第21話 郷愁と孤独と

 ──戸賀崎さんは、とにかく良く笑う子だった。


 その笑顔はキラキラしていて、でも時折真剣な表情を見せて、そのどれもが人を惹きつけるものを持っていた。


 付き合い始めてから数日。まだ特に何をした訳でもない。登校時、家から少し歩いたところで戸賀崎さんが待っている。帰宅時も自宅の少し前まで一緒に帰っていく。

 夏に会った時、家はこの辺ではないと言っていたために、どのくらいの距離があるかは分からない。一度、場所を聞いてみたが、結局はぐらかされてしまった。


 それと、昼休みはお昼を一緒に食べる。僕は姉さんの作ってくれたお弁当があるから、定番の彼女が作ってきてくれる、というのはない。

 もし提案されても断っただろう、姉さんのお弁当の方が大事だから。義理であろうとなんであろうと関係ない。姉さんは姉さんだ。それはもう、変えないと決めた。戸賀崎さんを、利用すると決めたことと同じように。


 彼氏彼女らしいことと言えば、その二つだ。尤も、付き合い始めはこんなものなのかもしれない。初めてのことだから、僕には分からない。自分から距離を詰めることはしない。

 それは、この胸に刺さった罪悪感の故。僕は戸賀崎さんが好きで付き合っている訳ではないから。ただ、平穏に学生生活を送ろうとしているだけなのだから。この先もずっとそうであり続けるかは、分からないけれど。


 今日は、放課後に戸賀崎さんの提案でファミレスに来ていた。ドリンクバーだけを注文し、戸賀崎さん所望のアイスティーと、少し迷ってからアイスコーヒーをコップに入れて、席へと持っていく。戸賀崎さんの前に、コップ、ミルク、シロップとストローを置いた。僕の目の前には、コップとストローだけ。


「へー、三嶋くんはコーヒーなんだ。しかもブラックなんて大人だねぇ」


 アイスティーにミルクを落とし、ストローでくるくると回しながら戸賀崎さんはにやにやと笑う。ミルクはすぐに広がり、薄い茶色を彼女の髪と同じような亜麻色へと変わる。つい、その二つを見比べてしまった。


「……どしたの?」


「……いや、色が近いなって思って。そういえば、戸賀崎さんって染めてるの?」


「よく言われるけど、これ地毛なんだよねー。クォーターだからなのかなぁ? 先生にも納得してもらうの大変だったよー」


 髪の端を摘み上げて、戸賀崎さんは苦笑いを浮かべる。地毛だというのも、クォーターだというのも初めて知った。

 それは、当たり前だ。だって、彼女と話したのは学校の屋上が初めて。その次は家の前。どちらも、大した話なんかしていない。知ってるのは、文武両道で性格器量良しでお嬢様。そんな、誰でも知っていることだけ。積極的に友人も作らなかったのだから、それ以上に入る情報などない。やはり、何度も、何故僕が彼女に好かれているのか、告白されたらしいのか、皆目見当もつかない。


「ねえねえ、私たち同じ中学だったんだけど覚えてる?」


「えっ、そうなの?」


「あっ、ひどーい!」


 ミルクティーをストローでゆっくりと回し、カラカラと氷の音を立てながら、戸賀崎さんは怒った様子もなく笑みを浮かべていた。

 実際、全く記憶になかった。これだけ話題になっているのだから、中学でも同じだっただろうに。

 いや、中学時代といえば正に両親が殺されて記憶障害が起こり始めた頃。そうでなくてもショックで当時の記憶は曖昧だ。そういった話題に興味を持てなくても、或いは忘れてしまっていても、それは仕方の無いことなのかもしれない。


「……あっ、そうだよね。ごめん」


 僕の心の中を読んだかのように戸賀崎さんは答えると、表情を暗くさせて目を伏せる。その反応は、僕に起きたことを知っているということ。当然、同じ中学ならば知っていてもおかしくはない。


「ううん、大丈夫だよ。もう整理は付いてるから」


 僕は笑顔を貼り付けて答える。真っ赤な嘘だ。そんな簡単に整理なんて付く訳がない。


 ──未だに、犯人は捕まっていない。その、目星すら付いていないのだから。


「……そっか。ありがとね、三嶋くん。やっぱり、優しいね。あの時と同じ」


「あの時? 前に家の前で会った時?」


「ううん。もっと、もっとずっと前。私が三嶋くんを好きになった理由。三嶋くんは、覚えてないと思うけどさー」


 戸賀崎さんはストローに口を付けて窓から外へと視線を向ける。それは何処か遠くを見ていた。僕の知らない、彼女だけが持つ記憶。

 ずっと、前。その言い方から察するに中学よりももっと前なのだろう。思い出そうとしても、もう、あの事件以前のことは全くと言って良いほどに残っていない。きっと、戸賀崎さんも僕が覚えてないのは確信しているようだった。


