第27話 咎咲き

「ひ、みつ……?」


「そ、秘密。始まりに繋がる秘密。──今度はもう忘れちゃダメだよ・・・・・・・・?」


 戸賀崎さんは、よく笑う子だ。けれど、今その笑顔は、とにかく悪意に満ちていた。


「じゃあさー、まず秘密の暴露の前に一つ簡単な質問をするね?」


 再び、戸賀崎さんが顔を近づけてきた。その瞳もまた、悪意と愉悦に満ちている。僕は思わず距離を取ろうとしても、ソファの背もたれに強く体を押し付けることしかできない。彼女はそのまま顔を近づけ、僕の耳元に唇を寄せた。


「──お姉さんの、お名前は?」


 その時、僕のポケットの中で何かが振動した。



「透っ……」


 透は、二十時になっても家に帰ってこなかった。いつもなら遅くとも、十九時には帰ってくる。何の連絡も、来てはいない。土曜日と日曜日は、交わってこそいないものの、あんなにも二人で穏やかで幸せな時を過ごしていたというのに。

 だからこそ、透がいない時間が耐えがたかった。アプリでメッセージを何通、何十通も送っても既読が付かない。何かあった、それは間違いがなかった。

 今度はメッセージではなく電話を掛ける。繰り返される呼出音。ぎゅっと目を閉じて神に祈ると、十コール以上経った所で繋がった。


「透っ……!!」


『ざんねーん! 花音ちゃんでしたー!』


「戸賀崎、花音……!!」


 電話口から聞こえたのは、嘲りの声。私は憎しみを込めて、その名を呼ぶ。予想の中の一つではあった。したくはなかった、答え合わせ。


「透を出せ……!」


『あるぇ? そんな口調でいいのかなぁ? スピーカーモードにしてるから、愛しい愛しい弟ちゃんがビックリしちゃうよん?』


「……っっ! 透! そこにいるの!?」


 先程の荒々しく憎悪を込めた声を聞かれたのはショックも大きかったが、スピーカーモードで聞こえる範囲、すぐ近くに透がいるという事実に直ぐに気持ちが切り替わり、自然といつもの声色に戻る。


『……姉、さん……』


 聞こえた声は弱弱しい。あの女は、透に何かしたのか。私の大事な、何よりも大切な愛しい人に。再び憎悪に塗れそうになるのを、何とか押さえつける。


「今、何処にいるの!?」


『言うわけないじゃーん。ね?』


 憎き女の声が入る


「お前は黙って──」


『ぐ、うっ……』


「透!? どうしたの!?」


 苦しげな透の声が聞こえて慌てふためく。一体、何処で、どんな状況に置かれてるのか。何をされているのか。


『お姉さんは分かってないよねぇ? 透くんの魅力は、こういう所にあるのに』


『っ……ぁ、……』


 嬌声などではない。純粋な、苦悶の声。苦しくなるようなことをされている。あの女がそれをしている。透に。あの女が。


『ねーねー、お姉さん? お姉さんの秘密、これから透くんにバラしちゃうね? じゃ、そゆことで! ばいばーい!』


「なっ……」


 一方的に電話を切れた。慌ててかけ直すも、着信拒否設定をされたのか繋がらない。

 私は声を失い、スマホをその場に落とす。秘密。あの女は何処まで知っているのか。一般人が調べられる範囲なら、たかが知れている。しかし、あいつの家は資産家だ。お金さえあれば大抵の事は出来る。もし、あの事・・・まで知っていたら──


 ──いや、何も問題は無い。


 私は何を怖がっているのだろう?

 透に嫌われること?

