4話 俺、やれるじゃん

 結局、クロハに宿代まで出してもらってしまった。


野兎亭のうさぎてい〉という宿の二階にクロハが、一階にレオンが泊まった。一番安い部屋でいいと言い張ったので、狭くて寝具も粗末だったが、本当なら馬小屋の藁の中で寝ていた可能性もあったのだ。レオンには充分すぎた。


 ……俺のやってきたことって、一体……。


 真っ暗な天井を眺めて、レオンは思う。

 ひたすらドラゴンに挑み、何度も蹴散らされてきただけだ。昨日も、ガルバナの討伐に行くと聞いた時には少し抵抗があった。すでに失敗したことのある相手だったからだ。案の定、攻撃は通らずレオンだけ仕事にならなかった。


 Bランクドラゴンの討伐に対し、貢献度ゼロ。それを一年続けた。

 これだけ条件が整えば反論できまいと踏んで、サラフは解雇の話を持ってきたのだろう。


 ……そんなことするくらいならもっと早く追い出してくれればよかったのに。なんでわざわざこんなに引っ張ったんだ。


 サラフたちの執念が、レオンには理解できなかった。決別した以上、彼らの気持ちはわからないままになるのだろうが……。


     †


 目覚めると、レオンは顔をしっかり洗って身なりを整えた。白いシャツの上に黒ベスト。黒いズボン。月賦払いで買った相棒の星撃剣。こいつの返済もまだ終わっていない。


「おはよう、レオン」

「おはようクロハねえ


 二階から降りてきたクロハは、白いブラウスにゆったりした黒いズボン姿だった。宿の横の店で売っている服だ。銀色の髪はツーサイドアップにしている。彼女は昔からこの髪型を好んでいた。


「軍から報酬が来るまで元手があんまりないんだよね。とりあえずこのままの格好で依頼を受けに行くつもり。鎧もしばらく我慢で」

「動きづらくないか?」

「大丈夫。意外に素材が柔らかいから」

「武器は?」

「ギルドが貸し出してる星撃剣を借りるよ」


 大戦を生き延びたのだから、王国を救った英雄として扱われてもおかしくない。そんなクロハがギリギリの生活を強いられているのは理不尽に思えた。


 宿の朝食をいただくと、二人でギルドへ向かった。クロハと一緒に戦えるのは光栄だ。しかし、それにくっついてくる他の冒険者の嫉妬を考えると気が重くなる。

 ギルドの扉を開け、正面のカウンターへ進む。


「ミナモさん、私、このレオン・ブラックスと二人で組みたいので登録してもらえますか?」

「え? はあ、問題ありませんけど……」


 受付嬢のミナモは戸惑った顔でレオンとクロハを見比べた。受付嬢は依頼者と冒険者をつなぐ存在だ。それだけに、登録している冒険者の実力には誰よりも詳しい。頂点と底辺が組むと言っているのだから、困惑するのは当然だ。


「あの、よろしいのですか?」

「もちろん! 私ね、この子にもっと強くなってもらいたいの。しばらく師匠役をやらせてもらうから」

「なるほど、育成ですか。承知しました」


 その説明で納得したらしく、ミナモは書類に筆を走らせた。レオンとクロハも名前を書いて登録に同意した。


 あの二人、今日も一緒じゃねえか……。

 底辺野郎、どうやって取り入ったんだ?

 くっ、うらやましい……。


 背後から怨嗟の声が聞こえてくるが、レオンは耐えた。こうなることは予想できていた。


「レオン、来て」


 二人で依頼書が貼り出された区画に移動する。討伐依頼はドラゴンだけでなくゴブリンやオーク、他の人間族に害をなす異種族と山ほどある。


 まだクロハが大戦に駆り出される前、レオンはサラフたちと息を合わせ、ドラゴン以外のモンスターともよく戦っていた。その頃はレオンが主導で依頼を受けることもあった。


 ――西の牧場近くでオークの一団が暴れてるみたいだ。助けてあげよう!

 ――レオンなら言うと思ったわ。

 ――報酬は低いけどな。

 ――困ってる人がいるなら、それを助けるのが冒険者の役目だ!

