八彩[ヤイロ]ー神に生まれし者の宿命ー

奥森 蛍

1章 望む世界

第1話 不浄なる者

 陸橋で目を閉じていれば規則的に鳴りながら近づくものがあった。黒土を駆ける夜行列車の車輪だ。列車は南方から運んできた塵芥をまき散らし、北へと流れてゆく。サクヤは静かな心緒で血脈のように這う鉄束をなぞりあげ遠くの眼前を見定めた。


 列車の向かう先の遥か東には彼の都、翠宮がある。


 国の根幹を掌握する神居の地で、今この瞬間も数多の生命が失われようとしていること、悲劇とは本来ありふれたものなのだろうか。その真偽が分からないほどにこの時代を生きる人々の幸福を求める感覚はマヒしているのかもしれない。


 ゆるやかに睫毛をあげると白く吐息した。暁の空には去り切れなかった星々が輝いていた。そのひとつ一つに話説があって、星の命とはそんなに容易いものではないなと自戒する。消えてゆく星もあれば新たに生まれる星もある。宙の盛衰に人の命をどう重ねよう。


 国家の辿ってきた運命を人々はどのように感じているのか。仕方のないことか、やっぱり抗うべき種類のものなのか。それを何年も量りかねている。


 そして抗うと選択した自身らの決断は間違いであった。それは認めたく無くとも毅然と横たわる事実である。目の奥でチラつく熱火を忘れようはずがない。あの灼熱の炎に巻かれ消えていった人々の阿鼻叫喚が到底ぬぐい去ることの出来ない過去としてサクヤの無垢な心に刻まれた。


 すべては組織としての力不足、判断ミス。醸成されぬままに幼かったこと。十分なように感じた計画さえも脆弱だったのだろう。あふれる涙を押し留めて空を見た。星はすでに去り、地平線が燃え立つように赤く染まっている。


 夜が明け始めたのだ。


 ふと天啓を感じて視線を水平にするとオレンジと青を溶き合わせた空を背負うように鷹が飛んでいった。大翼を広げどこへ向かうというのだろう。真っすぐ羽ばたき、間もなく姿は地平線へと消えていった。その雄々しき姿に自然と諦めてはダメだという気持ちが湧く。でも、どうすればいい。


 フェンスを潰すとがなり声が聞こえた。


「いたぞ、追え!」


 反応してふり向けば憲兵が右から二体、左から三体。菅笠と白袴姿で白木の下駄をからからと鳴らし迫ってくる。退路などなかった。夜行列車が眼下を通過していく。

 サクヤは目前のフェンスに足をかけると力いっぱい身を持ち上げた。


「できるはずがないだろう」


 憲兵が笑いながら両手を広げ懐疑の声をあげた。涼気がショートヘアをさらう。あえての反意を誘うような言葉だと思った。睥睨するとこういった。


「できてしまうのよ、あんたたちが嫌いだから」


 サクヤは嫌忌の感情をはいて走行中の夜行列車の屋根へと飛び降りた。




 鍵のかかっていない列車の窓を押し上げて車内へと侵入するとまだ夜だった。遮光カーテンは大半がおろされて寒げにオレンジ毛布を被り寝ている乗客もいる。窓を閉めると風音が消えた。髪を整えて静かに車内を歩きながら観察する。


 薄汚れの朽ちた労働者、子供を連れた寂しげな女性、それに起きているマイペースな老人が少し。大半の者が長旅に疲れきっていた。空席に身をすべりこませると隣の老人が新聞をめくりながら朗らかに笑った。


「あなた訳ありかな」

「無視してくれれば嬉しいわ」


 あしらうと老人はほほ笑んで新聞の続きを読んだ。


 青のモケットのシートに身をもたすと座席にあったオレンジ毛布を被った。途端、疲労困憊の眠気が襲ってくる。もう二日寝ていなかった。ちらりと視界に入った老人の紙面には一昨日のあの新宮の大火が大きく報じられていた。当然トップニュースに躍るような出来事だ、触れずにいるということのほうが可笑しい。だが、サクヤにとっては今もっとも触れたくないニュースでもあった。


「馬鹿だろうな、神社に盾突くなんて」


 老人のぼやきがまどろみに落ちかけたサクヤの心をかなぐる。彼の意見は従順することに慣れてしまった人の意見だろう。結果論でしかないが結果がすべてだといわれればそれまでだ。


「どうして馬鹿だなんていえてしまうの」


 緩慢な調子で問いかけた。


「自身に関係がないからさ」


 彼の意見は一般的な論調だ。大概の人はこうして生きている。


「レジスタンスってのは諦めない連中なんだろう。諦めれば人生が上手く回る。大概のことは触らずに幸せに生きられる」

「理解出来ないほどの重税とつまらない罪で時々無作為に殺されるって不運を除けばね」

「あなたは皮肉を抱えているのかな」


 老人の笑いには上品な余裕があった。


「色々なものを抱えているのよ」


 例えば照葉を狙ったという罪さえも。そう心で呟いて毛布の下で短銃を押しこめたボディバッグを擦った。バッグを包み込むようにシートに三角座りして、膝を抱えると顔を伏せる。色々なものが物憂げに感じられていた。


