第4話 不意の笑顔にキュンと来たことは、絶対に言わない

 陰キャオタク歴が年齢の俺が、社交性が低いことなんて、想像できてしまうだろう。母さんの前で、カッコつけようとしていたけど、“母親思いの好青年”の仮面はすぐに取れてしまった。


 再婚に反対していると、逃げた段階で絶対にあの場にいる全員に、誤解されている気がする。弁解をすればよかったのに、俺は弱虫だから、逃げることしかできなかった。


 そして走って逃げたところで、幼稚園の頃から一人本を読んでいることが趣味の俺がすぐに体力の限界が来ることは目に見えていた。年下の女の子に捕まるという、すごく情けない姿を見せてしまう羽目になってしまった。


結果、捕まった俺は近くのファーストフード店に連れ込まれる。後日一新さんに教えてもらったのだが、姫香は小学校の頃から陸上部に所属しており、長距離走で県の大会の決勝戦まで出たことがある程の実力の持ち主だった。


 

「わたしオレンジジュース」


 連れ込まれたファーストフード店で、姫香は俺に希望だけ伝えると席を確保してするために店内に進んで行った。


「口調がさっきとは違うの、猫被ってたのか」


 これ以上逃げきれないと判断した俺は、希望の品を手にし、姫香が席取りした二人がけの席に向かう。


 無言で差し出すと、姫香も無言で受け取る。全力で逃げたから、自分から声をかけにくい。姫香がどうして追いかけてきたのかも俺には想定外だった。


 休日の昼間のファーストフード店は混んでおり、不機嫌そうな俺たちの雰囲気を気にする人たちはいなかった。

受け取ったオレンジジュースを半分ほど一気に飲み干した姫香は、不機嫌と、顔に書いてある表情をしていた。


 俺は向かいに座り、コーラを少し口にする。


「何で泣いたの」


 陰キャオタクの俺でも、初対面の人にここまで嫌われた態度を取られたのは初めてだった。年下の女の子に怯みそうになる。


「泣いたのが恥ずかしくてつい、走り出しました」


 カッコ悪い言い訳をしている自分が情けなくて、もう一口コーラを飲んで落ち着こうとする。


「どうして泣いたの」


 その言葉には、嫌悪感も何もなくて、ただ事実だけを知りたいように感じた俺は、素直に気持ちを吐き出した。笑われたとしても、今後家族になるかもしれない間柄なら、むしろ俺のことを理解してもらうチャンスかもしれない。顔合わせは、お互いのことを知るためにやることなら、母さんには悪いけど、早い段階で俺の悪いところも知ってもらった方がいいよな。後になって知られて嫌がられる方が、何かと不利になる気がする。


「俺以外の人が母さんを笑顔にさせてたの知ったらなんか悲しくて」


 不機嫌そうな顔はそのままで、でも文句も何も言わないで、黙って俺の言葉を待っている姫香。


 俺は、幼い頃の“二人で幸せになろう”って約束に固執しすぎているのかな。


 初めて会う子、しかも泣き出した俺を全力で追いかけてきた子に言うセリフじゃないかもしれない。素直に話したら、母さんの株を下げることに繋がる不安もあるけど、後で幻滅される方が、もっと辛い気がして、素直になってみる。


「母さんを取られた気持ちに近いかも」


 聞いている間一ミリも表情を変えない姫香。


 残っていたオレンジジュースを一気に飲み干し、ストローから口を離すと、ツヤツヤの唇をニィと釣り上げた。


「わたしとパパのことが嫌いってわけじゃないのね」


「君は再婚に賛成なんだ」


 連れて来られた時、中々部屋の中に入って来なかったから、再婚に反対している感情も少しあるのかと思っていた。俺が母さんが取られて悲しいって感じているのと同じ、姫香もパパが取られたくないと。