「……ま、それはいいか。でも、だからね。急に三嶋くんのことを好きになったんじゃなくて、もっと前から好きだったんだよ?」


 僕の方に視線を戻した戸賀崎さんは、気のせいかもしれないけれど僅かに頬を染めて、はにかんだ。彼女を照らすように夕日が差し込んで、その可憐さに少しどきりとしてしまった。


「……ね、昔みたいに透くんって呼んでもいい?」


 僕にとっては、唐突な問いかけ。思わず言葉を詰まらせてしまった。気恥ずかしさ。それと、罪悪感。様々な感情が渦巻く。アイスコーヒーの溶けた氷が、カランと小さく音を立てる。一度目を逸らす。必要以上に距離を詰めてはいけない。彼女を利用する身としては。


「んー、いいや。勝手に呼ぶね、透くん」


「えっ、あっ……」


 まさかそんな流れになると思わず、目を丸くして戸賀崎さんを見つつ再び言葉を詰まらせる。悪戯っぽい笑み。どうやら最初からそのつもりだったらしい。


「懐かしいなー。陸くんに、航太くんに、瑠奈ちゃん……あ、それと、梨花ちゃんもかな」


 昔を懐かしむ言葉。まるで、その輪の中には僕も居たかのようで。戸賀崎さんは思い出の中にいる。対して、僕は孤独へと突き落とされる。僅かに、頭が痛んだ。


「そういえば、陸くんと最近よく話してるよね」


 にこにこと、楽しそうな笑顔。

 

 ──陸くん。それは誰だ。


 小林くんか、茶髪の子か、黒髪の子か、それとも別の誰かなのか。記憶はなくとも、誰かと話していたのかもしれない。今の僕には、それが有り得る。


 僕は、僕が分からない。

 僕は、僕を信用出来ない。


「記憶、残ってた部分もあったのかな? 私のことも覚えててくれたら嬉しかったのにな」


 さっきまで察しが良かった戸賀崎さんが、僕の様子を無視するように話を進める。昔を想う表情が僕を孤独にする。僕の心を突き刺す。頭痛がより酷くなる。


「……大丈夫? 顔色悪いよ?」


 いつの間にか、顔を伏せていた。その様子を見てか、戸賀崎さんは店のソファから腰を上げたのだろう、僕の斜め上から声が聞こえる。その声は僕を心配するもの。ただ、何処かに違和感を覚える。顔を伏せる僕には、今の彼女の表情は見えない。


 結局、その日はそれで帰ることになった。飲み物の一杯も飲めていない。さすがに申し訳なくて平静を装おうとしたが、戸賀崎さんが半ば強引に僕を店から連れ出した。少し頭痛も治まった為に流石に前回のように肩を借りることはせず、二人、帰路に着く。


 いつもの、戸賀崎さんと別れる道に差し掛かった。


「きっと、私のせい、だよね。昔の話なんてしちゃったから……。ほんと、ごめんね……助けになりたい、って言ったのに……」


「ううん、そういう訳じゃないよ。最近、体調があんまり良くなくて……」


 妙な気まずさが、互いの間を流れる。僕の拙い嘘なんて、当然見抜かれているだろう。これも、彼女は優しさだというのだろうか。


「……そっか。じゃあ、帰ったらゆっくり休んでね」


「うん、ありがとう。……それじゃ、また」


 僅かな沈黙の後、顔を伏せていた戸賀崎さんは何処と無くぎこちない笑顔と共に顔を上げた。僕もそれに、貼り付けた笑みを返す。

 いつもは戸賀崎さんの背中が見えなくなるまで見送っていたが、今日はそのまま帰ることにして背を向ける。家までは、そう遠くない。彼女の言う通り、帰ったらベッドで横になろう。また、姉さんに心配をかけてしまうかもしれない。それが、心苦しかった。

 次の診察は明日だ。今の状況を話さないといけない。薬ではどうにもならないのかもしれないが、病状関連で頼れるのは先生しかいない。


 今日は戸賀崎さんにも、嫌な思いをさせてしまっただろう。その埋め合わせくらいは、しっかりとしなければいけない。

 家までの距離は短いのに、逆光の夕日がいつもより何倍も眩しく感じる。


 ──不意に、何処からか、聞き覚えのある鼻歌が聞こえたような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る