其の六 いざ、出立

「――へえ。なら、君とその子は学友ってことになるのか。友達思いなんだな、君」


綾が目を覚ますまでの間、私は綾と自分のことについて彼に語って聞かせていた。相変わらず姿が見えない声の主は、それでも興味深げに話を聞いてくれる。


「そういうわけでもないんです。ただ、友達ができたのなんて久しぶりだったから……」


私が通うのは、中高一貫の進学校。決して居心地の悪い場所ではないけれど、神秘や不思議を受け入れてくれる雰囲気ではないのも確かだ。良くも悪くも、皆理知的なのだ。自分で理解できることが多い分、その外にある事象には極端に排斥的になる。


だから、綾が声をかけてくれたときは本当に嬉しかった。見えることを隠さなくていいのだと、嘘を踏み台にしなくても対等な立場に立てるのだと、そう言ってくれたような気がして。


「そうか。いい子だな、君も、その子も」


その声は純粋に褒める色をしていて、けれど不思議と恥ずかしさはわかなかった。自分の中の警戒心が、徐々に解けていく。人と接するのが上手い人だ、と思った。



「……亜紀?」


けれど、それ以上深く考える前に、私の膝の上の綾が目を覚ました。まだ回復しきっていないのかわずかに顔をしかめつつ、不思議そうにあたりを見渡す。


「ここは、公園? 亜紀、誰かと話してた?」


やはりというか何というか、彼の声は聞こえていないらしい。首をかしげる綾に、簡潔に事情を説明する。


「やっぱり夢の人って神様だったんだ。で、私が取り憑かれたところを亜紀が助けてくれた、と。ごめん、迷惑かけてばっかだね」


「ううん、まさか。私の方こそ、ちゃんと守るって言ったのに。危ない目にあわせちゃってごめん」


「気にしないでいいのに。ま、でもこれでおあいこだね」


そう言って、綾は立ち上がった。時刻はもう九時。早朝の散歩のはずが、朝食を食べ逃してしまう。



「まずは綾を家に送らないと。それが終わったら、少し用事をすませてくる。ただ、気になるのはその間の綾の安全なんだよね」


「用事? 夢の人とのこと?」


公園を出て歩きながら、これからの予定を立てる。声の人が力を取り戻す手助けをしなければならない。できれば日帰りですませたいけれど、と算段をつける。


「うん。ちょっと約束しちゃったから。それより、私がいない間綾が一人になっちゃうのが気になるよね。家の中なら安全かは分からないし――」


「ああ、それなら案ずるな。閉鎖空間はそれだけで一つの結界だからな。あの子を付け回している程度の霊なら、直接的な手出しはできんさ」


いきなり会話に割り込んできた声に、思わず心臓が跳ねる。先程から声がしなかったのでどこかへ行ったのだと思っていたが、まだそこにいたらしい。


「だが、間接的干渉までは保証できんな。よし、俺を家へ連れて行け。簡単な結界の張り方を教えてやろう」


「亜紀? 今度はなんて?」


会話に入れない綾が、私の服の袖を引く。言われた言葉を要約して伝える作業は、さながら通訳にでもなった気分だ。


「綾の家に結界を張ってくれるって。霊から守ってくれるみたい」


「そうなんだ。ありがとうって伝えておいて」


「わざわざ人を挟まなくても、俺には聞こえてるぞ」


視界はそのままに、耳だけ急に二倍にぎやかになるのは不思議な感覚だ。綾の家へ向かう道すがら、私はそんなことを考えていた。




「盛り塩?」


さて、綾の家にお邪魔して、さあ結界だと気合を入れたのもつかの間。彼から提示されたのは、あまりに単純な方法だった。


「なんだ、知らないのか。まず塩を皿に盛ってだな――」


「いや、それはわかるけど」


正直、もっと儀式めいたものを想像していたので拍子抜けだ。そんな胸の内を読まれたのか、声は呆れたように息を吐いた。


「塩を馬鹿にするもんじゃないぞ。だいたい何にでも使えるし、どう使ってもそれなりに効く。知識さえあれば素人がやっても失敗しにくいし、何より手頃だ」


そう言われては納得するしかない。はたからは、一人で驚いたり反論したり押し黙ったりしているように見えたのだろう。視界の端で綾が笑っていた。



「よし、これで完成だね」


三十分後。家の人に見咎められかけたり、上手く形にならなかったりと、思いの外難航した盛り塩づくりがやっと完了した。自分たちが帰ってくるまでは絶対に出ないこと、万が一崩れたらすぐ新たな塩で盛り直すことなど、細かな指示を伝えて家を出る。


「じゃあ、いってくる。無事でいてね、綾」


振り返って手を振れば、二階の窓から彼女が手を振り返していた。

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