R.B.ブッコローの自炊課へようこそ!

うましおさん

想いを透過すること。

 陽光に照らされたカビ臭い埃が足元から舞い上がり、ダイアモンドダストのようにキラキラと光らせている。その粒子は鼻腔と喉を刺激し、僕の肌を、そして彼の羽毛を汚し不愉快さを際立たせた。

「もぉ~、最悪なんですけどぉ~」

甲高い間の抜けた声が本棚を隔てた場所で響いている。

「どうしたの」

僕は手に持ったハンドルを上げ、安全装置のボタンを押した。

「どうしたもこうしたもないのよ。窓の外見てよ」

声のとともに、羽を広げるささっ、とした音がする。恐らくは羽先を北向きの窓に向けているのだろう。薄暗い外先には数羽のカラスがこちらに向けて禍々しくメンチを切っていた。

「ミミズクってカラスが苦手なの」

「当たり前じゃん。アイツら自分たちのテリトリーに入ってきたからってついばんだり、蹴ったりすんのよ」

 なるほど、あのカラスたちはここにいるミミズクという鳥類に対し威嚇しているのか。裏路地から見えるこの部屋にいることで、縄張りに侵入してきたと勘違いしているのだ。

 女性の濡れた髪のような艶やかな羽を羽ばたかせ、カラスは極彩色の羽のミミズクにガアガアと窓の外で叫ぶ。そしてこちらは、キーと、ただ戦慄いていた。

 大したことではない。そう理解し、安全装置のボタンを再び押す。改めて本の角を固定ガイドに整えた。

「くそぉ! 今度夜襲で巣を荒らしてやる」

憤慨きったミミズクはそう決心し、こちらの様子を本棚の影からひょっこり顔をのぞかせた。

 極彩色の鳥は大きな目をパチクリとさせながらよく言えば友好的に、悪く言えば馴れ馴れしく信松ちゃん捗ってる~? と調子のよい言葉とともに、頭に着けた三角巾とピンク色のハタキを散らばった本の上に置く。

「まぁこれだけやってれば大分慣れてきますよ」

 標準を合わせた場所へ僕は思いっきりハンドルを下した。ハンドルを従わせた先の鋭い刃は、本の背表紙を躊躇いもなく切断する。

「ブッコロー。後でこれもスキャナーに通してね」

 古く大きな裁断機は刃を上げると、切った後の切れ端が塊となって足元に落ちていく。

 『世界の古代恐竜図鑑』。僕が切った本だ。背に書かれていたタイトルを拾い上げる。

薄暗い部屋で僕は、今日もこのパートナーと構築する。新しい『ほん』との向き合い方に。



「左遷……ですか」

 僕はわざと意地悪く、そして皮肉を込めて言った。

「別に左遷とは言ってないだろう。人事異動だ」

「でも広報からの異動は僕だけですよね。明らかなやっかい払いじゃないですか」

 全身の毛が逆立つような怒りが血流を速めていった。

「上が決めたことだ。諦めろ」

「納得いかないです。僕は今までもSNSの発信やイベント企画とかいろいろと――」

 バンッ、と力強い明らかな威嚇する暴音が響く。その音の響き渡る範囲は急速に凍てついていた。

「お前なぁ、この会社がどうゆう営業形態にシフトしていってるか分かってんのか」

 凍りついて動かない口を引きはがすように、電子書籍です、と言った。

「解ってんなら自分の行動思い返してみろ。俺たちがちゃんと勤められて、おまんま食えているのは、うちの販売戦略を紙から電子媒体に大きく変えたからだ」

 靄のある感情がすっと鳩尾あたりに下っていく。それは紛れもない事実だった。

 会社は……いや、人は紙を読まなくなった。

 植えても追いつかない森林、ドラマ化されるベストセラーの本は日に日に累計発行部数が落ちていく。そしてそれらに対比するように増加する電子回線と機器。

 会社はSDGsの名のもとに電子書籍を発展させていった。『手軽にどこでも、あなたの側に物語(ストーリー)を』という宣伝広告を打ち、多くのベストセラー作品の電子出版権の獲得。コンテンツデータの暗号化強化を図ることで違法コピーの取り締まりを強固にした。

