第14話 怪しい主人と密偵メイド
「おはようございます。バテル様」
「ああ、おはよう。イオ。イオは、まだ寝ていてもいいんだぞ。準備なら自分でできる」
「いえ、そういうわけにはいきません。私は、バテル様のメイドですから」
「わかった。けど無理はするんじゃないぞ」
なにもおかしいところはない。いつもの優しいバテルだ。
イオは、バテルが自分に怒っているから何も言わないのではないかと、考えたこともあったが、むしろ機嫌がいいように思える。そのバテルの今まで見たこともないような機嫌のよさが、さらにイオの心を乱す。
「あ、また、そのチョーカーつけているのか。それは従属の証だろう。つけなくてもいいのに」
「いいえ、これは部族の誇りです。それにバテル様にもらったものだから」
「それは俺が知らなかったから。まあいい。また今度、別のやつを」
「ありがとうございます。でも、これは外しません」
「相変わらずイオは頑固者だな」
鈴付きのチョーカーが、獣人を屈服させた証という歴史的経緯を聞いたバテルは、イオにプレゼントしたことを後悔したが、イオは、頑なに外さない。
幼いころに出会った二人はともに育ってきた。お互い家族と離れがちだった分、本当の家族以上の強い絆がある。
「俺は、もう行くよ」
「……では、朝食の準備を……」
「いや、いい。夕食だけ頼む」
「せめて、スープだけでも」
「ごめん。急いでいるんだ」
イオは、多忙なバテルの体を少しでも休ませようとするが、バテルは、聞き入れない。
「今日はどちらに?」
「ちょっとな」
「もしかして、あの
イオは目を細める。
「ま、まさか、あれはディアナの前でやる人形劇くらいのもんさ。今日は稽古した後、ちょっと町を回る。いつもと同じさ」
(嘘だ。バテル様は、また嘘を)
門番に確認したところ、バテルは、朝一番で外に行き、帰ってくるのは夕方ごろだという。
(バテル様、どうして私に隠し事なんか……)
バテルの笑顔を見るたびに胸が締めつけられる。
嫌われてしまったのだろうか。確かにイオがバテルに普段の稽古や
「お供しなくてもいいのですか。けほ」
「いい。イオは、屋敷で仕事をしていてくれ。それよりも体調が悪そうだけど大丈夫か」
「けほけほ。ごめんなさい。朝から少し咳が」
「イオが咳? 珍しいな」
生まれてから病気一つしない元気が売りのイオが、珍しくせき込み顔色も悪い。
まじめすぎるイオは、朝早くに起きてバテルを見送り、それから家事などの通常の業務をこなして、遅くまで帰りを待っている。
「イオ。今日は、休んでいてくれ」
「このくらい。私、働けます。けほけほ」
イオは、元気よく腕を振って見せるが、咳が止まらない。
「ダメだ!」
バテルが声を荒げるとイオはびくっと体を震わせる。見たこともないような険しい形相をしている。
「……悪い。もうすぐ、もうすぐなんだ。よし、すぐに帝国一、いや世界一の
(帝国で一番? そんな神官様がこんな辺境にいるわけがない。でも、嘘を言っているようにも見えない。もしかしてバテル様は、誰かに騙されているんじゃ……。帝都で似た事件があったと聞いたことがある。間違いない)
イオは、ますます不安になる。一方で、どこかでそうであってほしいと願っていた。自分が嫌われたわけではないのだと信じたかった。
「大丈夫……いえ、わかりました。では、今日は、お言葉に甘えて、お休みします。バテル様も気をつけて」
「ああ、すぐに戻る」
イオは、言いたいことを飲み込んでいつも通り、バテルのことを見送った。
「バテル様に嘘をついちゃった。でも、もしバテル様が危険な目に会っているのなら私がバテル様を守らなくちゃ。あの日、私は、バテル様に救ってもらった。今度は私が助ける番だよね」
イオは、しばらくすると一度咳払いをしてのどの調子を確認し、メイド服の上から古びたローブをかぶって顔を隠した。
小さな密偵が、バテルを追う。
(なんて速さ、とても追いつけない)
イオは、魔力こそ使えないが、身体能力には自信があった。それに獣人と人間の身体能力の差は歴然だ。にもかかわらず、イオの足では、バテルを見失わないだけで精いっぱいだ。
(あれが身体強化の術。バテル様があんなに使えるなんて。魔力が使えるってだけで、
バテルは、木々を避け、森を疾走する。
魔力による身体能力の強化。魔力を使える戦士なら誰でもできる基礎中の基礎だ。魔力が使えるか使えないのか。イオは、その歴然たる差を改めて感じさせられた。
うっそうと木々の茂る森をずっと進み、立ち止まる。どうやらここが目的地のようだ。
そこには普段、誰も立ち入ることのない森にふさわしくない奇妙な建物があった。質素なつくりだが、滑らかな石でできた頑丈そうな建物で、それなりに大きい。
(ここは龍の森……。それにあの建物。もしかしたら帝都で噂の邪悪な教団かなにかの神殿なんじゃ……)
イオは、気づかれないように距離をとって大木に身を隠す。不安から体調は、ますます悪くなり、呼吸が乱れる。
(私、どうしちゃったんだろう。いつもならこれくらい平気なのに、体も熱い。やっぱりバテル様の言う通り今日は休んだほうがよかったのかも)
バテルの言いつけ守らなかったことを少し後悔したが、すぐに考えを改める。
(ううん。バテル様が、もし危険な目にあっていたら私が命に代えても助けなくちゃ)
イオは、じっとバテルの様子をうかがう。
すると、どこからともなく少女が現れる。銀髪褐色に東洋風の格好をした異装の少女だ。
(……女の子? きれいな子……。誰だろう。町では見たことがないけど。バテル様は、あの子に会いに……)
主人は、自分に黙って、少女と逢瀬を重ねていたのだろうか。
メイドには、主人の色恋沙汰などあずかり知らぬところだ。しかし、たった一人、世界に取り残されてしまったような孤独感に襲われて、自分の体がひどく小さくなったようだ。
(なんの話をしているのかな……。バテル様が笑って。バテル様のあんなに楽しそうな顔、見たことない)
黒い感情が透明なしずくとなって目からあふれ出す。バテルは、笑ってなどいなかったが、イオの瞳には、そう映ってしまう。
少女だけではない。建物から他にも人数が出てくる。
(また誰か来た……。私なんかよりずっと可愛くて、みんな綺麗)
イオは、昔感じた孤独を思い出し、体が冷たくなっていくのを感じる。自分の全く知らない人々と交流しているバテルが、自分とは別世界に行ってしまったようだ。
(バテル様、一人にしないで……)
イオはうずくまる。ひどくだるく吐き気を催し、とてつもなく寒い。
ぐるぐるとマイナスな思考が頭を駆け巡り、あの建物は、やっぱり神殿で、あの人たちは、神や精霊なのではないかと思えてくる。
(きっと、そう。優しいバテル様が不埒なことをするわけがない)
バテルは、洗脳されているのでもなく、不逞な行為にふけっているのでもなく、もっと神秘的なことをしているのではないか。
そう思いたい。そうでもなければ、自分はどうやってこの孤独から救われるというのだろう。
「――――!」
(見られた。 ばれちゃったかも)
イオは、一瞬、最初に現れた銀髪褐色の少女と目が合ったような気がして、大木の裏に身を隠し、しゃがみ込んだ。
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