第5話 師匠


「ふむ。まったく図々しいことこの上ない。ま、教えることはできる」


「じゃ、じゃあ」


「人にものを頼む以上、それに見合う見返りが必要じゃ。覚悟はできておろうな」


「もちろん。出世払いになるけど、俺に払えるものならなんでも」


「命でもか」


 シンセンはバテルをにらみ据える。


「……今はできない。やることが終わったら」


 汗が首筋を流れる。


「どうしてそこまでして学びたい。おぬしは貴族。他にいくらでも学べる術があろう」


「家族を助けるためには帝国の魔術マギア神聖術デウスギアじゃダメなんだ。それに……」


 そうだ。何かをやる。何かを学ぶことの根源的な欲求は決まっている。


錬金術アルケミアは面白い。ロマンがある」


「ふはははは、ロマンか。気に入った。よかろう。いくらでも教えてやる。わしの修行は厳しいぞ」


「ありがとうございます。師匠」


「師匠?」


「稽古をつけてもらうんですから。師匠と呼んだ方がいいかと思いまして」


 今まで、見た目が幼いということだけで、慇懃無礼な物言いをしていたが、相手は、もはや年齢を聞くのも怖いくらいの年上だろう。前世を足しても到底及ぶものではないはずだ。


 それに、これからは師匠でもある。


 態度を改めなくてはならない。


「ふ、ふん……師匠か。好きにするがよい」


 シンセンは、長耳をぴこぴこと少し揺らして、鼻の頭をかいた。


「さて、見返りの話じゃ。おぬし貴族じゃろう」


「はい」


「わしは西には久しぶりに来たばかりでな。この森に住もうと思っている。ここら一帯は、そこもとの家の領地じゃな」


「ええ、確か」


「ならば、住む許可をくれ。わしとて面倒ごとは避けたいのでな」


 こんな森、勝手に住み着いても誰も文句は言わないし、シンセンほどの人物なら有無を言わすこともないだろう。


「それでは授業料としては安すぎませんか」


「なにを言うておる、ほんの手付金じゃ。わしは高くつくぞ」


「わかりました。クラディウス家、当主代行バテル・クラディウスの名において、シンセン殿が龍の森に住むことを許可します」


「うむ。あとは酒も持ってきてくれ。とびきり上等な奴じゃ。久々に帝国に来たんじゃ葡萄酒を味わいたい」


「それだけですか」


「ああ、それでよい」


 最初は命まで要求しようとしていたのに、ほとんど報酬にも思えないほどの見返りだけ言ってシンセンは、けろりとしている。


 優しいのか。それとも、もはや人間らしい欲得を持っていないのか。シンセンという人は底が知れない。


「シンセン師匠、あなたは一体……」


「わしは神じゃよ」


「神様」


 不思議と疑問には思わなかった。


 人間離れした神秘的な美貌に、想像を絶する力、豊かな知識。いや、よく考えてみれば、むしろ神様か何かである方が自然だ。


「くひひひ、おぬし、ふふ、騙されやすいのう」


 シンセンは、バテルの間抜け顔を見て、腹がよじれたように笑う。


「可愛い姿で少年をたぶらかす。もしかして悪魔?」


「こ、こんな年寄りに可愛いなどと言うても、嬉しくないぞ」


 シンセンは、見た目通り少女らしく恥ずかしがる。


「だったらエルフとか?」


 ダルキアにある精霊樹の森、その奥に住んでいるといわれる耳長の種族を思い出す。エルフも確か長命な種族だ。


 シンセンは、かぶりを振る。


「あんな高慢ちきな奴らと一緒にするな。この辺りでは何と呼ぶのか知らんが、故郷の人間たちからは鬼人と呼ばれておった」


「鬼人……鬼か」


 なるほど、角ぐらいしか今のところ共通点が見つからないが、鬼といえば、日本の妖怪を思い出す。さしずめシンセン師匠は、鬼娘といったところか。


「なに、同胞を知っているのか」


「いや、この世界では、初めて聞きました」


 エルトリア帝国には人間、エルフ、ドワーフ、獣人など多様な種族が暮らしているが、鬼という種族は聞いたことがない。もっとも実際に見た種族は一部の獣人程度で、ほとんどは話に聞いただけではあるが。


「ん? この世界では、だと? 妙な口ぶりじゃな」


「あ、それはそのう……」


 うっかりと口が滑ってしまった。


 バテルは、この世界に転生してから一度も、この秘密を漏らしたことがなかった。隠しているわけでもなかったが、なんと言い出したらいいのかもわからず、自分の中に秘めてきた。


 安心していたせいか、気が緩んでいたらしい。


「おぬし、もしや転生者という奴か。そうじゃろう、そうじゃろう。知識としては知っておったが、いやはや、わしも見るのは初めてじゃな」


「い、いや、その」


「ほれ、わしに洗いざらい話せ。これも報酬のうちじゃ」


「さっきは酒でいいって」


「細かいのう」


 結局、好奇心旺盛なシンセンに問い詰められて、バテルは、すべて白状してしまった。


「ま、察しはついていたがのう。魔力の波動が、この世界のそれとは違うのよ」


「……最初からバレバレか」


「にしても転生者か。しかも異世界からの。くひひ。愉快、愉快。愉快よのう」


 シンセンは、口元を緩ませて、バテルの周りをぐるぐると回り、品定めするように見る。


 バテルは、ようやく転生について話すことができて肩の荷が下りた気分だ。


「一体どんな知識を持っているのか。さっき派手な武器を使っておったな。それにその魔力量。転生者とは魔力量に富むものなのか。気になるのう。気になるのう」


 おびえるバテルの目を、シンセンがのぞき込んできた時、バテルは、一瞬、ぞわっと背筋に悪寒が走った。


「解剖だけはご勘弁を!」


 バテルは、自分でも驚くような素早さで、地面に正座し、知る限り最もへりくだった謝罪をすべく、地に足を折り曲げ、手をついて、頭を垂れていた。


「たわけ。誰が腑分けなぞするものか! まったく人を何だと思おておる」


 シンセンは大きくため息をつく。


「今日は、もう日が暮れる。明日また来い。傷は癒したが、疲労がたまっておるはずじゃ。よく食ってよく寝て養生せよ」


「はい、師匠。また、明日、今日は失礼します」


「くひひひ、師匠、師匠か」


 帰り道、森の奥からシンセンの笑い声が聞こえた気がした。

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