 ――暑苦しいわね。

 ――ま、行きますか。


 もう、あの会話も遠い昔のことに思える。


 ……みんなでドラゴンスレイヤーの免許を取るって話になったのはちょうど一年前くらいか。


 言い出したのはサラフだった。

 免許を取るには、Bランク以上のドラゴンを指定された頭数だけ倒す必要があった。どれを倒すかはサラフが決めた。


 その日からはひたすらドラゴン退治だ。クロハの出征は同じ時期だった。幼なじみの不在に引きずられるように、レオンは失敗続き。誰も笑顔を向けてくれなくなった。


 おこぼれのようにドラゴンスレイヤーの免許は受け取れた。だが、パーティーメンバーの少女マイナが食堂でレオンの愚痴をこぼすと悪評がたちまち広まっていった。結果、誰もレオンの実力を信頼しなくなった。


 ――肩書きだけは一流。


 それがレオンに下された評価だ。


 そんな過去を振り返っている横でクロハが、

「これ」

 と、依頼書を取った。


 アコルガー。

 Bランク中型竜の一匹で、単独で討伐できればギルドからの信頼度がグッと上がると言われている。


「アコルガーには〈嶺氷〉属性が通りやすい。レオンにはこいつと戦ってもらって、その結果で今後の方針を決めよっか」

「わ、わかった」


 レオンはまだアコルガーと戦ったことがない。依頼書が出ていて気になってはいたが、サラフは一度も選ばなかった。


「ミナモさん、この依頼を受けさせてください」

「アコルガーですか。クロハさんがわざわざ……あ、育成でしたね。こほん。失礼しました」


 ミナモは小さく咳払いして、依頼書に判を押した。


     †


 幸い、サラフたちには会わずにギルドを出ることができた。

 馬車に乗ってアコルガーが出没しているという街の郊外へ向かう。

 サンズラバーの街は高い建物も多いが、外へ出れば街道と草原があるばかり。集落が点在し、さらに進めば森になる。目立って面白いものはない。


「レオンはまず自信をつけようね」


 馬車の中でクロハが言った。


「あなたはやれる子だよ。昨日の戦いで私は確信してる。だから堂々と戦ってね」

「……わかった」

「一人で倒せたら今日は同じ部屋に寝かせてあげる」

「おいっ!? そ、そういうのはよくないぞ! 幼なじみでも距離感はもっと大切にしないと……」

「えー」


 クロハは不満そうだ。


「だって一年も会えなかったんだよ? パーティーも別々だったし……。今まではコソコソ盗み見てなんとか我慢してたけど、会えないっていうのは想像以上に心にクるの」

「盗み見るってなに? 怖いんだけど」

「ほんとは最初からレオンとパーティー組みたかったの。でもできなかったから見ることでレオンを補給してた」

「クロハ姉ってだいぶヤバい人?」

「ひどい! 幼なじみを大切に想ってるってことじゃん」

「盗み見ることが?」

「もうしないから安心して。もう手の中だから」

「心の声がダダ漏れしてるぞ。俺をおもちゃにする気なら……」

「あはは、考えすぎだって。一緒にいられるだけで楽しいんだよ。レオンは楽しくないの?」


 面と向かって訊かれるとなんだか気恥ずかしい。


「楽しい、けど」

「赤くなってる。ウブだなあ~」

「や、やめろーっ!」


 ほっぺをツンツンされて、レオンは大声を上げてしまった。クロハは昔からレオンをよくからかってきた。冒険者としての腕前はどんどん変化していったのに、距離感はあの頃のままだった。


「へ、下手したら死ぬかもしれないんだぞ。緊張感を持たせてくれ」

「レオンが死にそうになったら私が相手をねじり殺す」

「できるのは間違いないけど他に言い方ないの!?」


 ぎゃあぎゃあ騒いでいるうちに目的地の集落に着いた。クロハが「すぐに済むから!」と言い張って馭者に待ってもらうことになった。いいのだろうか。


 全部で九軒ほどの家がある集落だった。家は一カ所に集中しており、周りを木の柵で囲っている。だが、いくら防柵を張ってもドラゴンの前には無力と化す。


「どうか、よろしくお願いいたします……」


 挨拶に来た村長はかなり顔色が悪かった。度重なる襲撃で不安なのだろう。街へ引っ越せばいいと簡単に言えるものではない。冒険者が力になる必要がある。


 レオンとクロハは、集落から少し離れたところにある森へ向かった。ドラゴンは日中、薄暗いところに潜んでいることが多い。眠っていれば奇襲も可能だ。


 ……無理か。


 レオンはすぐに妄想を振り払った。

 目標がいた。赤黒い鱗を纏ったドラゴン、アコルガーは、大木の幹に前足をついて小動物を食っていた。ここまで骨を噛み砕く音が聞こえてくる。


「私が広い場所まで誘い出す。そこからはレオンに戦ってもらうよ」

「が、頑張る」

「よし!」


 クロハが飛び出していった。アコルガーの咆哮が森を揺さぶる。二足歩行のドラゴンは、接近したクロハに対して左右の爪で斬撃を繰り出した。クロハは軽快なステップで見事に回避する。


