第37話 精霊樹の森のエルフ


 真夜中のセプテントリオ帝国街道に帝国では見慣れない種族の姿があった。


 一人の少女とそれに付き従う一人の青年。


 二人とも肌が白く、髪は若草色で、瞳は翡翠のよう。耳が人間のそれより長くとんがっている。顔立ちはマギアマキナに劣らないほどの美形である。


 少女は、アルセイデス族のフィリア。


 その従者、ハース。


 二人は、エルフである。


 エルフたちは、ダルキア属州に点在している森に部族ごとに集落を構えて生活している。アルセイデス族は、西ダルキア、精霊樹の森に住んでいる。森に暮らすエルフの民族衣装は、森由来の植物素材に特殊な加工を施した軽装で、森に溶け込みやすくなっている。


 エルフは、自分たちの住む森の集落から出ることが、ほとんどない引きこもり種族で、外部と連絡を持つことはない。そのため帝国にいてもエルフを見かけることはないだろう。


 エルフたちは、他の種族よりもはるかに長命で、高い魔力量を誇り、戦闘能力が高い。かつては帝国と熾烈な争いを繰り広げた。当時から強国だった帝国と引き分け、対等な同盟関係を結んだ。その盟約に基づき、帝国の人間から接触することもない。


 だが、数百年が経ち状況が変わり始めていた。


「あの砦ね」


 フィリアは、セプテントリオ帝国街道を少し外れた古い砦を巨木の上から観察していた。


「はい。情報によれば、捕らわれた同胞は、あの砦にいるはずです」


 フィリアの従者ハースが言う。


「盟約を破って、仲間を攫うなんて。人間め。大人たちも動きが鈍すぎる」


 集落には、三世代のエルフがいる。かつて帝国と戦っていた長老たち、現在集落を運営する大人たち、そしてフィリアたち若者だ。


 長老と若者は血気盛んで人間に対して強い敵意を持つが、人間との戦争を知らず、落ち着きのある大人たちは、事なかれ主義でトラブルを嫌う。 

 

 ゆえにエルフ誘拐事件にあまり積極的ではなかったが、長老たちの後押しもあって、フィリアは里を抜けて、同胞探しの旅に出た。


「考えれば考えるほどむかっ腹が立ってきたわ。あの人間共、皆殺しにしてやる」


 エルフは、なによりも仲間を大事にする。フィリアは、仲間を人間に攫われ、怒り心頭であった。


「落ち着いてください。お嬢様。お気持ちはわかりますが、仲間を安全に解放するには、あくまでも穏便に」


「わかっているわよ。私は、高貴なエルフ、人間のような野蛮なことはしないわ。鮮やかにみんなを救出するわよ」


 フィリアの腕が光り、特殊な術を発動する。


 これは、精霊術アルヴギアと呼ばれるエルフたち特有の術で、他種族では見えない精霊という存在に力を借りる術だ。


「精霊よ。迷い子の下へ我らを導き給え」


 フィリアは、精霊の声を聞くため、目を閉じて、集中する。


「わかったわ。あの洞窟ね。ありがとう」


「さすがはお嬢様。精霊感応度が高い」


「当たり前でしょ。私は精霊術アルヴギアの天才なんだから」


 とフィリアが鼻を高くしていると


「わぷっ」


 と足を滑らせ木から落ちる。


「お嬢様!」


 とっさにハースがフィリアの手を掴み、間一髪、落下は免れた。


「じ、自分でどうにでもなったわよ」


「派手に精霊術アルヴギアを使えば、盗賊に気づかれます。気をつけてください」


「わかっているわ」


 フィリアは、|精霊術にかけては天才だが、ドジなところがある。


 そのしりぬぐいをするのはいつだって従者のハースだ。


 フィリアとハースは木々を渡りながら、同胞の囚われている洞窟に向かう。


「精霊よ。静かなる夜霧の如く、我が姿を隠し給え」


 フィリアが唱えると二人の姿は霞がかかったようになる。完全に敵の目を欺くことはできないが、集中してみなければ、二人を認識することはできないだろう。


 フィリアとハースは、盗賊砦の木壁を乗り越え、侵入する。


 同胞たちが捕まっているのは、砦の奥、小さな洞窟を利用して作られた牢だ。


 夜陰に紛れ、酒盛り中の盗賊の合間を縫い、洞窟に近づく。


 見張りの兵は、たったの二人だ。


「精霊よ。愚かな人間を眠りへ誘え」


 フィリアが精霊に命令するとやる気のなかった見張りの盗賊は、すぐに大いびきをかき始めた。


「今の内よ」


「はい」


 フィリアとハースは洞窟に入る。


 洞窟は、暗くジメジメとしている。それにひどい匂いだ。


 木の柵で牢が作られている。その奥で、捕まったエルフたちが身を寄せ合うように固まっている。


「みんな」


 フィリアは、認識阻害の精霊術アルヴギアを解き、同胞たちに声をかける。


「助けに来たわ。ちょっと待ってて。風よ。我が刃となりて、敵を断ち切れ」


 フィリアは、精霊術アルヴギアで風の剣を作り出し、錠を斬り、牢を開ける。


「ああ、あなたは、フィリア様……」


「そうよ」


 エルフたちは、涙を流す。


「申し訳ありません。このようなみすぼらしい姿で」


 エルフは、誇り高い種族だ。


 ボロ切れのような服でほとんど裸、衛生状態も悪く髪はぼさぼさでやつれている。


 助けが着た喜びよりも、そんな姿を見られる苦痛の方がよほど大きかった。


「人間に屈さず今日まで耐えてきた。みんなをみすぼらしいなんて言う奴がいたら私がぶっ飛ばしてやるわ」


 フィリアは、エルフたちに笑いかける。


 エルフたちはさらに勢いよく泣き始めた。


「精霊よ。彼の者たちの不浄を払い、清め給え」


 ハースが、精霊術アルヴギアを唱えると捕らえられていたエルフたちは、美しさを取り戻す。


「他に捕まったエルフたちはいない?」


「はい、この砦にいるのはこれで全員だと思います。他にも居たのですが、どこかに連れていかれてしまいました」


「そう、もっと探る必要がありそうね。ハースとりあえず、みんなを安全なところに」


「お嬢様はどうするのですか」


「人間共をとっ捕まえて、仲間をどこに連れて行ったのか吐かせるわ」


「危険です」


「私には精霊術アルヴギアがある。人間なんて恐れるに足りないわ。ビビってるの? ハース」


「人間は数が多い。いくらお嬢様でも多勢に無勢です。ここは一度撤退して態勢を立て直しましょう」


「むうう、私ならできるのに」


 ハースの説得にフィリアが唸る。


 そうこうしているうちに外が騒がしくなってきた。


「まさか侵入がバレた?」


「嘘。私の精霊術アルヴギアは完璧よ」


 フィリアは目を閉じ集中する。


「精霊たちが騒いでる。誰かが大暴れしてるみたい」


「ならば、この間にみなを脱出させましょう」


「様子を見てくる」


「フィリア様!」


 ハースが止める間もなくフィリアは洞窟を飛び出した。

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