 また書店に本を卸さず、リサイクルショップや文具店に少しずつチェンジマネジメントなどを行った。時代とのニーズと寄り添えた結果、SDSNによる〝持続可能な開発レポート〟の中で日本は12位という世界に誇る功績を上げ、〝うちの会社〟は大きな躍進を遂げたのだ。

「それなのにお前は再び紙を取り扱いましょう、だ。お前の企画も、SNSの発信も本来なら企業理念に反している。度が過ぎればクビ切られてもおかしかねーんだぞ」

 鳩尾に溜まった重い何かが喉元まで圧迫し、何も言えなくなってしまう。

「……まぁでも、良かったじゃないか。お前が配属される部署はお前が大好きな紙本を扱うところだ」

 課長はニヤニヤした笑みをこぼし、何事もなかったかのように自身のPCに目を移した。そして、いつまでも立ち止まった僕を、まるでハエでも追い払うかのように手を払う。

 スマートフォンが震え確認してみると、届いたのは会社からの辞令のメールが一見入っていた。

その一文を見た僕はきっと、異様なものを再確認した時のような訝しい顔をしていたことだろう。

『辞令 ――貴殿を同日をもって〝自炊課〟の配属を命ずる。 代表取締役 真仁田亮治』



 自炊と言えど食事のことではない。本の自炊とは、紙の本を電子データに変換することだ。変換するためにはスキャナーなどで取り込みを行わなければならない。さらにそのスキャナーに通すために、一度本をバラバラにしなければならない。

そして、解(バラ)すためには本を切らなければならない……。接着された背表紙の部分からバッサリと……。

 自炊課の職場は古びた書庫のようなところだった。西洋風であると言えば聞こえはいいが、埃とカビのにおいがその部屋の忘れ去られた年月を表している。

「空気が悪いなぁ」

 まずはこのカビくさいにおいを、何とかせねばならない。窓は日当たりの悪い大きな北窓一つだった。錆びついていて立て付けが悪いが、力任せに引っ張ると大きな音を立てて窓はしっかりと開いた。

