第33話 Who to choose ?

「おやおや、これは予想外だね。さすがに花音ちゃんも満身創痍みたいだけど」


 階段の方から足音が響いた。

 反射的にそちらを向くと、そこには白衣に咥え煙草の女の姿があった。飄々とした口振りで、小さく痙攣をし始めたアレの方を見つめて、煙を中空に吐き出す。唾棄すべき存在。自ずと言葉が鋭いものとなる。


「今更、何の用?」


「漁夫の利を狙いに来たのさ。私は殺し合いなんて出来ないからねえ」


 煙草を地面に落とし、靴底で火種を消しながら肩をすくめる。その仕草もまた、私を苛立たせるには十分だった。苛立ちが、折れた左腕の痛みを紛らわせてくれる。


「あ、全部、思い出させたよ? 隠れて未成年淫行したアンタを選ぶと思う?」


「あははっ! 花音ちゃんこそ、そんなことしといて選ばれると思うのかい?」


「私は選ばれるんじゃない。選ぶ方・・・なの。透くんは、一生私の玩具モノ


「それじゃあ透くんが可哀想だろう? 人並みの幸せを教えてあげなきゃさあ。両親を殺されて、姉だと思っていた存在は犯人で赤の他人。で、同級生には拷問めいた暴力まで受けて……うっうっ可哀想だよお」


 涙も何も出ていない瞳を指で拭う仕草をしつつ、もう一本煙草を吸い始める。タバコの臭いは嫌いだ。それに副流煙で透くんが肺癌になったらどうしてくれるのか。私以外が透くんが侵すのは許せない。


「ああやって治療してるじゃない。意外とメンタル強くて、まだ私の物になるのは言ってくれないんだけどさ。でも、私だけになれば、そうするしかないよね?」


 目を細め、血のこびりついた金槌の柄に力を入れ直す。相手は階段を降りたばかりで鉄格子の外、一方で私は鉄格子の中。距離は遠い。腕は完全に折れてしまっている。今は強がってはいるが、正直痛みは相当なものだ。この状態で襲いかかった所で、逃げられて終わるのは見えている。

 しかし、透くんは鉄格子の中だ。連れていくなら私を突破する他ない。あの女にはそんな能力はない。


「まぁ、普通にさあ。本人に決めてもらおうよ」


 口角を釣り上げて、女は首を横に倒した。



「ね、え、さん……ねえ、さん……」


 ベッドの横で倒れ伏す姉さんに、僕は必死にギプスを着けた手を伸ばして、掠れた声でその名を呼ぶ。

 姉さんは、両親を殺した犯人。姉などではなく赤の他人。けれど、この数年で築いた記憶は確かに残っている。僕に優しく接してくれた。僕のことを想ってくれた。僕の支えになってくれた。

 想いは複雑なれど、今の状況では縋れる相手は姉さんしかいない。

 しかし、いくら名を呼んでも姉さんは反応しない。頭から血を流し、びくびくと体が痙攣を起こしている。


 先生の声が聞こえた。けれど、それも気にする余裕は無い。戸賀崎さんと先生が何が話している。その会話も、頭には入ってこなかった。


「なぁ、少年」


 不意に名前を呼ばれて、顔を上げる。ベッドの近くに立った戸賀崎さん、そして入口の階段下で紫煙をくゆらす先生が、僕のことを見ていた。その口は、大きく弧を描いている。


「誰がいい?」


 続く言葉の意味が分からずに、僕は無言を返す。


「キミに精神的、肉体的な苦痛を与えて喜ぶ生粋のサディスト」


 煙草を摘んだ指は、戸賀崎さんを示す。何故か、ピースをしていた。


「キミの両親を殺した連続殺人犯。赤の他人の癖に、姉をかたっていた。──ま、もう手遅れかもしれんが」


 今度は、姉さんを指差す。


「真っ当に勉強して医学部に入り、精神科という職にもついている頼れる社会人の私。属性としては年下好きってだけで、マトモ」


 そう言って、煙草の煙を吐き出す。


「──さぁ、誰を選ぶ?」


「……だめ、透。逃げて……全員、悪い、人……」


「はいはーい、黙ってねー」


 何の反応も見せなくなっていた姉さんが、うつ伏せの体勢のままくぐもった声を漏らす。しかし、直後に再び凶器狂気が姉さんの頭を襲う。


「おねが、い……も、止めて……」


「一生私の物になる、って言ったらね?」


 僕の懇願は、一蹴される。

 姉さんがこれ以上痛めつけられないなら、それも一つの選択肢として有りなのではないだろうか。


 いや、しかし。先生の言う通り、姉さんは、姉さんではない・・・・・・。両親を殺した、仇。ただ、今の弱い僕が依存しているだけ。姉さんの僕への愛は本物なのだろう。しかし、姉さんの愛は男女のもの。これからも僕は、両親の仇と家族ごっこを、いや、或いは恋人して扱われるのか。赤の他人と。仇と。あの時の様に体を合わせて。

