第35話 光翼の天使

 ラゼル村は、小さな村だ。


 畑の実りが悪く村人は、みな貧乏。


 ダルキアでは珍しくもない普通の村。


 そんな貧困が当たり前の村で少女リナは、毎日を懸命に生きていた。


 朝早くに起きて、水を汲みに出かけ、帰ると畑を手入れして、やせた家畜の世話をする。


 日が暮れると村は眠りについてしまう。魔導灯のような安い魔道具ですら持っている家は、この村にはない。


 みんなが寝静まった夜に、リナは、こっそりと家を抜け出す。


 月明りを頼りに村の端まで足を延ばし、ある人と落ち合う。


 同じ村に住む少年エミリオだ。


 このエミリオと夜の短い時間、逢瀬を重ねるのが、リナの密やかな楽しみである。


「姉貴たちは、どうしているかな」


 エミリオは、徴兵され戦地に向かった姉や村の若者たちを思う。


 あと数年早く生まれていれば、エミリオとリナも兵士になっていただろう。


「姉貴のことだ。きっと手柄を立てて帰ってくる。そしたら俺たちの生活も少しは楽になるかもな」


「ならないよ。ご領主様のクラディウス様は、みんな年貢や兵隊にとるばっかりでちっとも助けてくれないじゃない。お兄ちゃんだって、無事かどうか」


 エミリオに比べリナは悲観的だ。


「そんなことないさ。クラディウス様が恐ろしい異民族と戦ってくれているおかげで、俺たちが安心して暮らせるんだ」


「そんな遠いところの話なんて知らない。本当かどうかもわからないもの。でも、きっと神様なら助けくれるはず」


 リナは、星空を見上げる。


「神様……。お前、聖天教の神を信じているのかよ」


「信じるも何も、エミリオだって見たでしょ。聖天教のシスター様」


 聖天教は、帝国で急速に拡大している新興宗教だ。


 新興とは言っても、もう百年以上の歴史を誇る。


 在来の神々を否定し、唯一神を信奉する宗教なのだが、そのあたりの違いは無学な村人のリナやエミリオにはわからない。


「おいしいものをいっぱいくれたし、神聖術デウスギアで、みんなのケガや病気も治してくれた。それになにより、きれいだったな~あこがれちゃう」


 食料の施しや神聖術デウスギアによる治療。いずれも何もしてくれないクラディウス家よりもよほどありがたかった。


 そして何より、荘厳な黒衣を身に纏ったシスターは美しかった。


 単純なことだが、その方がわかりやすくリナのような村人の信仰を集めるのである。


「リナもシスターになりたいのか」


「うん。信じる者は救われる。シスター様が言っていたの。私だってシスターになれるって」


 リナは、目を輝かせる。


「そっか……。けど、俺は、リナが村を出るのは嫌だな」


 エミリオが顔を伏せる。


「えっ……? それって」


 一方のリナは、きょとんした表情だ。


「リナ、俺と」


 意を決してエミリオが顔をあげる。


「待って」


 リナがエミリオの口を手でふさぐ。


「静かに……。何か聞こえる」


 リナは、耳を澄ます。


 村の外、すぐ近くから地響きが聞こえる。足音や馬の蹄が大地を蹴る音だ。


 火のついた松明や魔術マギアで作られた火の玉が、迫りくる脅威を照らし出す。


「盗賊だ……」


 リナとエミリオの顔から血の気が引く。


「ど、どうしよう。エミリオ」


「俺だってわからないよ。とにかくみんなに伝えよう。早く逃げないと」


「戦わないの?」


「何言ってるんだ。魔術マギアを使える姉貴たちは、今いない。帰ってこないんだ」


 エミリオとリナは、急いで村に戻り、大声で盗賊の襲来を知らせて回った。


「お母さん、お父さん。起きて、盗賊が……!」


 リナの両親も慌てて飛び起きた。


 村人たちは、絶望した。


 一体どこに逃げろというのか。


 家や畑を失えば、どのみち生きてはいけない。


 逃げても結果は同じだ。


「逃げよう。命さえあれば、きっと神様が助けてくれるよ」


 リナが言った。


 だが、考えている時間も余裕もない。


 盗賊たちの動きは素早く、すでに村に侵入し、略奪の限りを尽くし始めた。


「家や畑は燃やすな。女は捕まえろ。男は抵抗したら殺せ。ジジイババアは、いらねえ! 皆殺しだ!」


 盗賊の頭領らしき男が、馬上で怒鳴る。


「親分。この村、ろくなもんがねえ」


「いい。ここが終われば次の村だ」


 盗賊たちも食い扶持に困っていた。


 食料を探し求めて移動するというのが盗賊という生き物だ。


 ラゼル村の食料を奪うだけ奪ったら次の村に行くだけだ。


「や、やめてくれ。種もみだけは……。それを盗られたら俺たちは生きていけない」


「うるせえ、そんなの知ったことか」


 村長がすがりつくが、盗賊は、無慈悲にも剣を突き立てる。


「ぐあああ」


 村長は、悲鳴を上げる。地面に伏し、傷口からおびただしい量の血が流れだしている。


(早く助けないと村長が死んじゃう。でも……)


 リナは、窓から少し顔をのぞかせるが、動けない。


 他の村人たちも恐怖に怯え、声を押し殺し、息をひそめ、悪夢が去るのを待つしかない。


 よほど腹が減っているのか盗賊たちは、地面に転がる村長にすぐに興味を失い、食料に夢中だ。


(今なら!)