「誰よもぅ~、うっさいなぁ」

 大きな音を立てたその時、間の抜けた甲高い声がどこからか響いてくる。

「まったく、昼寝も本も読めやしない。鳥類保護条例は一体どうなってんの」

 きょろきょろと辺りを探る僕の頭上からこっちこっちー、と呼ばれ、その先、所在が判明する。

 言葉を流暢に話すソレは、紙の本を携えてはいたが人間ではない。大きな目を眠そうに半開き、丸いフォルムをした極彩色の猛禽類であった。

 頬杖をつき、羽先で尻を掻き、ふあぁと大あくびをかく。その姿は思春期の娘を持ち、その娘から嫌厭されるX世代のオヤジのようだ。

 猛禽類はマイスペースの神棚らしい場所からもしもーしと、何の情報を拾えない僕を呼ぶ。

「キミさぁ、最近来た子じゃないよねー。ダメだよー、ちゃんと挨拶はしなきゃ」

 フクロウのような鳥が、いや、得体の知れない生き物が喋っている。妙におじさんっぽい口調で高音域の声調で。

 戸惑う僕に極彩色の猛禽類は、名前は? と問う。

「信松……太郎です。今日からここに配属されました。あの、あなたは?」

 よっこらっしょっ、と体と羽を広げ、下降する。何か品定めでもするかのように僕を見据えた後、淡々と名乗りを上げた。

「あー、自炊課管理担当、R.Bブッコローです。よろですー」

 この人(?)も自炊課……なのか。

 しかも管理担当ということは、ここを任されているのが彼らしい。

 ……あの、ブッコローさん。と呼びかけると彼は「さん」はいいいい、ブッコローでいいよ。と羽を震わしている。

「じゃあ、えー、ブッコロー。なんでフクロウが喋ってるの」

 ブッコローは呆れたように声のトーンを落とす。その中に小さな憤りも含ませ頭を掻いた

「あのさぁ、今時猫型のロボットでもしゃべる時代だよ。それにボクはフクロウじゃなくてミミズクだから。このチャーミングな羽角が見えないかね」

 指し示めされた耳のような部分の外側は綺麗なオレンジであり、赤い繊毛のような羽がふわりと耳内に生えている。

 このまま話を進めていくと、このミミズクの正体に対しての質問を重ねていき、理解に苦しむようになる。そう直観した僕は考えるのをやめた。

「す、すみません。では他の職員の人は何処にいるんですか」

 ブッコローは三白眼の大きな瞳で、再び僕を見ると成程ねぇ、と何かを諭す。

「信松ちゃんさ、ここがどういうところか、わかってる」

「えっと……自炊課……です」

「本切ってバラバラにしてさ、スキャナ読み取って後はポイだよ。しかもここにある本は古本屋にも売れなさそーなやつよ。そんな仕事やりたいやついると思う」

 僕はブッコローの言葉を聞き、ああっそうだったなと理解した。そしてブッコローがまじまじと見る理由もわかる。新入社員でもないような体裁の自分が自炊課に来た。冷やかしかと思えばそうでもない。新しくこの自炊課という箱庭に左遷された人間。そしてブッコローはこの箱庭の管理人だった。

 ブッコローは最初に、どうするの? と聞いた。それはこの場所で仕事をする気があるのかと問うたのだ。

「配属されて次の日に来なくなった、ってことなんて珍しくないし、作業は基本虚無だしね。華やかでやりがいのある営業やら開発やら広報やらがここに墜ちてきて続くわけがないからねー」

 と慣れたように話す。

 僕はここで辞めようとは思わなかった。辞めてしまってはこの会社にいられない。そうなってしまっては意味がないのだ。この場所でチャンスを掴み、這い上がる。僕はそうブッコローに話し、作業を教わった。

 

 

 月日は経ち、秋風が頬を伝う爽やかな季節になったが、この空間は時間に関わらず日が当たらない。薄暗く、湿度も高いのでジメジメと頭からキノコでも生えてきそうなほど湿っぽい。

 ずっとこの部屋にいると気が滅入ってしまう。それはこの部屋だからというだけでの理由ではないのだけれども。

「ブッコローは自炊しないの」

 裁断機を力いっぱい引く。落ちゆく背表紙を見つめながら、ほんの少しの怒りを溶かした言葉を吐く。

「ボクは信松ちゃんが解体してくれたもの掲載したり、著作権時効閲覧したりで忙しいのよ」

 そう言いながらPCのキーボードを器用に羽先で操作していた。

ここにある本たちは、もう読まれることのない枯れた本たちだ。そして自炊課の仕事はこの古びた本たちを自炊し、電子書籍として生まれ変わらせることだ。

 生まれ変わったものは電子掲載の無料書籍欄に乗る。そこでの収益はアクセス数による公告PV(ページビュー)で獲得する。しかし、それは年々増額するレンタルサーバー費やドメイン料金で相殺され、利益など雀の涙も枯れる程度さえなかった。

「著作権の時効って、ここの本たちはもう版元もないフリーのものじゃないの」

「著作物の元々の所有者が亡くなって数年経ったり、棄権したり、著作物の更新しないとダメなの。で、ここの本は、ま、そうゆうことね」

 ブッコローは最後に勉強しようねー、と悪意も抑揚のない言葉を捨てるように呟く。その言葉にいちいち苛立ちも覚えることもないくらいもう心は疲弊しているようだった。

 本を切る度に罪悪感をすり潰し、神経の糸が引っこ抜かれるような痺れが身体を巡る。

「そっか……ねぇ、もう何冊切ったのかな」

「んー。百、二百はいってんじゃない」

 裁断され残った紙束を隅に置き、新たな本を再びセットする。

 そうか、もうそんなに切ってたんだな。そしてそれだけの数を捌き、電子書籍として生まれ変わらしたのに、閲覧数は変わりなく一桁と二桁の間を行ったり来たりしてるだけだった。