「顔向けできないよ。一人だけ助かったなんてさ」


 その言葉は老人に届かなかったのだろう、彼は乾いた指先でまた新聞をぱらりとめくった。ひどく疲れていた。ようやく緊張の糸が切れた無謀の意識はそのまま落ちてゆく。忌まわしの大火から二日が過ぎてようやく眠ることができたのだ。眠りの底で失った仲間たちの笑顔が浮かんだ。




 短い夢を見て、アナウンスで目を覚ました。


『乗客の方は座って検問を待ってください』


 車内の空気が一変している。人々の顔が凍っていた。隣の老人はとうに新聞をたたんでいる。サクヤは抱えていた脚を下ろすとこそっと老人に問いかけた。


「何があったの」

「検問だよ、あなたを探してる」


 老人がしゃくった前方には白袴の憲兵が五体いて乗客を順に取り調べていた。


「わたし降りたいわ」

「さすがに百キロを越えてるよ。止めた方がいい」


 窓の外を見た。高架橋を仕切るフェンスが捉えきれぬ速度で塗り壁のように過ぎていく。老人のおよその見立ては間違っていないだろう。サクヤは降りられないだろうと悟り、ボディバッグに手を突っこむと短銃に触れた。冷たい感触を覚えながらそっと撃鉄を引き起こした。望むならばいつでもやってやる、その醜い顔を無様に突き出せ早く。


 検問を終えた乗客から前方の車両へと移って伽藍堂になり、車両の三分の二の客はもういなかった。針のむしろのなかを憲兵は乗客の乗車券を一枚一枚確認しながら近づいてくる。老人が過ぎて自分の番という時に憲兵がにらみを強くした。


「女、乗車券を出せ」


 無言のなかで考えていた。撃つしかない。でも、できるのか。視線を合わせずにいると検問を終えたばかりの老人が明朗な調子で憲兵に喋りかけた。


「すみません、孫なんです。乗車券をなくしてしまって。もう一度購入しますから販売していただけませんでしょうか」


 憲兵は老人の甘言を無視してじいっとサクヤを見つめ、分厚い手でサクヤのあごに触れた。顔を左右にふらせ細かく人相を確認しているようだった。


「すみません、いくらですか」


 老人が目検を遮るように割って入ると怒号がほとばしった。


「咎人の庇いたては罪である!」


 えぐりあげる豪打に、柳のような老人の体が宙を舞って、車両後方のリノリウムの床へと激しく打ちつけられた。肉が弾む鈍い音のあとに小さな呻きが聞こえた。車内に沈黙が訪れる。サクヤは静かななかで唇をかんだ。


「さあ、女。乗車券を渡せ」

「老人でしょう」

「何かいったか」


 憲兵は小さな呟きを拾い損ねて笑った。虫酸が走ってぎりと奥歯を噛んだ。ボディバッグから手を引き抜くと呪うように金切声をあげる。


「間違ってる。あんたたちは間違ってる、神も氏子も神社も全部! 間違ってるのよ」


 激情のままに重たい引き金を引くと、ぱんっと甲高い破裂音が車内に響いた。憲兵は顔面のど真ん中を撃ち抜かれて、少量の血を飛ばしながらそのまま通路に仰向けにどさりと崩れる。やった、乗客の息を飲む音が聞こえた。


 サクヤは立ち上がり即座に逃亡しようとした。後方に移動して窓から出る。速度は考慮しない、死なないだけマシだ。逃走経路を瞬時に思い描いていた。だが、さっそうとふり上げた右足がつんのめる。引き動かせない。下を向くと撃ったはずの憲兵の五指が足首に絡みついていた。


 躯の憲兵は身を起こすとサクヤの足首をふり上げて逆さづりにした。


「反逆は死罪である」


 体をシートにふり落されるとバウンドして全身が悲鳴を上げた。あばらが数本まとめていった気がする。舌を噛んで口内に血の味が広がった。


「……っ、どうして死なないの」


 よろめいて不手際を悔やむ。たしかに真芯を撃ち抜いたはずなのに。目前の憲兵は泰然としている。憲兵は臭い息を吐きながら笑った。


「知っているか、キメラは頭を潰さない限り死なない。知らないのだろうな」


 他の乗客は頭を抱えて目を反らし、逃げることさえできずに恐怖している。ぐっと目を閉じた。一環の終わりだ。痛みで右手の短銃を扱う力さえ無い。悔しいのに反撃できない。

 そのとき、対峙していた憲兵がふいの割れるような叫びを上げた。


「ああ、ががががあああああ」


 驚いて見開くと傲慢な憲兵の首を背後からつかむ者があった。彼はセリフを吐き切らぬうちに悲鳴を散らす。細みの少年が憲兵の背後に立ち、分厚い首筋をわしづかみにしていた。華奢な腕からは想像も出来ぬほどの剛力でぎりぎりと首肉を締めあげて、爪が深く筋に目りこんで血飛沫をあげる。


「首を断てばキメラでも死ぬ。知らないのか」


 鮮血が青のモケットを暗く染めゆく。巨体がゆっくりとリノリウムの床に沈んだ。

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