 リナは、タイミングを見計らって家から飛び出し、けがをした村長を救いに行く。


「馬鹿! やめろ! リナ!」


 両親は、必死の形相で止めるが、もう遅い。


「村長。大丈夫。今助けるから」


「ああ、リナ。馬鹿野郎。早く逃げろ」


 村長は、リナを逃がそうとするが、リナは、村長を引きずり、家に運ぼうとする。


 その動きは遅く、すぐに盗賊に気付かれた。


「あ、お前何やっている」


「きゃあああ」


 盗賊がリナの首根っこを掴み持ち上げる。


「ほう、女か。まだガキだが相手をしてもらおうか」


「いやああ、離してええ」


「やめろ、その娘に手を出すな」


「黙っていろ。じじい」


 盗賊は、倒れている村長の顔を蹴りつける。


「リナ! このおおお!」


 隠れていたエミリオがリナを救うため、盗賊に掴みかかる。


 だが、屈強な盗賊と少年エミリオの体格差は歴然である。


「うお、なんだ。このガキ。邪魔だよ!」


 盗賊がエミリオを振り払い、剣で斬りつける。


「ぐああ」


「エミリオ!」


「がはは、なんだ。こいつはお前の女か。俺がもらっていくぜ」


 盗賊は、倒れ込むエミリオに下卑た笑い声を浴びせる。


「このっ! 離して! エミリオにひどいことしないで」


 リナが暴れながら叫ぶ。


 しかし、盗賊の男からは逃れられない。


「知らねえよ。弱い奴が悪い」


「外道! あんたみたいな悪党には必ず天罰が下るわ。地獄に落ちろ」


「がはは、天罰か。どうやら世の中悪党だらけで、神様も手が回らないらしい。それにここはもう地獄だぜ」


 盗賊が、リナに覆いかぶさる。


「うるさい、女だ。一足先にお楽しみといくか」


「いやああ! 助けて!」


 リナは、泣き叫ぶ。


「静かにしやがれ」


 盗賊は、リナの顔を殴りつける。


 リナは、痛みにうめくが、眼光は鋭い。


「この、アマ!」


「むぐうう」


 慌てた盗賊が、リナに縄を噛ませる。


「へへ、舌を噛み切ろうたって、無駄だぜ。お前みたいな強情な女は五万と相手にしてきたんだ」


 盗賊は、リナを押さえつけながら、その服を引きちぎる。


「むぐうう」


(神様お願い。信じる者は、救われるんじゃなかったの? シスター様。お兄ちゃん。誰でもいい。助けて!)


 リナは、涙を流し、ぎゅっと目をつぶり天に祈る。


 ダン。


 鈍い音が鳴った。


「があ、いてええええ」


 何かが盗賊の肩を貫き、盗賊が転がりまわる。


「げえ、なにっ?」


 縄を吐き出したリナが天を仰ぐ。


「天使……」


 月光が夜空に浮かぶ五人の美しき天使たちを照らし出す。


 リナの薄汚れたボロ布のような服とは違う。見たこともない美しい純白のドレス。所々にフリルがあしらわれ、素材は白く透けているようにも見える。まるで光を纏って着ているかのようだ。


 背中には、光の翼が生えていて、はためかせることなく、ただ大きく広げている。


 手には、金で装飾された白い筒のようなものを持っており、その先端からは煙が出ている。


 その神々しさは、まさに神の御使いである天使そのものである。


「ぐうう。なんなんだ。お前らは!」


 盗賊が肩を押さえながら、吠える。


 五人の天使の真ん中、ひときわ存在感を放つ天使が答える。


「バテル・クラディウス様の家臣、アモルです~」


 ウェーブのかかった豊かなピンク髪の天使、アモルが答える。


「クラディウスだと」


 盗賊がひるむ。


 クラディウス家の兵は、勇猛で知られている。


 そのクラディウス兵が国境線に張り付いて不在だからこそ、盗賊たちが我が物顔で闊歩できているのだ。


「天使様……。神様……」


 本当に神の救いが来たとリナは感動に打ち震える。


「飛行の魔術マギア。クソ、あんな化け物に勝てるわけがない」


 盗賊は、傷をかばいながら逃げ出す。


 飛行の魔術マギアは、かなり高度な術だ。盗賊では手練れの魔術士には手も足も出ない。


「ダメですよ~。一人も逃がさず捕まえるのが命令です~」


 アモルは、白金の長銃を構え、放つ。


 連続で四発の弾丸が発射され、


「防御陣!」


 盗賊は魔術マギアで防壁を作り出すが、


「ぐああああ」


 弾丸は障壁を貫通し、盗賊の手足を的確に打ち抜いた。


「ふぐうう」


 盗賊がうめき苦しむ。


 今までリナに覆いかぶさっていた男が、芋虫のように地面に這いつくばり、死を待っている。


「安心してください~。殺さないようにと言われているので、死にはしませんよ~」


 地上に舞い降りたアモルが、盗賊に笑いかける。


 他の天使たちは、村の上空を飛び回りながら、盗賊たちを狙撃し無力化していく。


「くそお、なんで俺がこんな目に」


「あれ~悪いのは~弱いから~ですよね~?」


 アモルは銃床で盗賊の頭を殴りつける。


 盗賊はそのまま気絶した。

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