 力が緩み下ろした刃が分厚い背表紙を貫通しきれず、食い込んだままその場へ留まった。その姿があまりにも滑稽で乾いた笑いが苛立った湿度を纏い落ちた。

 その姿を見、何かを察したのかブッコローはPCから目を離し、神棚の作業スペースから降りてくる。

「そーいえばさぁ、信松ちゃんはなんでそんなに紙の本が好きなの」

「……ブッコローに紙の本が好きな話なんてしたっけ?」

「いやいや、広報にいる郁ちゃんから聞いてるよー。ってか普通に有名だよ」

 広報にいる紙の本を推進する変な奴。渡邊部長にも、そして他の部署からもそんな通り名が知れ渡っている。

「あまりいい声ではなさそうだね」

「扱いづらいからねー。だからこっちに流されちゃったんでしょ」

「……うん。そうだね」

「なんでさ、信松ちゃん、うちの会社に拘んの」

 普通辞めちゃってさ、違う庭もあるじゃん。ブッコローの疑問も当然だった。

 夕日が黄金色に輝き本や僕、ブッコロー、この世界の全てをオレンジに染め上げていく。それは廃れた大人の、青春の残照を見せる魔法の色彩だ。

 草臥れた木製の椅子に腰かける。キイキイと音を立てると思い出す。

 幼少期、共働きの両親は家で一人になる僕に大量の本を買い与えてくれた。始まりはきっと冒険譚の絵本だったと思う。本の世界の主人公に投影することで僕はなんにでもなれたし、どこへだって行けた。

 図鑑を広げれば時代に逆らい、白亜紀の恐竜や幕末の武士にだって会いに行った。

勉学の教材や辞典は物知りな先生だったし、小説などのストーリーはポケットやカバンに入る携帯ドラマだ。

 僕を支え、構築した本に僕は感謝していた。そして、僕を人知れず救ったものをみんなにも伝えたかった。此処は本を愛し、触れ合いに満ちた経営だ。本を売り、イベントを開催し、民衆動画で様々な人たちと交流を深めている。そこは僕がやるべき感謝を伝える場所だった。

 しかし、そんな温かな環境は電子網の無機質な光が蔓延った。そんな環境を戻すべく僕は元々居た広報の仕事の内容を傾けた。電子書籍を紹介する動画広告を減らし、『物』自体の購買を促す宣伝を行った。実績や業績を見ると見るに堪えなく、同僚などからは異端者と揶揄される。そしてこの前、ついに呼び出され堕とされたのだ。

 そんな今、自分は奇しくも本を切っている。なんとも皮肉なものだった。

「なるほどねー」などとブッコローはいつの間にか取り出していたポテチを食べながら僕の話を聞いていた。

「でもさ、それってエゴだよねー」

「どうゆうこと」

 あまりにも唐突な言葉にチクリとする憤りが眉間に乗る。

「本ってさ、突き詰めると独りよがりじゃん。読むってことは言葉を売るって字なんだからさ、行き着く先は商業なんだよね。売買の中に思いやりやらなんやらあったら良いと思うけどさぁ、そういったことって、やっぱりエゴでしょ」

 ――――。何か言葉を発しようと思っても咽頭から空気が抜けていく。

「媒体の形は時代によって変わるし、ホントに大事なことは移り変わるものの中に、どう想いを透過していくかじゃないの」

 僕は本に世界に魅せられ、その良さを、楽しさを伝えたくて広報で活動していた。しかし客観に立つと、実体のないものを退け、見えるものだけにスポットを当て続け、排他的になっていただけだった。手元に取り楽しむ人のことを考えていない。

 ―――僕は間違っていたのだろうか。

 闇と夕の間に立つ。漏れ出す空気が冷たくこめかみをなぞり、内部の臓器を収縮する。夜のにおいが風に乗って埃をそよぎ、その埃は鼻先をくすぐる。―――ふぇっくしゅん!

