其の七 錦神社
「それで、どこに行けばいいの?」
指示されるまま乗り込んだ市営のバスは、街の中心に向かっている。私が通う学校があるのもこの方角だ。人に聞かれないよう小声で聞けば、頭の中に声が響く。
「ああ、
千早山といえば、学校と街の中心である
「千早山ってことは、行き先は錦神社?」
「お、よく知ってるな君。いかにも、俺が錦神社の大狐だ。なに、ここまで来ればばらしても構わんだろうさ」
錦神社は、山の中腹にあるそこそこ大きな神社だ。他の県から人が来るほどではないが、正月や祭りのときはそれなりに人でにぎわう。歴史は古く平安時代までさかのぼるそうだが、詳しいことは忘れてしまった。
「それで、なんであんな神社の神様がこんなことに?」
これはただのイメージだけれど、神社に住んでいる神様は暮らしぶりが安定しているのだと思っていた。現実に姿を現せないような状態で住宅地を漂っているなど、少し想像とずれている。
「あー、それな。少し前に、うちの神主が代替わりしたんだよ。それ自体は大した争いもなくスムーズに決まったんだ。決まったんだが……」
そこまで言って、彼は少し間をおいた。思い出すだけでその時の記憶がよみがえるのか、ため息とともに続きを吐きだす。
「残念なことにだな。そいつ見えないんだよ、俺のこと」
「え、見えない?」
「ああ。こればっかりは生まれ持った資質だから本人に非はないんだが……。しかもこういうときに限って周りの人間にも見えるやつがいない。何なんだろうな。こう、一つ悪いことが起きると、他の悪いことも発覚するのって」
疲れ切ってます、とでも言いたげに彼は愚痴を吐く。けれど、私は他のことに驚いていた。だって、神主なんて誰より神霊に強そうな職業なのに。それが、本人どころかその周りにすら見える人が一人もいないとは。
「意外そうだな。だが、別に神職の人間が見えないのは珍しい話じゃない。霊感がないとつけない職ってわけでもないしな。遺伝や幼少期の環境が影響するから、前は見えるやつが多かった家でそれは珍しいってのは確かだが」
なるほど、そういうものらしい。しかし、神様でも一人は寂しいのだろうか。少し、意外な気がする。
「ってことは、話し相手がいないから暇になって街に出たら、うっかり戻れなくなったの?」
「いや、そういうわけじゃ――」
けれど、そこでアナウンスが目的地を告げた。一人分の運賃を払ってバスから降りる。動物園と錦神社とは、山を挟んでちょうど向かいになる位置だったはずだ。
「――で、俺があそこをうろついてた理由だったな。元々、俺はあの子……綾だったか? そいつを訪ねて行ったんだよ。あの子の家は、うちの神主の家系と繋がりがあるからな」
「え、そうだったの?」
正直なところ、意外な情報だ。綾の口からそんな情報は聞いたことがなかったし、そもそもあの子の家は代々医者をやっていて、神社になんて欠片も関わりがなさそうだった。
「ああ。とはいえ、もう百年も前に三男が独立した傍流だ。たぶん、本家の連中も本人たちも、ろくに覚えちゃいないさ。ただ、それでも俺には血の繋がりがある分たどりやすかった。俺が見える可能性も、他よりは幾分高かったんだ」
ところが、話は彼の思うようにはいかなかったようだ。
「行ってみたら案の定俺のことは見えないし、しかも悪い霊につきまとわれてるし。仕方なく霊からあの子を護ってたんだが、今度は本拠地から離れてたせいでこっちの力が尽きかけてきてな。かといって、何の対策もなしにあの子から離れるわけにもいかないから困ってたのさ。……っと、ここだ」
話している間に、私たちは神社の本殿にたどり着いていた。日曜日とはいえ、行事のない日の昼間だからか境内は閑散としている。
「じゃあ、俺は本殿で休んでくる。一晩、と言いたいところだが贅沢は言えんからな。一時間で出てくるから、君はその辺りで休憩でもしててくれ」
それじゃ、と言って声は私の頭の中から姿を消した。どうやら、本殿の中に入っていったらしい。
「さて、これからどうしたものやら」
彼は休憩と言っていたけれど、日曜日の神社に休める場所があるとも思えない。仕方ないので私は神社を探検することに決めて、案内板らしき立て札の方へ足を踏み出したのだった。
そして、一時間後。
「疲れた……」
再び本殿へ戻ってきた私は、大きくため息をついた。冷静に考えて、神社で一時間も暇を潰せるはずがない。
「こんなことなら、本でも持ってくるんだったな」
これが綾なら、スマートフォンで時間を潰すのだろうが、残念ながら私にスマホで遊ぶ習慣はない。そんなわけで、意味もなく一時間境内をぶらつくことになってしまったのだ。今の私は肉体以上も疲れているが、それ以上に精神が疲労している気がする。ちなみに、案内書きは六周した。
「お、帰って来たか。悪いな、待たせて」
「まったくだよ。次からは時間がかかるならそう言って、って――」
いつの間にか目の前に現れていた人影に、私は言葉を失った。夢に出てきたのと、同じ青年。美しいかんばせも、人間離れした朱い髪も、着崩されているのにだらしない印象は受けない和装も、一つ一つが美しい所作も、すべてが彼を浮世から遠ざけている。そんな光景を、一言で現すなら。
「神々しい……」
「ん? まあ、神様だからな」
そう言って、彼は人懐っこい笑みを浮かべたのだった。
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