 そんなこと、ある訳が無い。


 私たちは、運命で結ばれているのだから。その出会いこそ、運命としか言いようがなかったのだから。


「うふふふふふっ……」


 そう、あんなにも愛し合ったのだ。心も、体も、深く重ね合わせた。私を愛してると言った。私を幸せにすると言った。当然、私も愛している。私も透を幸せにする。

 相思相愛。私たち二人の間に入れるものなど誰もいない。もしいるとしても、それは愛の試練でしかない。二人の絆を深めるためのものイベントでしかない。


「さて、となると……」


 ──透は何処にいるのだろうか。


 電話の時、声は反響していた。部屋はそう広くはなく、そしてコンクリートなど固い素材でできている可能性がある。また、若干ではあるがノイズが混じっていた。電波のあまり良くない場所である可能性がある。

 あの女の家は、既にリサーチ済みだ。資産家らしく、高級住宅街にある、豪勢な三階建ての一軒家。あそこだとすると、部屋の構造は分からずとも、電波の悪い状況は考えられない。また、両親も同居していることから、監禁という状況を作り出すことも難しいだろう。


 だとしたら、別の場所か。例えば、別荘のようなもの。それでいて、恐らくそう遠くはない場所。彼女にも学校がある。尤も、それすら捨てる覚悟があれば話は別ではあるが、あいつから感じたのは娯楽に対する感覚。私のように純粋な愛で生きていない。だとすれば、そこまでするとは考えづらい。この辺りは住宅街ばかりだ。偶然かもはしれないが、先程の電波の状況を考えると、その中にあるとは考えづらい。


 この場所からそう遠くなく、住宅街の中ではなく、別荘を置くような閑静な場所。

 一つ、心当たりがあった。この街の外れには、そう大きくは無いが、開けた森のような空間がある。そこには幾つか家が立っていたはずだ。大半は、老人が住んでいるボロ屋、ないしは昔からあるような古い家屋。別荘、と言えるものであれば見た目はそうではない。調べてみる価値はある。透の状況を考えれば早くに動かなければならない。



「なーんて、思ってたりしてね?」


 くすり、とわらう。

 さて、此処に辿り着くにはどれほどかかるだろうか?

 透くんは、痛みなのか精神的なショックなのか、或いは両方なのか、アレとの会話の後に気を失ってしまった。私が通話中に首を絞めて遊んでいたからかもしれないけれど。


「これは要らないかー」


 台所の電気をつける。お盆に乗せた、おにぎり一つ。中身なんてない。ただの塩味。私が丹精込めて握ったものだ。とはいえ特に何の感情も抱かずに、それをゴミ箱へと放り込む。明日また、作ってあげるとしよう。


「あーあ、今日は秘密は一つも暴露できなかったな」


 全く、つまらない。どんな表情を見せてくれるのか、楽しみにしていたというのに。

 とはいえ、アレが此処に辿り着くまでには多少なりとも時間はあるだろう。その間にお姉さんのこと含めて、色々と教えてあげよう。それに、今日は血も舐め損ねてしまった。どんな味か、興味がある。透くんのは、もしかすると、ただの鉄の味ではないかもしれない。


 ──私は知らないことが多い。


 他人の血の味を知らない。

 骨の折れる音を知らない。

 爪を剥ぐとどうなるのか知らない。

 痛みに耐えかねた叫び声を知らない。

 憔悴しきった表情を知らない。

 動脈血がどれだけ鮮やかなのか知らない。


 全部、透くんで試してみよう。

 全部、透くんに教えてもらおう。

 透くんが、良い。

 透くんじゃなきゃ、嫌だ。


 例えば、そんな姿を見たらアレはどんな表情をするのだろう。憤怒か、憎悪か、それとも絶望か。嗚呼、出来れば絶望の表情が見たい。怪物の、化け物の、絶望の表情が見てみたい。


 妄想は、尽きない。

 私は寝室へと向かってベッドに潜り込むと、明日以降を思い、今までにないほどの幸せを感じながら夢の中へと落ちていった。



「今は、介入せずに傍観者でいようか。尤も、色々と準備はさせてもらうけどねえ」


 少年が監禁されている場所。そんなもの、私にとっては簡単な問い掛け。その場所を前に、煙草に火をつける。スマホで目的のものを調べてみれば、意外と簡単そうではあった。準備自体は、早々に済みそうだ。


「はてさて。結末はどうなることやら。まぁ、少年を渡す気はないけどさ」


 吸殻を携帯灰皿へと入れる。路上に捨てることにあまり抵抗はなかったが、あまり痕跡を残したくないというのが一番の理由だった。




 方や、同級生を監禁した少女。

 方や、弟を探す姉。

 方や、不気味に微笑む女。


 そうして、一夜目は過ぎていった。


__________________________

何処かで使いたかったタイトルです。

 

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