 高音質なクシャミは明かりを隠した雲を押し、月の光を隠しきれず退いていく。照らされていく影は、少しずつ極彩色の色味と丸いフォルムを取り戻していった。

 ―――間違ってないんじゃない

 いつの間にか閉じてしまっていた瞼を開ける。相手の言葉を深く知ろうとするとき人は目を開けていることを初めて知った。

「信松ちゃんの好きな本の紹介広告とか、プロモーションにさ、少なからずだけどいいね、って思ってくれてる人もいるわけじゃん。きっと自分にとっての大切な物語だったり、思い出とかが詰まったものを、見返したいんじゃないのかな」

 そう、みんな、本を愛する人や、本が好きだった人には自分にしかない色褪せないアルバムのようなものがあり、それを見返したいのだ。

 そしてそれは紙じゃなくても電子書籍でもできる。しかも電子なら手軽に見ることもできる。

 しかし、やはり思い出とは形の残るものに魂が宿り、交信される。それはゆるぎない事実で、それに僕はもう広報ではない。僕はこの自炊課で枯れた本を切ってスキャンし、PDF化していくのだ。

「笑顔を生むための贈り物に悲しいことがあってはいけない」

 その言葉は鼓膜の打つ側へしっとりと耳に届いた。表情の全く変わらないブッコローの顔は月の光の魔法のせいか、どことなく懐かしんでいるように見えた。

「むかし、ボクを拾ってくれた人が教えてくれたことなんだけどね。それはきっと〝届ける〟を仕事にする人はそのことを肝に銘じなきゃいけないし、案外忘れそうになってしまうものかもしれないよ」

 ブッコローはミミズクのため夜目が利く。迷いがなく入口近くのスイッチを押し、点灯した。まばゆい光が網膜を微量に焼く。

 照明の光ようにブッコローは〝おつかれさ~ん〟と明るく、乾いた声調で退勤していった。

 後は自分で考えな、と言っているようだった。夜は彼の一番のアクティブタイムらしく、外へ出て遊びに行くらしい。遊びに行くと言っても居酒屋で酒を飲み、競馬中継を見るのがほとんどなんだが……。

 〝媒体の形は時代によって変わるし、ホントに大事なことは移り変わるものの中に、どう想いを透過していくか〟か。

 紙にしかできないこともあるように電子にしかできないことだってある。

 本にはインクのにおいや、その姿形から五感を刺激し、記憶に残りやすい。しかし、紙は劣化していき大量に外に持ち運びにくい、などというデメリットもある。

 そして電子本なら劣化はせず、一度に大量の物語を携帯でき、暗いところでも読める。しかし、目が疲れたり、その手軽さから心に残りにくい。

「こうやって考えてみると、ちゃんと良し悪しがあるんだな」

 一方向からしかモノゴトを見ていなく、広い視野で見えていなかった。

「笑顔を生むための贈り物に悲しいことがあってはいけない、か」

 ブッコローが最後に言った言葉を噛むように空間に飛ばす。

 辺りを見渡してみる。大量の本や裁断した切れ端やシュレッダーのカスの散乱。それらは何もかもが同じなようで、きっと同じでない。

 ふと傍らに、平積みにされてある一つの本を手に取る。

 『文房具屋さん大賞20XX』。もう何年も前のものじゃないか。文房具好きには欠かせないアイテムだ。なんて岡崎スーパーバイザーは話していたっけな。文房具も本屋の一部だ。それは紙に密接に関係するからこそだろう。

「……そうか、本とペンは密接な関係があるんだ」

 そして、電子書籍でしかできないこと。それを繋いでいくこと、それは広報でもない、マーケティング部でもない。僕の仕事だ。

 小窓の空いた部屋で青年は冷めることのない熱を久しぶりに感じていた。活力のある脈が今静かに呼応したのだ。

 夜は更なる深さを増し、少し肌寒い秋風が、さざ波のように遊泳し、人々の酔いをすっと溶かしていく。赤提灯に踊らされる陽気な人やミミズクは、今宵も颯爽と駆ける競走馬に願いを一枚の紙切れに託し、その無情な結果に阿鼻叫喚の涙を流す。ちなみにこの時のブッコローは最近のお気に入りであるマリアエレーナに祈りを捧げ、三連単に幸運の意味を込め[4-2-8](四つ葉)と願掛けを行ったが、その結果を知るものは誰もいない。