「こっちの領域を侵したのはそっちだから、悪く思わないでね」


 クロハは剣を抜かず、アコルガーの真正面で両手を叩いてみせる。アコルガーが応じるように吼えた。クロハが背を向けて走り出す。相手もすぐに追いかけ始めた。


 レオンもそれに合わせて移動する。木々のないひらけた場所に出た。クロハがアコルガーを連れて走ってくる。鮮やかな誘導だった。


「レオン、お願い!」

「おうっ!」


 レオンは星撃剣を構えて、低い姿勢で突っ込んだ。

 アコルガーが左右の爪を見舞ってくる。レオンは動きに合わせて打ち合う。まずは動きを見て、反撃の隙を探っていく。ここまではサラフのパーティーにいる時でもできた。問題は後半戦。とどめを刺せるかどうか。


 連続の斬撃を確実にさばいていくと、不意にアコルガーが口を開けた。


 ――やばっ!


 とっさに右へ跳んだ。アコルガーが炎のブレスを吐き出す。赤熱した火炎が大地を舐め、黒焦げにさせる。


「綺麗な回避! レオン、最高の反応だったよ!」


 背中にクロハの声がかかる。


 ――褒められた……。


 戦いの最中にそんなことが起きるなんて。いつもパーティーの誰かに「邪魔だ!」「役立たず!」と言われていたあの生活はなんだったのか。


「うおおおおおお!」


 気分が高揚してきたレオンは、一転して攻勢に回った。今度はアコルガーがレオンの剣を防ぐようになる。たまに反撃が来るが、それも冷静に対処する。


「いい攻撃! キレがあるね!」


 少し動くとクロハはすぐ褒めてくれるので、レオンは負ける気がしなかった。


 前へ前へと進み続けると、アコルガーが後退していく。火炎放射も隙が大きく、余裕を持って見切れるようになった。

 アコルガーが左の爪を出してくる。剣で受けた瞬間、視界に別の動きを捉えた。


 ――尻尾!


 相手の右手側から尻尾の打撃が飛んでくる。レオンは爪を受け流しながら体勢を低くすることでやり過ごした。


「上手い! 視野が広くなってるよ! その調子で押していけー!」

「よっしゃあ!」


 レオンは刀身に〈嶺氷〉の力を宿した。人間の体内に宿るアースは、持ち主の感情が昂ぶるほどに濃度を増していく。今のレオンは最高にたぎっていた。心は熱く、攻撃は冷たく、一撃で確実に仕留める!


 強く踏み込むと、レオンは跳躍した。


「食らえ――!」


 アコルガーの喉に星撃剣が突き刺さる。レオンは相手の胴体に足をつけて張りつき、刀身に強力なアースを込めた。


〈嶺氷〉の力が刀身から解き放たれ、アコルガーの首を氷づけにする。

 その密度に耐えきれなくなった竜の肉体は、ボロボロと崩壊を始める。すぐに限界が来て、アコルガーの頭が胴体と分かたれた。


 ごとん、と地面に頭が転がる。

 レオンはアコルガーの胴体を蹴って、後方宙返りを決めて着地する。

 ほっ、と息をつく。それから、自分のやったことを冷静に振り返った。


「俺、やれるじゃん……」

「レオーン!」

「うわあ!?」


 クロハが背後から勢いよく抱きついてきた。


「やっぱりレオンはできる子だったね! すごく嬉しい~!」

「ク、クロハ姉、それはまずいって……!」


 背中に柔らかい感触が押しつけられている。お互い鎧を着ていないからはっきり伝わってくる。レオンは熱くなった顔を見せまいと抵抗した。


「何かまずかった? 普通に抱きしめただけだよ?」

「お、俺に言わせるつもりかっ!」

「ふふ、真面目でかわいい」


 クロハはくすくす笑った。やはり、わかっていて仕掛けてきたのだ。


「あんまりからかわれるとぐったりしちゃうよ。クロハ姉はもう少し落ち着いてほしい」

「やっとレオンと一緒に活動できるって思うと嬉しくて、ついはしゃいじゃった。以後、できる限り自重します」


 絶対に自重しないやつだ、とレオンは確信した。


 ……でも、まあ……。


 戦っている最中、励ましてくれる味方がいるのはありがたいことだ。

 今まではパーティーの中にいながら、ほぼ孤立していた。どうやらしばらく、そんな苦痛を気にしなくてもいいらしい。


 ……案外、うまくいくかもしれないな。


 ちょっと前向きになれたレオンだった。

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