閉じた蕾

 次の日、中庭で桜花ちゃんの姿を見かけた。


 中庭は新校舎と旧校舎を挟むようなカタチで、日影が広範囲に伸びた旧校舎のすぐそばには、大きな桜の木がポツンと立っている。


 彼女はそれを静かに見上げていた。


 一切の瞬きもせずただひたすらに桜を見つめている様は、まるで魂が桜の木に引き寄せられているかのようだった。


「桜好きなんだ?」


 僕は、彼女を驚かさないように後ろからそっと声をかけた。


 あからさまに嫌そうな表情を振り向けられたが、そんなことは気付かない振りをして同じように隣に並ぶ。


 桜の鑑賞といえば、視界一面を桃色で覆い尽くされるような桜並木が定番だ。


 しかし、目の前にあるのは、古い建物を背景に桜の木がひっそりと一本立っているだけの、閑散としたとりとめのない景色だった。


 所々ひび割れたコンクリートの寂れた灰色の世界にくっきりと浮かんだ桜の淡桃だけが唯一鮮やかであると言えよう。


 僕は素直に感じた事を音に乗せた。


「こういうのもいいよね。……なんていうか、生きてるって感じがする」


 桜並木の桜たちが“陽に満ち溢れた生”そのものだとしたら、こっちはまるで“生と死が隣り合った影”の中で生きているようなそんな現実リアルさを感じる。


「……っ」


 彼女の方を見れば、大きく目を瞠り、驚いた表情で固まっていた。そんなに何か変なことを言っただろうか。


「どうかした?」

「……」

「おーい」

「……」

「もしもーし! 桜花ちゃ……や、楠木さん」

「何?」


 名前を呼んだ瞬間、ものすごい勢いで睨まれた。徹底的なその仕草には、もはや感服するしかない。


「あ、えっと、昨日はごめん! 僕のせいで皆にからかわれたりとか……あと、お兄さんのことも」


 皆の噂話によれば、桜花ちゃんは以前、事故でお兄を亡くしてしまったらしい。


 もし、その話が事実なら、昨日の昼休みに怒って出ていったのも頷けるし、自分としてもいくら知らなかったとはいえ無神経過ぎた。


「……別に」


 それだけ言って再び人形のように緘黙かんもくする彼女。


 気の所為かもしれないが、その無表情な顔からは怒っているような気配は感じられなかった。


 これまでの経験から会話が終わった瞬間にでも立ち去るかとも思ったけど、そんなこともなさそうだ。


 これは僕が害はない人種だって判断してもらえたってことなのか?


「ねぇ、一つ聞いていい?」

「……」

「何で名前で呼ばれるの嫌なの?」

「……」

「や、答えたくなかったら全然いいんだけど」


 まさか全身の毛を逆立てる程に強い嫌悪感を抱いていたなんて知らなくて。


 僕の記憶の中の君は、名前を呼ばれる度に花が綻ぶように笑っていたから。


「……」


 でも、彼女は相変わらず、唇を固く結んで押し黙ったままだった。

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