「信松君、これはどういうことだい」

 温かな季節に植物の新芽が芽吹き始めた頃、自炊課から呼び出しをくらい、久々の広報室に足を運んだ。

「どうと言われましても、私はただ切って、スキャナに通し、データ化したものをアップロードしただけですよ」

「それじゃ、何故フリー掲載ページのアクセス数が昨年の数倍に上がっているんだ」

 得体のしれないものに困惑している課長の姿に、僕は小さな勝ち負けのない勝利を手にした気がした。

「いいことではないですか。フリーの閲覧ページには、そのままうちのサイトの購読に跳べるバナーもありますから、間接的な利益には貢献できているハズです」

 しかし、バナーから跳び、購入したという数字はデータベースで計り辛く、本当に貢献しているかは分からない。

 今までの無料掲載していたものにアクセス数が上昇し、PVは自身の給与分くらいはざっと伸ばしている。

 課長は不可思議に思っているが少し調べればわかることだ。

 あの後、僕はあの枯れてしまった本たちに小さな思いの丈をペンで綴った。文芸系にはその思い出を。過去に扱っていた実用書には自身の勉強したメモ書きを。図鑑には現在発行されているものからの変更点を調べ上げ書き込み、その図鑑の商品ページのURLを張り付けた。そして書き込んだそれらを掲載したのだ。

 それらは些細なことではあったが、ほんの少しずつ読者数を増やしていった。そして、極めつけは全ての書籍に加えた空白のページ。

「みんなの書き込みスペースねぇ」

 広報室から出、自炊課に戻った後、ブッコローは『絶対に負けたくない! 穴パターン辞典』を読みながら、ふーんと、どこか納得したように相槌を打った。

「つまり、その空白のページはみんなが見ることができる語り合いの場ってわけね」

「そう。思い出補正の強い作品を筆頭に、みんながその作品を読んでいた頃の話ができたらなって思ったんだ。いわば本の2chみたいな感じ。まぁ、その分時間が掛かっちゃうんだけどね」

 それは電子書籍にしかできないネットを使った手法だった。

「なるほどねぇ~。まぁコストもかかんないし、上からは特に何も言われないっしょ」

 作業効率は落ちたが、元々見向きもされなかったものに一定数の読者を増やしたのだ。そこから、その本に関連したものまで購読されれば少なからず、会社への貢献はされるだろう。

 そして何よりもその人が『ほん』に触れあってくれるのだ。

「まぁその分やることが増えたから、これからもずっと忙しくなるんだろうけどね」

「まぁ、読んで、書き込んで、いつも通り自炊して、ウェブに張り付くんだからそりゃめんどくさいよ~」

「手間暇かけても仕上げていかないとね。春になって温かくなるんだから、出来ることはしっかりとしていかないと」

 それに物事は日々世話しなく移り変わっていく。変わっていく媒体にどう想いを透過していくかは、きっと、これからも変わり続けていくだろう。そんなものたちに追い越されないように僕は日々進み続けなければいけないんだ。

 最初は書き込む人など誰一人としていなかった。元々読まれることなどほとんどないものだ。それでも、今までの本たちに感謝をするように、そしてこれからも読んでいく人たちが楽しめるように書き続け、掲載していく。

 それは一つまた一つと確実に思いの場は広がっていくのだから。


『懐かしいなぁ。小学校のころ、図書室でずっと借りてて先生に叱られてたわ』

『この参考書私もめっちゃお世話になった! オススメ!』

『ここの出版社から出ている○○先生の本の方がよかったよ。受験してたときかなり参考になったわ』

『今も、これからもこの話を読むとあの当時を思い出します』

『読みにくい、あと古い』

『あまり裕福でなかったけど、両親がはじめて買ってくれた図鑑です。また出会えたこと嬉しく思います』

 書き込まれた言葉たちを見、僕とブッコローは今日の仕事に取り掛かる。

 一匹? は神棚の上からPCをカタカタと打ち込む。

 僕は分厚い本を大きな刃で切り落とす。その先にあるグリップを握りしめ勢いよく本を裁断した。

 ここから、時代が移り変わる瞬間に立ち会うように願いを込めて、この自炊課から切に想う。


 そういえば、最初に書き込まれた本のコメントは競馬関係の本だった。

 僕はその言葉をいつまでも忘れることはないだろう。

『次はゼッタイ勝つ! やらなければ当たらない!

 でもさ、なんで三ツ葉が当たんのよぉー!』



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R.B.ブッコローの自炊課へようこそ! うましおさん @gotobazyoukoupon

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