第2話 領主代行


 暗い雰囲気の中、予期せぬ来訪者が現れた。


「ち、父上」


 ガディウス・クラディウス

 クラディウス家の当主にして、北方最強の戦士。

 兵を率いて、日夜、国境線で蛮族との戦いに明け暮れている。

 バテルとディアナの父親だ。


「よっ、みんな、元気か」


 一番上の兄、レウスもいる。


「話がある。部屋に来い」


 無口な父親は、そうとだけ言ってレウスと出て行ってしまった。


「バテルお兄さま……」


 ディアナが心配そうに見つめてくる。


 わざわざ父自ら呼び出したということは、ついに戦場に行くことになったのかもしれない。ディアナもそう思ったのだろう。


 クラディウス家が屋敷を構えるディエルナは、エルトリア帝国北部の辺境、ダルキア属州にある。


 異民族相手に日夜戦いを繰り広げている国防の最前線に領地を持つ北部貴族に生まれたからには戦場行きは確実だ。


「大丈夫だ。俺は、まだ成人していないぞ」


 帝国での成人は、十五歳。バテルには、まだ二、三年の猶予があるはずだ。


「でも、ダルキアでは成人前から戦場に行くこともあるって」


「ディアナは、物知りだな」


「バテルお兄さまが心配なの」


「レウス兄上やラウル兄上は、心配じゃないのか」


「レウスお兄さまやラウルお兄さまは、とっても強いけど、バテルお兄さまは、弱いから」


 イオが噴き出す。


 なんと情けない話だろう。まだ幼い妹にまで心配され、イオには笑われている。


「おい、イオ」


「いえ、ふふ、申し訳ありません」


 さてはイオが吹き込んだなとバテルは、恨みがましく見る。


「安心してください。ディアナ様。このイオが、必ずバテル様をお守りします」


「イオなら安心だね」


 イオは魔力こそ使えないが、獣人の中でも優れた身体能力と戦闘への才能を持つ。魔力が扱えるバテルよりもよほど強い。


「俺だって、錬金術アルケミアが使えるんだ。大手柄を立ててきてやるさ」


 バテルは、ディアナをイオに任せて、父のところに行った。


 バテルが、父の執務室に行くと長男レウスと次男ラウル、そして行政官のフォルカスもいた。


 バテルの兄であるレウスとラウルは年が離れていて、二人ともすでに立派な騎士だ。


 レウスは、絵にかいたような美丈夫である。その体は、細身だが、よく鍛えられているのがわかる。クラディウス家の跡取りで、剣術と魔術マギアに長ける優秀な男だ。賢く優れた指揮官でもあり、話がうまく誰とでも分け隔てない性格から兵士や領民からの人気も高い。次期、クラディウス家の当主としてこれほどふさわしいものはいないだろう。


 ラウルは、父に似た筋骨隆々の大男である。クラディウス家の誇る猛将で武勇においては兄をしのぐ。少し不器用なところもあるが、心優しい性格で、いつも自分を気遣ってくれていることをバテルは知っている。いずれはレウスの右腕としてこのクラディウス家を支えていく存在になるだろう。