 先程まで求めていたというのに、突きつけられる現実に、吐き気が込み上げる。頭痛が酷くなる。両親の何も映さない瞳が脳裏を過ぎる。


「ふぅむ、私のものになるつもりは? 痛いことしないし、養ってあげるよ?」


 遠くで、先生が手を伸ばす。先生には、親身にしてもらった。頼りにしていた。しかし、僕は捌け口にされていた。性の対象として見られていた。それが酷く、気持ち悪かった。


 僕は、何も選べない。

 どれも、選びたくなどない。

 誰を選んだ未来も、想像したくない。


 僕は壁際に後退あとずさり、ふるふると頭を横に振る。


「まだ躾が足りないかなぁ?」


 戸賀崎さんが、たのしげな声を上げる。数日間の記憶が痛みを蘇らせ、自然と体が震え出す。


「早まるなよ、花音ちゃん。少年は誰も選ばないと言っているんだ」


「これから、私が変える」


「その前に壊れるに決まってるだろ。馬鹿だなあ、花音ちゃんは。……そう、私はね。こういう時のために、機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナの役割も担っておこうと思っていたのさ」


「はぁ? 頭、沸いてんの?」


「この物語を終局に導こうと思ってねえ。もう少したのしめると思ったんだが」


「だから何を──あ、ぐぁ……!!」


 飄々とした態度のまま、唐突に、淡々と、先生は白衣のポケットから銀に光る拳銃を取り出し、躊躇うことなく戸賀崎さんの両太腿を撃ち抜いた。乾いた音が、二回続けて響く。両足を撃たれた戸賀崎さんは、苦痛の声を上げてその場に倒れ込む。


「あはははぁ! いやぁ、ハワイのお陰だね! やっぱりハワイだよ!!」


 けらけらとわらい、たのしげに頭を掻きむしり、そして拳銃を放り捨てた。あぁ、やっぱりこの人も狂っている。


「……じゃ、少年。短い間だったが、たのしかったよ。こんな詰まらない終わり方ですまないねえ」


 先生は背を向け、振り返ることなく階段をゆっくり上がっていった。残されたのはベッドから動けない僕と、頭を割られた姉さんと、両足を撃ち抜かれた戸賀崎さん。

 僕はぐるぐると思考の渦に囚われたまま、先生の去っていった階段を見つめていた。



「これで準備は完了、と」


 私は最後に、階段を登り終えた殺風景な部屋に持っていた赤色のプラスチックケースに入った液体を撒いていった。最後にそれを、三階から順々に撒いていた廊下のラインと繋げる。アレは家の外、六箇所に設置している。あの鉄格子のように、この家をぐるりと囲んで。これで、完璧。


「それにしても花音ちゃんの部屋はえぐかったねえ」


 無論、その部屋にも液体を撒いた。部屋には、少年の日常の盗撮写真やら拷問写真やらが所狭しと並べて貼られており、我が従妹ながら流石に少々引いてしまった。


「さて、と」


 ごそごそと白衣のポケットを探る。すぐに目的の物は見つかった。デュポンライター。普段コンビニのライターしか使っていない身としては高級品だが、蓋を開いた際の音が気に入った。折角だからと、この一回の為だけに十万弱の高級品を買った。

 蓋を開く。キィンと高く澄んだ音が静かな室内に心地よく響く。珍しい横向きのフリントを回し、火を点ける。


「へぇ、ドラマみたく本当に火が点きっぱなしになるんだねえ」


 変な所で関心をした。初めて観測者ではなく当事者となったこともあり、多少の感慨深さを感じつつも、淡々とライターを落とした。車のトランク一杯に積んできたものを全ての部屋と廊下に撒き散らしたこともあり、炎は一気に広がっていった。


「あははっ! いいねえ! やっぱりこういう刺激は必要だよねえ!!」


 自分が巻き込まれる前に家を出ると、前に止めていた愛車へと乗り込む。助手席には、黒いゴシックドレスとヘッドドレスで着飾ったソレが乗せられている。黒い煙を吐き出し始めた家を最後に一瞥してから、車を発進させる。


「いやあ、実は初恋だったんだ。やっぱり実らないもんなんだねえ」


 そんな乙女チックな思考をしていると、五分ほど車を走らせた所でサイレンの音が聞こえてきた。


「さて、そろそろ終劇フィナーレだ。お手製だよん」


 一旦路肩に車を止めると、スマートフォンを取り出す。入力するのは少年の誕生日。そして、迷うことなく通話ボタンを押す。


 ──閑静な住宅街に、爆発音が響いた。

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