 俺の予想とは裏腹に、姫香は、嬉しそうに、両手を顔の前で合わせた。


「賛成かな。パパの選んだ人だもん。君は信じてない」


 俺のが、子供っぽい考えなのか。姫香は首を少しひねった。


「将虎くん、お母さんを信じてないの」


「信じているよ」


 取られたくないと言う感情が子供の我儘だって分かってても、気持ちが追いつかない。母さんもいきなり連れてくるなんて真似しないで欲しかった。事前に話を聞いていたら当日混乱して逃げ出したりしなかったのに。

 不機嫌そうな顔ばかりしていた姫香が、花が綻ぶ様な、柔和な笑顔を見せた。


「お母さんが選んだ人を信じてみれば」


 向日葵の花が咲き誇ったような暖かなその笑みに、不覚にもキュンときたことは絶対に言ってやらない。



***



「で、年下の女の子に説得されて再婚を了承したのですか」


「うるさいっ!」


 俺の数少ない友人の、青柳 江(あおやなぎ こう)は二人だけの部室で楽しげに机を叩きながら笑っている。お昼休み、アニメ研究同好会の部室に二人、弁当箱を広げていた。


「将虎に妹ができるのですね」


 笑いが落ち着いた江は「お腹痛い」と言いながら、お弁当を食べ始める。

 

 陰キャの俺とは正反対の江。


見た目は身長一九〇センチほどあって、肌は色白。イタリア人の母親を持ち、日本人離れした美しい顔立ちをしている。


 友達になった理由が日本の漫画だったって言ったら、部員増えるかな。


「しばらくの間、部活早く切り上げたり迷惑くかけるかもしれない、ごめん」


 春休みの間に引っ越してくると言う話にその後なったと教えてもらった。それまでの間に物置にしている部屋を片付けたり、迎え入れる準備をしなければならない。


 江は口に入れていたおかずを一口で飲み込んだ。


「大丈夫ですよ。元々緩めの部活動だったので、僕も好きなようにやります」


「ありがとう」


 俺も、自分で作ったお弁当を食べる箸を進めながら、顔合わせの時を、思い出す。


追いかけて来た姫香と仲良くお店に戻った時、母さんは分かりやすく落ち込んでいて、走り去った時と同じ姿で並んでいる料理は、全部冷え切っていた。


机にうつ伏せになるように座っている母さんの隣で、寄り添うように一新さんは母さんの背をさすっている。


「誤魔化さずに言いなさいよ」


 個室の入り口に棒立ちしていた俺の背中を後ろから姫香が突く。


俺は一新さんに「母さんを幸せにしなかったら許しません」と、二人だけの約束を口にする。母さんは俺の声に顔を上げる。泣いていたのか、目が赤く充血していた。一新さんは母さんに確認するように視線を向けてから「一緒に幸せになるんですよ」と笑った。


「何、ニヤニヤしているんですか」


 江に声をかけられ、思考の淵に落ちていたことに気がつく。スマホの画面を見ると、休み時間終了まで後十分を切っていた。見ると江はお弁当を食べ終えて、先生から無理やり許可をもぎ取った自前のノートパソコンを操作していた。


「食事会のこと、思い出していた」


 楽しい思い出はないはずなのに、笑っていた自覚がない。俺の返答に納得をした様子の江はパソコンを閉じる。


「なるほど、妹ちゃんに会うの楽しみにしていますね」


「姫香が良いって言わないと無理だからな」


 一応釘をさしておく。俺は残っているお弁当のおかずを慌てて口の中に放り込みながら、江は理由をつけて俺の家に来て、姫香と接触する気がする。


 クラスの女子に人気の江を見て、姫香も嬉しがるのかな。


「将虎、そろそろ教室戻らないと、授業間に合いません」


 慌てて放り込んだお弁当のおかずを飲み込みながら、スマホで時間を確認する。お昼休み終了まで三分。


「今食べ終わった」


 ダッシュで教室に帰れば間に合うかな。


 江と並んで歩きながら、俺は姫香と普通の兄妹のように仲良くなれると甘い考えを良いていた。 

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