第4話 馨の黄泉がえり

「馨ちゃん!馨ちゃん!馨ちゃん!!」


僕は、もう遅いと、分かっているのに、彼女の名前を呼び続けた。


脈はない。体も冷たい。死後硬直、と言うのも起きている。体中、真っ白だ。ただでさえ、色白だった彼女の肌が、蒼にも近い、色をしている。


しかし、彼女の遺体を目の前にしても、僕の中には、恐怖はなかった。只、悲しくて…、やるせなくて…、悔しかった。彼女が、僕を運命の相手だと思っていてくれてる間に、何か、出来なかったのか…。そんなことが頭に浮かんだ。


「馨ちゃん…君の前世を信じないわけじゃないけど、この世の中、亡くなった人は、亡くなったと、知らせなきゃいけない。ここは、どうやら圏外のようだ。ふもとに降りて、誰かを…呼んで来るね…。ごめん…、馨ちゃん…。助け…られなくて…」


僕は、遺体の手を握っている、なんて、そんな感覚何処にもなかった。ただただ、愛おしい、愛おしい恋人の手を握るように、彼女の手を握り、もう、聞いてはくれない言葉を、彼女にかけていた。


そして、その手を離し、ふもとに降りようと、立ち上がろうとした。


―――…その時。





「…汀くん…?」


「!!!???」


僕は、さすがに、びっくりした。遺体が…死体が、しゃべったのだ。生きていたのか?イヤ、首も、手首も、脈は確かめた。心臓の音も、聴こえはしなかった。そして、その白く、綺麗な肌は、蒼白く、握った手は、固まり、握るのが大変だった。


「汀くん…だよね…?」


「………」


ひたすら、僕は恐ろしかった。何が起きているのだろう?これは、夢なのだろうか?だとしたら、どこからどこまでが夢なのか…。どこから、この夢は始まって、いつ醒めるのだろうか?はたまた、僕はどこかで死んだのだろうか…?


そんなことまで、考えた。


「そんな、怖い顔をしないで…汀くん…。一体、なんで、そんな顔をしているの?」


僕の驚いた顔を見て、彼女は、本当に生きている時と変わらない笑顔で、僕にそう言った。


「…分からないの?」


「え?」


「…憶えてないの?」


「え…と…」


少し、様子がおかしい。


「私は、栗花落…馨だよね?」


「…」


僕は、応えられない。


「貴方は…月見里…汀くん…。合ってる…?」


「…」


目を丸くし、微動だにしない…出来ないでいる僕に、彼女は、質問を続ける。


「私、なんで、ここにいるの?私、一体、どこからきたの?私、家族はいるの?」


「………」


永い、僕の沈黙に、彼女は、何やらよくない感覚を覚えたらしい。


「…汀くん…貴方は…知ってるのね?私の…を…」


僕は、沈黙することを諦めた。と、言うより、恐怖が、喜びにまさったのだ。彼女が、生きてはいないのに、生きている。それは、恐らく、僕だけの世界だ。


いや、の、だ。


「…そうだよ。君は、栗花落馨ちゃん。18歳。東京から来たんだ…。家族はいるよ。お父さんと、お母さんが。そして、許婚もね…」


これは、言わなくても良かったか…と、僕は後悔した。しかし、その言葉で、彼女は、もう一つ、思い出したようだ。


「私、ここを知ってるわ…。私には確かに許婚がいる。…でも、なんでだろう?その人の顔も、名前も、思い出せない…。私は、どうしちゃったの?」


『君は、死んでいる』


そう、言うことは、僕には出来なかった。彼女は、自分は生きている、と信じている様子だったから。


「馨ちゃん、僕が君を支えよう。僕に、すべてを預けると良い。僕なら、君の側にいてあげられる…」


僕は、僕の、どうしようもない欲望を、抑えきれなくなっていた。このまま、彼女の秘密を2人きりの秘密として、包んでおきたかった。


彼女を、僕は未だ、愛している。―――…、いや、愛し始めていた。僕の、片想いが、彼女の死により、僕だけの栗花落馨となり、僕のことだけを、愛してくれるかも知れない…。




そんな、歪んだ愛が、この館での、不思議な物語の始まりだったことに、僕は、…いや、彼女すら、気付いていなかった―――…。

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