第15話 ここは……?



「こ、ここは……?」


 湿った土の香りに驚いて、目を覚ます。

 気づくと、僕はなぜか土の中に閉じ込められていた。


「な……なんでこんなところに……うわっ」


 慌てて穴から出ようとして、頭を引っ込める。

 外だからてっきり、家の庭だと思った。


 そうではなかった。


 じめじめした空気。

 淀んだ、草木の香り。

 薄暗い視界には、曲がりくねった禍々しい木々と、揺らめくキノコの化け物みたいな魔物。


「ここ、森の中だ……」


 僕、森の中で一体何を……いや、まさか。


「僕、誰かに攫われたのか……?」


 現実が見えてきて、僕の呼吸はどうしようもなく速く、浅くなる。

 そうか、僕、攫われてこの穴に隠されて……?


 だとしたら。

 ……僕、もうすぐ殺されるということ……?


 鼓動が勝手に早くなっていく。

 しかし。


「ふぅ」


 僕はあえて、だらーんと力を抜く。

 こういう時は、少なくとも慌てるのはダメだ。


「力を抜いて、落ち着こう……」


 『大慌てこそ死への近道』というやつだ。

 そうやって座ったまま、だらーんとしたまま、呼吸を落ち着かせる。


危機に陥ったこういう時こそ、適切な判断が求められる。

よし、気持ちに余裕が出てきた。


「まずやることは……」


 覚えているところまで、記憶を辿ろう。

 今はなにより思い出すことが大事だ。


 ひとつひとつ順番だてて、やるべきことをしていくんだ。


 僕は穴の中で膝を抱え、じっと思案する。


「……そうだ」


 僕はあの川辺でユキナと会っていた。

 引き留めようとして別れを告げられ、受け入れられずにいたところまでは覚えている。


 だがその後から、ぷつりと記憶が途絶えている。


 やはり、自分でここに来たのではない。

 あそこで何かが起きて、ここに連れられたのだ。


「………」


 僕はもう一度、そっと穴から外を覗き見た。

 近くにキノコの化け物が3つ並んでいるが、動く様子はない。


 じっと観察する。


「間違いない。ユメキノコだ……」


 知識と特徴が合致する。


 本にあった魔物だ。

 その場から動くことはなく、近づいたものをその粉で眠らせ、食する食人植物。


 この魔物が生えている場所は、他の魔物が寄りつかない。

 つまり、ここに放置されていたということは、僕を捕らえた捕食者がユメキノコエリアに僕を隠し、後で食べるということ。


「このままでは、喰われる……」


 やはり一刻も早く、逃げなくてはならない。

 音を立てないよう、そっと穴から出る。


「……うーん」


 しかし、足が迷っている。

 森は深く、どっちに行けばよいのか、わからないのだ。


「落ち着いて……」


僕は指をくわえて濡らすと、目を閉じて目の前に立てる。

そのまま、10秒以上を待つ。


「………」


指が、わずかに風の流れを感じた気がした。


「きっとこっちだ」


 たったそれだけの根拠を頼りに、風上の方へと駆け出す。


 だが、幸運だった。

 だんだん明るい世界が近づいてくる。


 森を出られる、と思った、その時。


「うわっ」


 慌てて足を止め、木の陰に隠れる。

 動く大きなものが目に入ったのだ。


「………」


 そっと木の陰から覗き見る。

 二足歩行の何かが、5メートルと離れていない目の前をのっしのっしと、歩いていた。


 体長は3メートルほどの、でっぷりとした体型。

 青黒い硬質の肌をしており、その手には大木ほどもある棍棒が握られている。


 頭は小さく横顔しか見えないが、老人のようなしわがれた顔だ。

 髪はなく、鼻が突き出て伸びている。


 覗かせている歯は黄ばんでぼろぼろだが、鋭く尖っている牙のような歯も見える。


(トロルだ……)


 本で読んだままの姿。

 たしかレベルは20くらいで、森の浅いところを餌を求めてウロウロする傾向がある。


 鈍重で戦いやすいが、その強烈な一撃には注意が必要。

 あの棍棒で打たれたら、僕なんか間違いなく死ぬだろう。


「ウゥゥ……」


 今の物音が耳に入ったらしい。

 トロルは足を止め、あたりをキョロキョロしている。


(どっちに……いや、だめだ)