 父ガディウスは、石のように微動だにせず机に座っている。質実剛健をモットーとする武門の名家、クラディウスの伝統と歴史がそのまま座っているかのような戦士である。

 実際、中央にも轟くほどの名将らしい。いつも寡黙で冷たい印象の男だが、発言や判断は的確。まさに武人の中の武人だろう。


 三人ともバテルとは比べ物にならないほど優秀だが、転生者であるせいか、血のつながりがあるからと言って変なしがらみや劣等感を覚えることはない。

 父や兄たちが領民を思う模範的貴族であり、バテルやディアナ、イオのことも気にかけている優しさを持っていることをバテルは知っているし、尊敬もしている。


「父上、この不肖の息子バテル、こうして戦場に行くことになったからには、必ず手柄を立てて見せます」


 バテルは、父や兄たちの役に立つことができるならと勇んでいったが、レウスが笑っている。


「お前のような軟弱者、戦場にいても邪魔なだけだ。まだ成人もしていない子供を戦場に連れていくわけないだろう」


 父が顔色一つ変えずに言う。


「へ?」


 バテルは、思わず間の抜けた声を出してしまう。覚悟を決めて来たのに拍子抜けだ。


「バテル、お前に戦場は無理だ。だが、小賢しいところがある。年が明けてすぐ帝都の学院にでもいれるつもりだ」


「バテル様ほどの才智に優れたお方であれば、帝都の学院で優秀な成績を残し、宮廷の高級役人として成功を収めるに違いありません」


 フォルカスは、眼鏡をくいっとあげる。


「バテルなら中央貴族になって、俺たちよりもよっぽど偉くなる」


 ラウルは、不憫な弟を慰める。

 武家に生まれて、戦士の才能がないとこれほど直接言われるなど、どれほどの屈辱だろう。

 父に似て寡黙だが、そのうちに膨大な感情量秘めた男であるラウルは弟を思い涙をにじませている。


 一方、当のバテルは、喜びに打ち震えていた。


 戦場に出なくてもいい。クラディウスの一族においては、この上なく不名誉なことなのだろうが、バテルにとっては、僥倖だ。


(俺が戦いに行かなければ、イオを危険にさらすこともない。それにディアナやイオを治す研究に専念できるかもしれない)


 父上の話を聞けというすさまじい眼光にバテルは、浮ついた表情を元に戻し、平常心を取り戻す。


「お話とは、学院のことですか」


「いや、それはまた別の話だ。お前に一つ任せたいことがある。近々、軍を率いて、遠征に出る。その間、お前が領主代行となってディエルナの地を治めよ」


「え、俺に? いつものようにレウス兄上やラウル兄上ではないのですか?」


 クラディウス伯が軍を率いて、北の国境線まで遠征することは珍しくない。その場合、兄のうち一人を伴い、もう一人をクラディウス家の屋敷のあるディエルナにおいて、領地のことを任せるのが通例だった。


「異民族が、大規模に南下してきている。今回は、大戦さだ。レウスとラウル、二人とも連れていく」


「しかし、私では領主代行などとても務まりません」


 バテルは転生者とはいえ、まだ成人もしていない子供。

 それに領主代行などという面倒ごとよりも錬金術アルケミアの研究に打ち込みたい。


「細かいことは、このフォルカスにでも任せておけばよい」


「はい。雑事はすべてこのフォルカスにお任せください」


 フォルカスが胸にこぶしを当て、頭を下げる。

 クラディウス伯は、だから何もする必要はない。今まで通りに過ごしていろと言う。


「フォルカス、下がれ」

「はっ」


 クラディウス伯が、フォルカスや護衛の兵士たちを追い払う。

 これでこの部屋にいる者は、クラディウス家だけになった。


「ディアナの面倒はしかとみろ。この鍵を渡しておく」


 バテルは、古めかしいカギを父から受け取る。


「これは?」


「この屋敷の地下にある部屋の鍵だ。ディエルナに、もし万一のことがあれば、そのカギを使いディアナを頼れ」


「は?」


 ディアナを頼るとはどういうことだろう。ディアナは暗い部屋から出ることもできないか弱い存在で守るべき対象だ。まったく意味が分からなかった。


「時が来れば、お前も知ることになる。ディエルナ領主代行の任、しかと果たせよ」


「はっ」


 話が終わり、バテルは、兄上たちと執務室を出た。


「あれでも父上は、不器用なりにお前のことを心配しているし、お前を認めている。じゃなきゃ領主代行を任せたりしないさ。学院行きだって、お前にとって何がいい道か考えているんだ。帝都の学院ならお前のなんとかって術も存分に研究できるだろ。しっかりやれよ。バテル」


 レウスがバテルの肩を叩く。そして、顔を近づけ、


「あのフォルカスには気をつけろ。父上は、歯牙にもかけておられないが、どうも帝都から来たやつはどうも信用できない」


 と小声で言い残して去った。ラウルもうなずいて去った。


 フォルカスは、クラディウス家に仕える家臣の一人だ。帝都からやってきた彼は、その経綸の才を買われ、文官の筆頭としてクラディウス家の財務などを取り仕切っている。


 レウスは、怪しいとにらんでいたが、ダルキア貴族の帝都や中央貴族嫌いは尋常ではない。バテルが思うに、フォルカスは、人づきあいこそ悪いものの清廉で真面目な男だ。だが、兄が、言うのなら何かあるのかもしれないとバテルは、忠告を胸に刻み込んだ。


(気が重い。でも、これは、チャンスでもある。俺が領主代行として錬金術アルケミアの力でディエルナを発展させることができれば、みんな、認めてくれるかもしれない。そうすれば、学院でなくたって誰の目にはばかることもなく錬金術アルケミアに没頭できる)


 バテルは、より一層錬金術アルケミアの研究に熱をあげるようになった。


 ディエルナ伯は、長男レウスと次男ラウルを伴って、軍を率い、雪解けとともに北部国境に出陣した。

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