思い切ったな。多分誰も気づけないぜ」

「夢」の感じだと、カミラタは勘づくかもしれないが。

「髪はインクの果汁を使いましてね。しかし如何せん急拵えでしたな。やはり最も優れた変装は、『普段の姿が変装であること』に限る」

変装を解くことが最大の変装になる、というわけか……。よほどの覚悟と執念が無いと続けられない作戦だが、ボアソナードの顔をわざと殴らせるという発想も、覚悟の重さでは負けていない。

「安心しろ。別にこのことを口外する気は無い。俺は別にあんたたちの敵宗派や、警備隊の味方でもない。だからからその殺気を抑えてくれるか?」

「これは失礼」

 ボアソナードはすぐに臨戦態勢を解いた。妙だった。自分で言っておいてなんだが、口約束で簡単に信じられるような事とも思えない。それに市場でのやり取りにしても先程の「人助け」の理由についても……、推理と呼ぶにはあまりにも直感的で正確すぎる。俺は深窓の令嬢が言っていた12民族とやらの話を思い出した。

「そんな真似までしてわざわざ監獄に何の用だ? 事前に変装までして、刑期も1週間に調整してきたってことは、わざと捕まったんだろ?」

「ましら殿は信用に足る人柄とお見受けするが……。そこまでは。素性を隠している者に打ち明けるわけにはいきませぬな」

「教えてやろうか。大陸から来たってのは知っての通り嘘で、実は別の世界からやって来たんだ」

「ふ、話を逸らすならもう少しマシな冗談を……」

苦笑いしたボアソナードの顔が固まる。「…………!?」

「本当だよ。俺は西暦2222年生まれの22歳、帝都東京からやって来た、猿の肉体に身をやつしている一般市民さ」

「馬鹿な……!」

 彼は恐らく己でも意識せぬうちに、姿勢を正していた。「まさか『稀人』をこの目で拝めるとは……」

「む……、やはりな、その反応……」俺は顎に手を当て、低く唸った。「俺の発言を信じた。とても信じられる内容でないのに」

 ボアソナードは我に返ったような表情を見せた。

「お前、あれだろう。嘘を見抜く能力か何かがあるな? この世界のヒトにはそういう力を持った奴がいると聞いたぞ」

「ははは」ボアソナードは一本取られたという風に笑った。「ご名答ですな。鎌をかけましたね、私の能力を探るために。ヴァルゴ族として長年いくつもの嘘を見抜いてきましたが……、『真実を語る』ことで鎌をかけてくる人は、初めてだ」

「少しは認めてもらえたかな」

「無論。それに稀人となれば、あなたはおそらく預言の……」

 ボアソナードは感に堪えないという風に恭しくお辞儀をした。なぜ敬われているのかは分からないが、ともかく俺を信頼してくれたらしい。俺としても彼の力は必要だ。

「なら協力してくれるかな。俺たちと深窓の令嬢ラプンツェルの脱獄計画に」

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