白い空間に閉じ込められている

誰か、私をここから出していただきたい。


昨日の記憶はいたって普通の日常だった。

仕事に勤しみ、日が暮れた頃に妻と息子と食卓を囲む。

少しの歓談があり、息子とお風呂に入り、髪を乾かしたり。明日の勤労のために、目覚ましをかけ、いつものベッドに横たわっただけだ。目が覚めたら、真っ白い部屋の中にいた。

蛍光灯一つが、四畳半ほどの空間を余すことなく照らしている。

私は目覚めてすぐに、便意を催した。脳が非日常だと察しても、体に伝わるまでに時間がかかる。私は南東の隅に置かれた便座に腰掛けた(方角が分かっている訳ではないが、そういった方向感覚が分かっていないと、落ち着かないのだ。特に、無機質な空間内では)。


普通の便所ならありえないほどのスペースが取られているが、レバーをひねればちゃんと水が流れ、私の排泄物を見えないところへ流し去ってくれた。つまり、この部屋はもとから人を監禁するために作られたのだろう。四方の壁があまりに綺麗な白であるため、私がここに監禁される第一号なのだろうと考えている。それとも、私を監禁するためだけにこの部屋が作られたのだろうか。どんなに私のことが嫌いな人間であったとしても、そこまで尽くしてくれる加害者には、私への愛さえ感じられる。


さて、出ようにも出られない。何かをしようにも、便座以外何もない。


腹が減った。

そういえば、この空間には飲食物が何もない。ただ餓死させるためにできた空間にしては、綺麗すぎる。ここで餓死させるくらいなら、自宅のどこかに強く縛り付けておいた方が費用も抑えられるし、効率が良いと思うのだが。


流石に退屈が過ぎる。

私はあの話を思い出した。

このボタンを押せば、100万円がもらえる。しかし代償として、何もない空間で5億年過ごさなければならない、という話。

その話の中では、ボタンを押した後に飛ばされた電脳空間のようなところでは、腹が減るという状態も、便意も尿意も存在していなかった。しかし今、私はとんでもなく腹が減っている。あと既に3回おしっこを出している。

勿論、その話が架空であることは承知しているが、仮に現実であったとしても、今の私は5億年ボタンを押した人というわけではなさそうだ。


以上が昨日の出来事、並びに当時の私の感情だ。

今日目覚めたら、状況が少し変わっていた。

空腹で水もなく、目覚めたあと、すぐに便座に座ってはみたものの、何も排泄されそうにない。

ファスティング、という言葉が浮かんだ。妻が実践しようとしていたため、少し話を聞いてみたのだが、どうやら三日間ほど断食をして、腸内を綺麗にする、というものらしい。私には縁遠い話だと思っていたが、まさかこういう形ですることになるなんて。

しかし、昨日と違うのは、北西の位置にノートパソコンが置かれていた。

私はなけなしの力を使って、PCを開く。


そこには「日記を投稿しろ」と書かれていた。

だから私は、犯人がどういうつもりか知らないが、空腹により脳も体も正常に機能しない中、こうしてキーボードを打っている。


それより、妻と息子は無事なのだろうか。

私がいなくても、健康にやっていけているのだろうか。

それだけが心配だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る