 両手を拳にして、握りしめる。


 逃げることばかり考えるな。

 こんな状況でも、彼女の別れ際の痛々しい笑みは、頭から離れていなかった。


(今までの僕じゃ、ユキナは守れないんだ)


 この距離から逃げたら、絶対に背中から殴られる。

 それならば、先制した方が生きる確率は高いはず。


(やるんだ……)


 今ならきっと、先手を取れる。


 怖かったあの力と、向き合うのだ。

 こんなところで死んでなどいられない。


(落ち着け。相手はトロルだ……)


 あの鈍くさい棍棒にさえ当たらなければ、大丈夫――。


 僕は数秒、目を閉じて精神を集中させる。

 大丈夫だ、自分を信じて。


 目を開いた時には、もう迷いはなかった。

 木陰から、姿を現す。


「――静かなる炎、猛けよ」


 魔法の詠唱を完成させ、右手を突き出す。


「〈炎の矢ファイアアロー〉」


 魔法を使うのは、あの時以来だ。


 ――ゴウゥ!


 放った自分が驚いてしまうほどだった。

炎の矢は、本に書いてあった以上の大きさに変化していたのだ。


 それは矢というよりは、ランスほどの大きさ。

 それが勢いよく飛び、トロルの図太い巨体を背中まで貫き、焼いた。


「オォォ……」


 あっけなかった。

 トロルはたった1回の〈炎の矢ファイアアロー〉で、倒れ伏していた。


 起き上がってこない。


「嘘だ……どうして」


 僕は呆然とする。

 トロルの亡骸の前で、ただ自分の両手を見つめる。


 おかしい。

 僕の魔法、こんなじゃなかった。


 いくらなんでも強力すぎる。

 魔力の発動体たる杖やワンドを持っているわけでもないのに。


 不思議に思い、ステータスを開いた僕は、我が目を疑った。


「レベル18……!?」


 レベルなんてずっと1だったのに、どうして……。

 いや、レベルと各ステータスが伸びているだけではない。


「な、なんだこれ……ゴールドレアじゃないか」


 カードスロットには、いくらで取引されるかわからない『Rare』のゴールドカードまで装備している。


「つ、強いわけだ……」


『Rare』は3つもアビリティスロットがあるカードだ。

 それのゴールドなんて、僕、いつの間に……。


 枠の中には、ドライアド召喚のアビリティまでついてる。


「もういい、行こう……」


 謎だらけだが、今はそれを思案していい状況ではなかった。

 今頃になって魔物を初めて討伐したことに気づいたが、それよりもさっきの驚きが大きすぎて心は騒がなかった。


 僕はトロルのドロップを拾い、森を抜けようと走り出した。




 ◇◆◇◆◇◆◇




 数体のゴブリンを倒して、森を抜けることができた。

 街道がそばにあることを知った僕は、とてつもない安堵に包まれた。


「よかった……」


 街道は魔物を退ける石が置かれているし、人も通る。

 もはや捕食者からは完全に逃れ得たと言ってよいだろう。


「方角は……」


 僕は空を見上げた。

 右手の一部に霧が立ち、左手の空だけが橙色に焼けている。


 霧は夕にも立つが、霧の深さと立ち込め方から朝に出るものによく似ている。

 ステータス画面でも時刻は朝を表示していた。


 ならば、空の明るくなってくるあの方角が、東になる。


「だとすると……」


 ここは家の近くではない。

 街道の向きが知識と異なっている。


 ただ、木々の種類は自分の家の近くにある森とそう変わりはなかった。


 おそらく、いや、かなりの確率で右手に鬱蒼と茂る森は、『西部樹海』のままだ。

 とすると、ここは自分の家からそれほど離れた位置ではない。


 ならば自ずと、自分の立っている位置は決まる。

 ユキナの家にまあまあ近く、自分の家からは4時間ほど王都に向かって歩いた場所。


「ほっ……」


 自分の居場所まではっきりわかると、急に安堵が心を満たした。


 そのまま、力が抜けて街道に座り込む。



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